第13話 「ぶぇーっくしょん!!」

 〇桐生院知花


「ぶぇーっくしょん!!」


「…大丈夫?」


「ふぁ…」


「はい、ティッシュ。」


「は…はん…ぶしゅっ!!」


 千里から新婚旅行に行こうって言われて、すごくハッピーな朝!!って浮かれて。

 それでも…前みたいに『やっぱ仕事』って言われると嫌だな~…なんて少しだけ千里の仕事人間ぶりを思い出してモヤッとしてると。


「ちょっと事務所行って、絶対俺が呼び出されないよう段取りして来る。」


 って、千里が出掛けてすぐ。

 入れ違いで…聖が来た。


 …くしゃみをしながら。



「病院行った方がいいんじゃないの?」


「待合室…すげー混んでたから…」


 ソファーでグッタリしてる聖の額に手を当てる。

 んー…熱はないみたい。


「こんな日ぐらい休めば良かったのに。」


「あー…だよなー…姉ちゃん、いつものアレ作って…」


「いいわよ。ちょっと待ってね。」


 聖の言う『いつものアレ』は、桐生院家に代々伝わる風邪薬…のような物。

 正直、美味しくない。

 だけどあたしは風邪なんて引いてられないから…風邪の兆候があれば、すぐに飲み始める。


「今うち帰ったら、滅菌君されるんだろーなー…」


 聖がグッタリしたままで言った。


「……」


 その言葉が違和感で、あたしはキッチンから聖を眺める。


 …もしかして、夕べは帰ってないのかな?


 聖が仕事で帰れない事は多いけど、それでも空いた時間に家に帰って、着替えたり食事したりって事は普通にあったのに。

 家に帰らず、うちに来た…?

 …まあ、アレが飲みたかったからかもだけど…

 母さんだって作れるのに。

 それに、桐生院になら…滅菌君もそうだけど…

 もっと効きそうなあれこれを、母さんが処方してくれるはずなのに。



「はい。」


 聖にリクエストされた『アレ』をテーブルに並べる。


「はい。どうぞ。」


「…いただきます。」


 こぶりなグラスに入った液体を、聖はいちいち『まずっ。おえっ。』って言いながらも飲み干した。


「少し休んだら?」


「…姉ちゃん午後からだっけ。」


「うん。聖、時間あるなら寝てていいから。」


「親父は?」


「休みだけど仕事行った。でもたぶん夜まで帰らないよ。」


「そか…じゃ、お言葉に甘えて…」


 そう言って、聖はソファーに横になろうとした。


「あ、上着脱いで。」


「あー…ん。」


 聖から上着を取って、ハンガーにかける。


「……」


 置いてたブランケットを掛けながら、聖は小さく『おやすみ』って言った。


 あたしは…

 聖の上着に着いてた、長い髪の毛を手にして。


 彼女が出来たのかな…?

 って…思った。




 〇神 千里


「父さん。」


 今日は休みだが、知花との旅行のために色々段取りをしておこうと事務所に出向いた。

 会長室で高原さんにしつこく『絶対F'sにもSHE'S-HE'Sにも仕事入れないで下さいよ』と念を押して、スタジオ階に降りた所で…呼び止められた。


「華月。どうした?」


「今日休みじゃなかったっけ?」


「ああ…ちょっと最上階に。」


「…おじいちゃま?」


「ああ。」


「……」


「どうした?」


 華月が…いつもとは少し違う気がした。

 ゆっくりと俺から視線を外して、エレベーターの方向を見ながら軽く唇を噛んで。


「…昨日、詩生を呼び出したみたいなんだけど…何だったのかなと思って。」


 つぶやくように、言った。


「詩生に聞いてないのか?」


「聞いてない…父さん何か知ってるの?」


「ボイトレのメニューを組んだってのは聞いたぜ?」


「ボイトレのメニュー?」


「歌い方に少し変化を持たせたいって。」


「…そっか…」



 高原さんは…今の詩生の歌に不満がある。

 DEEBEEはビートランドの稼ぎ頭に名を連ねてはいるが…

 弱い。

 ビジュアルで売れたバンドは、相当惹き付ける何かを持っていなければ…すぐに過去のバンドになる。

 楽曲が優れていたり、テクニックにも目を見張る物があればアーティスト側からも評価されるが…

 DEEBEEに関しては、どれも弱い。

 爆発的に売れても、すぐにチャートは下がる。


 つまり…曲が飽きやすい。

 アーティスト側から見ても『頑張ってる』『上手くなった』ぐらいのもんだ。


 Live aliveで華月への気持ちを歌ってくれた詩生には…期待をしたいが。

 二世集団のDEEBEEは、二世と言うだけで高いハードルがある。

 映はDEEBEEを抜けて、正直…正解だったと思う。

 あいつは殻を破ったし、派手さはなくなったと思われているかもしれないが、テクニックでは十分世界に通用するほどにまで成長した。

 それに映には…これから、DEEBEEよりも派手で力強く、さらには正確で世のベーシストの度肝を抜くような曲も弾いてもらうつもりだ。


 高原さんがDEEBEEのメンバー個々に出した課題を…

 みんなやり遂げられるかどうか。

 希世はともかく…

 詩生と彰は試練だな…


 ベースのあいつは…ま、元々サポートぐらいの気持ちで加入したんだろうから、今のスタンスでいいのかもしれない。


「ちーさん。」


 頭の中で考えてた人物に声をかけられて、小さく笑いながら振り返る。


「なんだ。」


「ちょっと、ええっすか?…って、あ、華月。久しぶりやん。」


 ハリーは俺の後ろに華月を見付けて、二本立てた指を顔の横で振った。


「スタジオで会ったじゃない。」


「あれ?そうやったっけ?」


「おじいちゃましか見えてなかった?」


「あ~、あん時か。会長が見学とか緊張するやんか。」


「おじいちゃまの存在感に負けた…」


「まあまあ。今日も可愛いで?」


「棒読み。」


「はよ詩生に飽きて俺んとこ来いって。」


「…父さんの前で…」


「はっ…」


「……」


 調子よさそうに喋るハリーを、目を細めて見る。

 元々華月を狙ってたらしいが…まあ、どこまで本気か分からない。

 早乙女の腹違いの弟で、DEEBEEのプロデューサー兼…ベーシスト。

 指のケガでギタリストとしての夢は断たれたが、DEEBEEの踊るようなベースラインは…いとも簡単に弾いた。

 映の抜けた後のDEEBEEを持たせてるのは、ぶっちゃけ…ハリーだと言っても過言じゃない。



「で、何の用だ。」


 華月が気を利かして手を振って歩いて行って。

 ハリーと二人になった俺は、空いてるミーティングルームに入った。


「…高原さんから、DEEBEEをどう思うか聞かれましたわ。」


「ああ…で、どう思ってるんだ?」


「…正直に?」


「もちろん。」


 ハリーはポリポリと頭をかいて、少し唇を尖らせた後。


「…飽きましたわ。」


 真顔でそう言った。



 〇桐生院知花


「あーっ!!すみませーん!!」


 事務所のエレベーター。

 他に誰も乗る人いないかな?って確かめたつもりだったけど、閉まる直前に聞こえた叫び声に『開』ボタンを慌てて押す。


「はーっ…ご…ごめんなさい!!ありがとうございます!!」


 乗って来たのは、元気のいい…若い女の子。


「いいえ。何階ですか?」


「あっ、ありがとうございます。8階お願いします。」


「……」


 この声…


 すでに押してた8階のボタンをもう一度押して、女の子に背中を向けてると。


「あの~…」


 声をかけられた。


「はい?」


「あたし、今日面接に来たんですけど…この格好って…派手過ぎって思います?」


「え…?」


 そう言われて、あしは女の子の全身を見る…けど…


「派手過ぎず地味過ぎず、清潔感があっていいと思いますよ?」


「あっ!!そう言ってもらえて、少しは緊張がほぐれたかも~!!ありがとうございます!!」


 華月…よりは年上かなあ…

 なんて名前だっけ。

 MUSIC WAVEのパーソナリティー。


 …でも、面接…って?



 ビートランドにも独自のラジオ局があって、瞳さんも昔はそこで番組を持ってたりもした。

 事務所に所属してるパーソナリティーも数人いるけど…

 外部からうちに…って事は、ない。

 だって、どう考えても…外部の方が大手だ。

 それに8階って…スタジオ。

 誰が面接するんだろう?


 ピン。


 背筋が伸びるような音がして、エレベーターが8階に着いた。


「お先にどうぞ。」


 あたしがそう言うと。


「ありがとうございます。」


 女の子は会釈をしながらエレベーターを降りて…


「うおっ…何してんだ?こんなとこで。」


 華音と…鉢合わせた。


「あっ、まさかと思ったのに…会っちゃった。」


 一度番組に出ただけなのに、やけに親しそうな華音を、少しキョトンとして見る。

 我が息子ながら…女の子に対して奥手だなあって思ってたけど…

 何だろう。

 仲良し。


 でも…華音。

 紅美と付き合ってるんだよね?



「母さん?何突っ立ってんだよ。」


 エレベーターのドアの前に立ったままのあたしを見付けた華音がそう言うと。


「…えっ…お母さまって…」


 女の子はあたしを振り向いて、そして華音を見て…またあたしを見て…


「し………」


「…し…?」


「……あー…ごめん、母さん…」


 華音が額に手を当てて、天井を見上げる。


 …確か華音は…

 彼女の番組で、母親がSHE'S-HE'Sのボーカルだ…って話した。


「三月まで秘密のままだからな。絶対言うなよ。」


 華音が少し凄んだ風にそう言うと。


「言いません。誓います。ほんとに。」


 女の子は背筋を伸ばして、真顔になった。


 そして…


「は…初めまして。あたし…杉乃井幸子といいます。」


 あたしの前に立って、緊張した面持ちで…挨拶してくれた。


「あ…初めまして。華音の母です…。ええと…MUSIC WAVEの…そうだ、サリーさん?」


「えっ、あっあたしの事、ご存知なんですか?」


「声で分かりました。」


「………」


 サリーさんは口を大きく開けたけど、そこから声は発せられず。

 だけど華音の方を向いて。

 口パクで何か伝えようとしてる。


「普通に喋れよ。」


「か…感激…」


「……」


 不思議な感じだった。

 あたしを見る目がキラキラしてて…

 今までも、周年ライヴとかの後には、社員さん達に『すごかった!!』って褒めてもらう事はあっても…

 普段のあたしを知ってる人が多いせいか、目の前で歌ってもないのに…こんなに目をキラキラさせられるなんて…


「で、何しに来たんだよ。」


 華音の問いかけにサリーさんは。


「あっ。」


 我に返って。


「しっしししし失礼します!!」


 あたしと華音に背中を向けて、慌ただしく駆けて行った。

 そして…少しだけウロウロして…

 少し広いミーティングルームに入って行った。


「…面接に来たって言ってたけど…何の面接だろ。」


 あたしがその残像を眺めながら言うと。


「は?面接?」


「うん。」


「へー…ほんと、何だろ。」


 華音も、彼女が消えた通路を見ながらつぶやいた。


「…珍しいわね。華音があんなに喋るなんて。」


 華音を見上げて言うと。


「まあ、音楽に詳しいから楽っちゃー楽だな。」


 華音は普通のトーンでそう答えた。


「…紅美と付き合ってるのよね?」


「…何だよ今更。」


「んー…本命はどっちなのかなって…」


「はっ?本命はどっちって何だよ。」


「今の…杉乃井さんと紅美と…」


 あたしの言葉に華音はすっごく目を細めて。


「おいおい…たかが二度会っただけだぜ?」


 半笑いだけど、かなり否定的な口調で言った。


 …二度しか会ってないのに、あんなに気軽に話せるの?

 って…

 今時の若い子はどうか分からないけど、華音は女の子に対しては慎重だと思ってたんだけどなあ…


「…二度しか会ってないの?長年の親友みたいに思えちゃった。」


「かーさん。」


「いや、本当に。紅美が見たら誤解しちゃいそう。」


「え…」


「何?」


「あ…いや…何でもない。」


 華音は細めてた目を元通りにして。

 だけど少し唇を噛みしめた風にして…


「じゃ、俺…ルーム行くから。」


 手を上げた。


「うん。あ…」


「あ?」


 余計なお世話だったかなとも思ったけど…


「紅美を不安にさせちゃダメよ?」


 華音の腕をポンポンとして言う。


「……ああ。」


 華音は何か少し思い当たる節でもあったのか、小さく何度も頷いた。



 本当に華音が紅美と付き合ってるなら…


「…泣かしたりしたら、陸ちゃんと麗に殺されちゃうんだから…」


 あたしは、ぼっち部屋に向かって歩きながら。

 小さく独り言をつぶやいた。

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