第15話 沙也伽の産休中は

 〇桐生院華音


 沙也伽の産休中は、何となくメンバーとも疎遠になりがちな俺達DANGER…

 なぜかと言うと、曲作りや取材など、個々の仕事も多く入るからだ。

 今日の俺は午前中にギターマガジンの取材の後、早乙女さんのギタークリニックに行って、あの正確な指裁きを会得しようと必死になった。


 …春にあるイベントのオーディション…

 俺達も受けたい。

 そのためには、今よりもっともっと…練習が必要だ。

 だが、沙也伽の復帰が一月中旬…

 元に戻るのに、どれぐらい時間がかかるだろうか…



「よ。」


 ぼっち部屋から出て来た紅美に声をかける。


「…待ってたの?」


「ああ。」


 今日の紅美は、俺と入れ違いに取材に入って。

 その後は何をしてたのか…見当たらなかった。

 俺は、てっきり…早乙女さんのクリニックに来るだろうとばかり思ってたのに。

 何となく八階をウロついてて…エレベーターを降りて来た杉乃井と母さんに出くわした。


 あの時母さんに言われた言葉が…引っ掛かって。

 紅美を探した。

 すると、ぼっち部屋で…ギターを弾いてる紅美を発見。


 俺がずっとその後ろ姿を眺めてる事にも気付かず。

 紅美はずっと…

 ギターを弾いたり歌ったり。



「あずき行かね?」


「……」


「紅美?」


 返事をしない紅美の顔を覗き込むと。


「…話があるの。」


 いつになく…真剣な顔。


「…ルームに帰るか?」


「うん…」


 何となく…紅美の表情が硬い気がして…あれこれと妄想し始めてしまった。


 母さんが言った言葉…


『紅美が見たら誤解しちゃいそう』


 確か紅美…

 F'sのライヴの後の事を…『ノン君こそ、誰と』って聞いて来たよな。

 一人じゃなかった。って知ってたって事だ。

 だとすると…見たって事で…


 …いつもの紅美なら、入って来てもおかしくなかったと思うんだけどな。

 もしかして、それで…の、沙都との夜明かしか?

 そう思えば、辻褄は合う。



 紅美とルームに入って。

 俺はなんて切り出そう…と前髪をかきあげて座ると…


「ごめん。」


 突然、紅美が俺に頭を下げた。


「…あ?」


「沙都と…ここで一晩一緒に居たって…嘘なの。」


「……は?」


 嘘?

 って…


「えーと…それは、どうして嘘を?」


「……」


 紅美はギュッと唇を噛んだ後…一度目を閉じて、深呼吸をして…


「…これ、見て。」


 深刻な面持ちで、スマホを俺に差し出した。


「…何…」


 それを手にして画面を見ると…


『夕べはありがとう。夢みたいな時間だった。テクニックも…凄いね(笑)紅美ちゃんのおかげで、色んなコンプレックスから解放された気がする。また会ってくれるかな…?』


 そこには、信じられない言葉が…


 …テクニック…


 また会ってくれるかな…?だ…?


「えー…と…」


 頭の中が真っ白になって、言葉が出て来ない。

 俺が瞬きばかりを繰り返して、スマホを手に固まってると。


「…朝起きたら、一人でここに居て…そのLINEが来てた。」


「……」


 お…おいおいおいおいおい。


「…………ミッキーって誰だよ。」


 紅美のLINEにそう打って来てる相手の名前を言うと。


「それが…分かんなくて…」


「は?」


「分かんないの。酔っ払って…記憶がなくて…」


「……」


 俺は咄嗟に…酔っ払って俺と寝た紅美を思い出した。

 テクニックも…そりゃあ…


「でも、服着てたし…そんな形跡なかったから。」


「……」


 ああ…あー…ああああああああ!!

 腹ん中、煮えくり返りそうだ!!

 何だってこいつは…


「…なんでルームで一人で飲んでたんだよ。」


 低い声で問いかける。

 さっきまで、何か考えて辻褄が合うって思ってたが、もはやそれも…何だったか思い出せない。


「…電話もLINEもしたのに、ノン君気が付かなかったし…」


「……」


「ダリアに…女の人と楽しそうに話してるノン君…見付けて…」


 ………あ。

 これだ…。



「でもそれは、あいつだぜ?」


「パーソナリティーの人よね?うん……でも、その時は…楽しそうなノン君見ると、何だか割り込めない気がして…」


「割り込めない?なんだそりゃ。ちょっと待てよ。」


 俺は前髪をかきあげて、紅美の腕をぐいと引くと。


「おまえ、俺と付き合ってんだよな。」


 顔を近付けて、真顔で言った。


「…そ…う…」


「何だってそんな風に思うんだ?俺を見付けたなら、店に入って来て声かけろよ。電話もLINEもするほど、俺に会いたかったんだろ?」


 俺がつらつらと言いたい事を吐き出すと、紅美はみるみる眉間にしわを寄せて。


「だから…だから、それが出来ないほどいい雰囲気だったって言ってるじゃない!!」


 俺に頭突きをした。


「いっ!!」


 不意をつかれたせいで、思うより痛い。

 額を押さえてうずくまろうとすると、紅美は続けて俺の体をドンと押して。


「それでなくても、あたしはノン君が仲良くしてた女の人って薫さんしか知らないんだもん!!あんなに楽しそうにしてたら…そりゃあ、いくらあたしだって声かけるの躊躇するよ!!」


 しばらく見なかったような顔をした。


「……」


「あたしが…何も気にしないとか思ってんの…?」


 唇を尖らせる紅美を…めんどくせー女だなー。

 って…少し思いながらも…

 こいつ…こんなに俺に惚れてんだ?って…嬉しくもなった。


 …いやいや、だからって…酔っ払ってルームで…はないだろ!!



「言っとくが、俺はあいつと腕も当たらないような距離で座ってたし、音楽の話以外はしてない。」


「……」


 はあああああああ…

 世の男は恋人が出来ると、誰しもこういう事でもめたりすんのか?

 俺は紅美が沙都と朝まで一緒にいたって聞いて…確かに妬いた。

 おもしろくねーって思った。

 だが、沙都と紅美の間には絆がある。

 …付き合った事もあるが、それでも紅美は俺を選んだ。


 だから…おもしろくなくても、それをとやかく言うには至らない。

 なぜなら…

 紅美がそうしたくてしたなら、それが紅美だからだ。

 いちいち俺の言う事で、紅美が自分らしさを失くしていくのはごめんだ。


 ………でも。

 今はあえて…

 文句を言わせてもらう…!!


「…覚えてないとしても、どうして沙都と朝まで一緒だったなんて嘘ついたんだ。正直に話してくれた方が良かった。」


 話をすり替えるつもりはなかったが、どうしてもそこが気になった俺は、少し冷たい口調で言ってしまった。


「だってノン君…」


「何。」


「…あたしの事、フラフラしてる女って言ったから…」


「あ?」


 眉間にしわを寄せて、紅美の顔を覗き込む。


「おまえみたいにフラフラしてる女は無理って言ったじゃない。だからあたし…こんなの知られたら…信用されなくなっちゃうって思って…」


「……」


 おまえみたいにフラフラしてる女は無理…?


 すげー勢いで瞬きをした。

 瞬きをした所で、それを言った瞬間ってのに戻れるわけはないんだが…

 それは…

 結構な失言じゃないか?

 俺、いつ言った!?

 そんな酷い事を!!



「…悪い。覚えてない。」


 俺が正直にそう言うと、紅美は鬼の形相になって。


「何なのよー!!」


 ドーン。と、派手に俺を突き飛ばした。


「いっ…いてえな!!何かと言うとすぐ暴力振るうな!!」


「あたしは!!あたしはあの言葉のせいで……」


「……」


「あの言葉のせいで……」


 紅美は両手を握りしめて、わなわなと肩を震わせてる。


 …確かに、そんな事言われちゃあ…

 気にするよな。

 それを思うと、こうやって突き飛ばされたり頭突きなんて…可愛いいもんだ。


 俺が覚えてないその言葉は…ずっと紅美を苦しめてたんだ…。



「…悪かった。」


 唇を尖らせてる紅美の頭を抱き寄せて…ギュッと肩を抱きしめる。


「ごめん。」


「……」


「ごめん。」


「…海君に相談した…」


「…あ?」


「昨日…会いに来てくれて。」


「……」


「そしたら、華音は違う意味で言ったんじゃないか…って。海君、ノン君の肩持つわけじゃないけどって言ってたけど…結局は肩持っただけだ…」


「……」


 海が上手くフォローしてくれたようだが…それならそうと、なぜ教えねーんだよ!!

 台無しじゃねーか!!(巻き込み逆切れ)


 すげームカムカした。

 色んな事に。

 ムカムカしたが…

 結局は、俺が紅美に対して放ったその言葉のせいってわけで…

 俺には、何を言う資格もねーな。


 俺から言わせたら…どれも小さい事じゃねーかよ。

 その言葉も、そこまで気にしてたなら……言えよ。

 俺に。


 いつだって真っ向勝負してた紅美は…

 どこ行ったんだよ。



「…なんか、俺と付き合って…おまえ…」


「……」


「はー……」


 なんて言っていいか分からねーのに、中途半端に言葉を出して行き詰ってため息をつくと。

 紅美は俺から離れて。


「…めんどくさい女だって思ったんでしょ。」


 俺の顔を見ずに言った。


「はあ…?そうじゃねーよ。」


 少しは思ったせいで、少し返事が遅くなった。


 だが…

 めんどくさい事は絶対あるよな。

 うちの親なんて、しょっちゅうそれでケンカしちゃー仲直り…

 …て事は、こういうのは必要なんだよな。

 めんどくさいなんて思うなよ、俺。



「…ぶっちゃけさ…」


 もう一度紅美に手を伸ばして、ゆっくりと抱きすくめる。


「前にも言ったけど…俺、ちゃんと付き合った事がねーからさ…」


「……」


「おまえに対して、気遣いが足りなさすぎなんだろーな…」


 本当に。

 言葉に出すと、それは実感としてしみじみと胸を刺した。


「俺と付き合う事で、紅美が紅美らしくなくなるのはいただけない。」


 額を合わせて、それから…ゆっくり唇にキスをした。


「俺は…何があってもおまえを信じるから。おまえも…もっと堂々と俺にぶつかって来いよ。」


「…嫌いになってない…?」


「ほら。らしくねー事聞くな。嫌いになんかなるわけねーって。」


「…良かった…」


 紅美の腕が、俺の首の後ろに回されて。


「どうしよう…って、ずっと気が気じゃなかった。」


 紅美の甘い声が、耳元でそうつぶやいた。


「隠し事はなしだ。」


「うん。」


 紅美の腰を強く抱きしめて…濃厚なキスをする。

 そのままドアに近付いて鍵を閉めて…


「…ここで?」


「…誰も来やしねーよ。」


 久しぶりに…紅美を抱いた。





 〇桐生院 聖


「何かあった?」


 昨日、姉ちゃんとこに行ってアレを作ってもらって。

 さすがの効き目。

 アレを飲んで少し休んだら、夕方には寒気もくしゃみも止まって。

 今日は朝からすこぶる元気。


 昨日やり残した仕事をやっつけるべく、深田さんにスケジュール調整をしてもらってる…所に。

 ノン君がやって来た。



「ちょっと…相談したい事が。」


「相談?」


 首を傾げてノン君の向かい側に座る。

 ノン君は、お茶をもって来てくれた深田さんが部屋を出て行くのを見届けてから。


「おまえと、こんな話ってした事ない気がするけど…」


 少し、眉間にしわを寄せて。

 組んだ指をもてあそびながら言った。


「こんな話?」


「おまえ、今まで何人の女と付き合った?」


「…は?」


 つい、パチパチと瞬きした。


 ここは会社で…

 俺は社長で…

 実は少し忙しいけど、深田さんから『華音さんがおみえになってます』って言われて。

 深田さんもそうだけど、俺も『何事だ?』って事になって。

 スケジュール、30分ほど押しで調整してもらってる。


 それがー…色恋ネタかよ!!


「LINEでもしてくれたら良かったのに。」


 ネクタイを緩めながら、ソファーに深く沈み込むと。


「あっ、バカにしたな?」


 ノン君は目を細めて前屈みになった。


「いや、バカにはしてねーけどさ…まさかノン君がこんな時間にここに来てまで、そんな話をするとは思わねーじゃん。」


 俺がそう言うと、さすがにノン君は悪いと思ったのか…


「…だよな。悪い。」


 ため息と共に、俺に頭を下げた。


 こうなったら…まあ、付き合おう。

 最近、こんなネタで話す相手なんていねーし。

 親友の詩生は華月とラブラブ。

 昔親友だったはずの烈も、結婚して子供が生まれてからはサッパリ。



「えーと…何人付き合ったか…だっけ。」


「そ。」


「……」


 上を向いて、自分の女性遍歴を思い返す。

 泉が最後…だけど。

 その前ー…


「手繋いだだけとか、一ヶ月で別れたとかもあり?」


 ノン君の目を見て問いかける。


「一ヶ月で別れるって、何がどうなったら一ヶ月で別れるんだよ。」


 …あ、そっか。

 ノン君、ずーっと紅美を好きだったから、ちゃんと付き合った事ないんだっけな。

 確か、童貞だけは早くに捨てたんだよな。

 どうでもいい相手と。(あ、俺もだ)


 それからも、セフレみたいな相手は居たとか…何とか…(酔っ払って華月にぶっちゃけて軽蔑されてた)

 …紅美に一途だったのは純愛みたいでいい話だけど。

 セフレうんぬんを思い出すと、そうでもないな。


 ふっ。



「付き合ってみたのはいいけど、色んな意見の相違で、かな。」


「へー…例えば?」


「例えば?んー…独占欲が強くて、めんどくさくなったりとか。」


「独占欲強いとめんどくさいか?」


「…ノン君、平気なんだ…?」


「いや…独占欲って…どの程度の?」


「相手によるけど、華月と登下校する事にいちいち妬かれるのはめんどくさかったなー。」


「…なるほど。」


 ノン君と話しながら、頭の中で顔写真をスライドさせた。


「そういうのも全部入れたら…25人ぐらいかな。」


 俺がそう言うと。


 ガタン。


 目の前で、ノン君が湯呑を床に落とした。


「あっ、ああ、悪い。もう飲んでるから…何もこぼしてない。」


「湯呑変えておかわりもらおうか?」


「いや、いい……てか、25人て。」


「うーん…たぶん、ノン君もバカ真面目じゃなきゃそれ以上いたと思うけどなー。」


「バカ真面目って何だよ。」


 ま、セフレが居たんじゃバカ真面目とも言えないか。

 ノン君、俺から見たらすっげカッコいいし、頭もキレるし…モテて当然なんだけどな。


 …大学時代のアレコレで女性不信つーか…人間不信になったのは仕方ないとしても…

 中高生の頃も紅美が好きだったとはなー…

 イトコだし、それとこれとは別。って事にしときゃ、ウハウハ状態だったはずなのに。


 ノン君は、仲良くなって来たと思わせる最後の最後に、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出す。

 ここからは踏み込むな。的に。


「紅美と何かあった?」


 たぶんこれだよな。と思って核心を突くと。


「…俺、あいつを悲しませたり悩ませたりしたくねーんだよな…」


 たまらなく、愛しくなるような事を言った。


「今更だけど、今までのあいつの男達は、あいつに対してどうしてやってたんだろ…なんて考えちまってさ…」


「うっわ。らしくないなー。」


「…だよな。バカみてーだな、俺。」


「……」


「俺は常に紅美に対してオープンなんだが…それが返って紅美にとって悩みの種になる事もあんのかなと思って。」


「…それでいんじゃね?」


「いいのか?」


「だって、ありのままのノン君でなきゃ、紅美が好きになった意味がないよ。」


「……」


「姉ちゃんと親父みたいに、揉め事はレクの一つみたいな気でいりゃいんじゃね?」


「ふっ。やっぱそこだよな。」


 それからノン君は、俺の仕事の話を少しして。

 春にあるイベントのオーディションを受けたいって話して。


「…なんかスッキリした。悪かったな。仕事中に。」


 立ち上がった。


「いや、なんか俺も久しぶりにこんな話出来て楽しかった。」


 本当に。

 まさかだよ。

 ノン君が、こんな事(って言っちゃーわりーけど)、俺に相談に来るなんてさ。



 俺も続いて立ち上がると。


「…そろそろおまえも女作れば。」


 ノン君は足元を見ながらそう言った。


「…知ってた?」


「海の妹だろ?海の上の妹から聞いた。」


「……」


「別れたのは…去年のクリスマス前だろ。」


「…その鋭さ、自分の恋愛に向ければ。」


 嫌味っぽくそう言うと、ノン君は『間違いない』って笑った。


「なんか、意外と忘れらんなくて。でも…いーよな…何か始まっても。」


「いいさ。」



 ノン君が帰って行って。


「社長、今日はどれも午後からに調整しました。」


 深田さんが、そう言ったのを聞いて。


「…じゃ、少し出掛けて来る。」


「かしこまりました。」


 俺は…ジャケットを持って外に出た。

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