第12話 「千里、明日午後か…ら…」

 〇桐生院知花


「千里、明日午後か…ら…」


 楽しい動物園と水族館へのお出掛けが終わって。

 名残惜しいけど…みんなと別れてマンションに帰った。

 今日ぐらいは桐生院に戻るかな…?って思ったけど。

 千里はあっさりと、あたしを連れてマンションに帰った。


 そしてー…ソファーでぐっすり。



「……」


 そっとブランケットを掛けて、寝顔を見つめる。


 …あんなライヴが終わってすぐなのに…

 今日なんて一日中、みんなと騒いで…疲れたよね。

 あんなにはしゃぐ千里、初めて見たかもしれない。

 気を使って無理してるのかな…って思ったけど、元々千里は人が好き。

 だから…本当に楽しかったんだと思う。



 …アズさんと海さんから、それぞれ…千里の子供の頃の話を聞いて…

 色々納得できた部分もある。

 千里はめったに思い出話なんてしない。

 あれは…

 話さないんじゃなくて、話せないんだ。

 覚えてないから。

 日常の小さな事を話さなかったのも、それに関係してるのかもしれない。


 リハをすっぽかしてしまうほど…思い悩んだなんて。

 あたしが思うよりずっと、千里は記憶について過敏になってるんだ。

 もう軽々しく口にするのはやめよう。

 そして…

 いつかまた、千里がその事で思い悩んだら…

 何も言わず、ただそばにいよう。


 千里の過去がどうであれ、あたしは千里の妻で…

 千里は、あたしのかけがえのない大事な人。

 …それだけでいい。



「……」


 床に座り込んで、ソファーの端に腕を乗せて…千里の寝顔を眺めながら、そっと前髪に触れる。


 あたし、この人に恋して…何年かな。

 そもそも、なんで好きになったんだろう?

 お互い、あのマンションに住みたいからって…

 偽装結婚だったのに。


『おまえ、俺に惚れてるだろ』


 千里にそう言われた時…あたし、何言ってるの?この人。って思いながら…

 胸の奥の方が、熱くなったの覚えてる。

 瞳さんと付き合ってるって聞いた時、苦い気持ちが湧いたのも。

 …そう考えると…

 あたし、とっくに千里に…恋しちゃってたんだよね…


「…やだ…」


 思い出すと顔が熱くなってしまって。

 両手で頬を抑えようとすると…


 ガシッ。


 千里の前髪に触れてた手を、取られた。


「…あ、ごめん…起こした?」


「…何が『やだ』だ?」


「起きてたの?」


「熱い視線に焦げそうだった。」


「もうっ。」


 千里は、あたしの腕をゆっくりと引いて自分の上にあたしを抱えると。


「…疲れたけど楽しい一日だった。」


 あたしの頭を抱き寄せるようにして、そう言った。


「…うん…あ、海さん…明日の朝早くに、一人で向こうに行くって。」


「早まったのか。」


「そうみたい。」


「忙しい奴だ。」


「でも、咲華との時間を大事にしてくれてる。」


「…そうだな。」


「…千里。」


「ん?」


「……大好き。」


「……」


 言いたくなって、素直に口にすると。


「張り合うぜ?」


 千里はあたしを下にして前髪をかきあげると。


「絶対、俺の方が好きだな。」


 いつもの…自信に満ち溢れた顔。


「…あたしの方が大きいと思う。」


「いーや、俺のが大きい。」


「あたしよ。」


「俺だ。」


「……」


「………ふっ。」


「ふふっ。」


 千里は優しい笑顔になってあたしをギュッと抱きしめると。


「…バカップルって言われるはずだ。」


 って小さくつぶやいた。




 …そんな事言われてるのーーー⁉︎





 〇二階堂 海


「よ。」


 俺が手を上げると、紅美は丸い目をして立ちすくんだ。


「…水族館は?」


「もうとっくに解散した。」


「……そっか。」



 今日、華音と一緒に来るとばかり思ってた紅美は…来なかった。

 まあ、前もって『紅美が乗り気じゃない』とは聞いてたが。

 それでも来ると思ってた俺と咲華は…

 お節介と思いながらも、紅美に事情を聞く事にした。



「海さん、紅美ちゃんと話して来てくれる?」


「…俺が?」


 咲華の提案に、俺は少しだけ眉間にしわを寄せた。

 俺と紅美は付き合ってた事があるし…

 二人の子供を失くしてしまったという思いもあるだけに、今はそれぞれパートナーがいるとしても…

 少しばかり、特別な気持ちがないとは言えない。

 とは言っても、それはお互いにとって傷のような物でもあって…

 特に手を取り合って慰め合う気はない。


 それに、咲華に紅美との事を知られた時…

 咲華は酒を飲んで酔っ払うほど…ショックを受けた。

 その相手である紅美と…会って話して来い?



「あたしには話しにくいと思う。だって、華音と双子だもん。」


「まあ…そうだけど…」


「何?」


 …消化してるのか?

 完全にか?

 少し半信半疑になりながらも…


「いや…咲華がいいなら、そうして来る。」


 そう答えると。


「是非そうして。」


 咲華は即答。


「…一応確認するけど、気にしてないんだな?」


「何を?」


「…俺と紅美は…」


「……」


 咲華は俺の目をじっと見て。


「ああ!!」


 大きな声を出して。


「はっ…ご…ごめんなさい…」


 慌てて両手で口を押えて。


「…こう言っちゃ悪いのかもしれないけど…」


「……」


「昔の事だから。」


 何の迷いもない…澄んだ目で、そう言った。


 …ああ…

 咲華は…なんて強い女性なんだ。

 そう思うと、たまらなく愛しさが増して。


「…海さん?」


 桐生院家の広縁で、俺は咲華を強く抱きしめた。


 俺はまだどこかで…志麻と咲華の事にモヤモヤしている部分があるのかもしれない。

 今、咲華が『昔の事』と言った時、胸の奥に痛みが走った。


「…義兄の幸せのためなら、一肌でも二肌でも脱ぐ。」


 咲華を抱きしめたままで言うと。


「えー…華音のために、そんなに大サービスしなくていいよー…」


「ふっ…どっちなんだ。」


「少しだけ脱いで。」


「分かった。」


 小さくキスをして、俺は家を出た。

 そして…事務所の近くで待ち伏せて、紅美が出て来る所を捕まえた。



「いつまでこっちに?」


 並んで歩き始めた紅美が、俺を見上げて言う。


「明日の朝には俺だけ向こうに。」


「えっ、なのになんでここにいるの。」


「義兄が心配で。」


 俺が首を傾げると、紅美は少し目を細めて。


「…ノン君、何か言ってた?」


 小声になってうつむいた。


「紅美が飲んで沙都と一晩過ごしたって。」


「……」


「…嘘だな。」


「……うん。」


 今日、華音が来るまでに…沙都の反応を見た。


「紅美と飲んで事務所に泊まったんだって?」


 そう問いかけると、沙都は口を一文字にして、上目遣いに俺を見た。

 …嘘だな。

 だが、あえて問い詰める事はせず…『華音に謝っとけよ?』と笑っておいた。



「ここが噂のエルワーズか。」


 事務所から少し歩いた所にある店。

 ここは桐生院家のみんなが気に入ってる紅茶専門店。

 俺がその店に入ろうとすると。


「…海君、あたしと会うって咲華ちゃん…」


 紅美が遠慮がちに聞いてきた。


「知ってるけど。」


「…そっか。咲華ちゃん…すごいな。海君とあたしが二人で会うの、嫌じゃないのかな。」


「……」


 ドアにかけた手を外して、紅美に向き合う。


「俺も気になったが…話して来てくれって言ったのは咲華だからな。」


「えっ?」


「自分は華音と双子だから、紅美も話しにくいかもしれないって。」


「……」


 紅美は大きくため息をついて。


「咲華ちゃん…強いね。羨ましい。」


 らしくない事を言った。


 それを聞いた俺は…


「えっ。」


「ま、座って話そう。」


 紅美の腕を取って店に入った。



 紅茶の店だが、コーヒーをオーダーした。

 俺につられたのか、紅美も。


「で?何があって華音とぎくしゃくしてる?」


 店の奥にあるテーブル席に座って問いかけると。


「…一昨日の夜、F'sのライヴの後に…ダリアで女の子と一緒に居るノン君見て、あたし…ちょっとふてくされちゃったんだ。」


 何とも…可愛らしく思える言葉。


「紅美、妬くんだな。」


 カップを手にして、小さく笑ってしまった。


「だって…電話もLINEもしたのに、リアクションなくて…」


 紅美はそう言って唇を尖らせる。


「それで?店に乗り込んだ?」


「…だよね。そうするよね。」


「しなかったのか?」


「うん…」


 俺の知ってる紅美とは…違う気がした。

 まあ…相手が違えば変わる事なんて、普通にあるのだろうが。

 だが、根本的な部分まで変わるとは思えないし…

 何より、紅美らしくなくなるのはいただけない気がする。



「ノン君が女の子と楽しそうに話してるの見て…そのまま声もかけずに事務所に行って…」


「うん。」


「ルームで…一人で飲んだ…はずなんだけど…」


 紅美は大きくため息をついて、何ならテーブルに突っ伏してしまう勢いで前屈みになると。


「…目が覚めたら朝で…知らない人から…LINEが入ってた…」


 今まで聞いた事がないような弱った声で、そう言った。


「知らない人?」


「うん…」


「なんて。」


「……」


 紅美は前屈みになったままポケットからスマホを取り出して、片手でそれを操作して俺に渡した。


「見ていいのか?」


「むしろ見て。そして叱って。」


「叱ってって。」


 笑いながらそれを手にする。


『夕べはありがとう。夢みたいな時間だった。テクニックも…凄いね(笑)紅美ちゃんのおかげで、色んなコンプレックスから解放された気がする。また会ってくれるかな…?』


「……」


 相手の名前は…『ミッキー』

 プロフィール画像は…犬。

 そして、紅美がそれに返信をしなかったせいか…


『もしかして…何か怒ってる?』


 メッセージは、この二つだけ。


「テクニッ」


「あたし服着てたから。」


「…いや、誰もそっちとは言ってない。」


「あ…」


 紅美はすごい勢いで顔を上げて反論したけど、俺の言葉にまた首を落として。


「なんにも覚えてないんだよ~……」


 泣きそうな声で言った。


「紅美らしくないな。」


「…あたしらしいって何…」


「普通、こういう事があったら白黒させるんじゃないのか?」


「……」


「それに、華音にもこれを見せて覚えてないけど何もなかったって言ったらどうだ?」


「……だって…」


「だって、何。」


「……」


 紅美はゆっくり顔を上げると、コーヒーを一口飲んで。


「…以前ね…」


 カップに視線を落としたまま、話し始めた。


「ノン君と…まだ付き合う前なんだけど…」


「うん。」


「ノン君…あたしの事、『おまえみたいにフラフラしてる女、無理だな』って言ったんだ。」


「…フラフラしてる女?」


「…海君と付き合ったり、沙都と付き合ったり…慎太郎とも色々あったし…」


「……」


 その言い方は…

『気が多い女』とも取れるが…

 華音は紅美にそんな事は言わない気がする。


「それで?」


「だから…やきもちぐらいで、酔っ払って知らない間に知らない男と何かあるような女…って…」


「……」


「そう思われたくない…って。」


「…華音に、ダリアで一緒にいた女の事聞いたのか?」


「うん…ノン君が出たラジオ番組のパーソナリティーだ…って。あっさり答えられちゃった…」


「……」


 俺はー…

 基本、女が弱るのは男のせいだと思ってる。

 だから、咲華が弱気になる時には俺に原因があると思う。


 華音。

 何やってんだ?


 この紅美の弱り具合…


「華音の肩を持つわけじゃないが…」


 俺はコーヒーを飲み干すと。


「あいつ、紅美がフラフラしてるって言ったわけじゃないと思う。」


 きっぱりと言った。


「…じゃあ、どういう意味だったの…」


「俺から見たら、紅美はずっと前から華音を好きだったように思えた。」


「…え?」


 紅美が顔を上げて俺を見る。


「それなのに、気付くまいとしてたのか…それとも本当に気付いてなかったのか…」


「ど…どうして?あたしがノン君を好きだったって…どうしてそう思ってたの?」


「何かと言うと、視線が華音を探してたからな。」


「……」


 それについては図星と思えたのか…

 紅美は何かを言いかけたが口をつぐんで、また視線を落とした。


「たぶん華音は…自分の気持ちも分かってないって意味で、フラフラしてるって言ったんじゃないかな。」


「…分かりにくい…」


「だな。でも、そんな言葉に振り回されるなよ。」


「……」


「華音の事が好きなら、おまえらしく真っ向勝負で行け。」


「……」


「ずっと、おまえだけを好きだった男だぜ?どんな紅美でも受け止めるさ。」


 俺の言葉に紅美はしばらく唇を噛みしめてたが。


「…海君。」


 次に俺の目を見た時には、いつもの…

 俺の知ってる紅美の目になってた。


「ん?」


「咲華ちゃんと、幸せになってね。」


「…ああ。」


「て言うか、もう幸せいっぱいか。」


「申し訳ないぐらいにな。」


「そんな事。二人が笑顔なの見て…あたし、嬉しかった。」


「……」


「あたしも幸せになるから。」



 こうして…俺達は。

 昔の、イトコ同士に戻れた。


「じゃあね、おっさん。」


「誰がおっさんだ。」


「咲華ちゃんによろしく。」


「華音を頼むぞ?」


「任せて。」


 エルワーズの前で手を振る。



 失くした子供の痛みが消える事はなくても。

 その痛みを持ったままでも…俺は幸せを選ぶ。

 それが、紅美の幸せにも繋がるはずだから。



「…あ、咲華?今から帰る。ああ…エルワーズのフィナンシェ、買っておいた。ああ、分かった。」


 さあ…帰るか。

 明日の朝には一人でアメリカだ。


 今夜は…


 咲華とリズ、三人で眠ろう。




 〇神 千里


「知花。」


 今日も知花は朝から可愛かった。

 二人で暮らし始めてからと言うもの、今までも十分可愛かったと言うのに…どこに隠れてたんだ?って思うほどの新たな可愛らしさが出て来て。

 俺は…嬉しいやら悲しいやら…


 悲しいやら、とは。

 SHE'S-HE'Sがメディアに出る事で、俺が独り占め出来なくなってしまう悲しさだ。


 ああ…しまったな…

 ライヴでは着飾らなくてもカッコよくなってしまう知花は仕方ないとして…

 雑誌の取材やテレビでは、とことんダサい格好で出てくれねーかな。

 …いや、それじゃギャップ萌えする奴が出て来る。


 あーーーーー…

 俺の知花が…



「なあに?」


 ベランダで洗濯物を干し終えた知花が、首を傾げて俺を見る。


「…前髪、この長さだと異様に可愛いな。」


 知花の前髪をかきあげながら、腰を抱き寄せる。


「ま…前髪の長さで…可愛いなんて言われていいの…?」


 案の定、赤くなる知花。

 全く…

 俺は今までも『可愛い』『好きだ』『愛してる』を連呼してたはずなのに。

 どうしてずっと赤くなる?



「SHE'S-HE'Sに少し長めのオフが出来る。」


「え?そうなの?」


「ああ。その代わり、オフ明けから忙しくなる。」


「…どうして千里がそんな事知ってるの?」


「休みをくれって高原さんに交渉した。」


「…あたし達に?」


「俺らにも。」


「…F'sにも?」


「……」


「……」


 俺は無言で知花と額を合わせると。


「…新婚旅行、行こうぜ。」


 小声で言った。


「……新婚旅行……」


「どこ行きたい?」


「……」


 額を合わせてるせいで、超至近距離の知花だが…

 瞬きをパチパチとした後…フリーズした。


「知花?」


 額を離して顔を覗き込むと…


「…その顔はないだろ。」


 知花は、必死で泣くのを我慢してるのか…

 下唇を突き出して、眉間にしわ。


 …ブスだ。


 あはははははは!!


 この顔は初めて見る!!

 最高にブスだぜ!!


「ぷっ…」


「もっ…もー…なん…でっ、笑うの~…?」


 とうとう泣き始めた知花が、俺にいつもの猫パンチをくらわす。


「ははっ…わりいわりい…あ…あまりにもブスだったから…」


「ブスって~…」


「あははは。悪かったって。」


 猫パンチの腕を取って、ギュッと抱きしめる。


「どこ行きたい?」


 抱きしめた体を少し揺らしながら、窓の外を見る。

 二人きりで旅行なんて…一度もした事がない。

 知花が提案してくれて、決めかけた事はあったが…

 俺が仕事を入れてしまって頓挫した。


 子供達が小さな頃は、イタリアの親父の家に行ったりもしてた。

 だがそれは旅行というのとは違ってたし…ましてや二人きりじゃない。



「…本当に…行くの?」


 俺の腕の中で、知花が小さく言った。


「行く。」


「…仕事入れたり…」


「しねーよ。絶対旅行する。」


「……」


 顔を覗き込むと、知花は嬉しさを隠しきれない様子で。

 拗ねてた唇は違う形になってた。


「じゃあ…」


 知花はバカが付くほど控えめだ。

 たぶん、近場の温泉で美味しい物でも食おうって言うに違いない。

 そう予想してたが…


「……あ?」


「…いい?」


 意外な場所を提案された。


「思い切り…あたしの想いだけで決めちゃう感じだけど…」


 俺は少しポカンとしたかもしれない。

 だが…


「乗った。」


 もう一度、知花をギュっと抱きしめて答える。


「行こう。おまえの行きたい所へ。」



 …高原さんに言われた言葉を思い出した。

 固定概念は捨てろ。

 …本当だよな。

 知花はきっと、こう言うだろう。なんて…

 ここで知花の新しい顔を、いくつも見てるクセに。

 内面を決め付けたままなんて…


 学習しろよ、俺。

 もう繰り返さない。

 死ぬまで…この手を離さないために。

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