第18話 道を違えざれ、さすれば幸ある生を歩めるぞ

 セナがハーヴェンらと戦闘を初めたのとほぼ同じ頃、国務省に設けられた自然庭園でシド、キートン議員の二人が丸机1つを挟む形で会談を始めていた。国務省の職員へのヒーリング効果を期待して造り上げたガラス張りの部屋に設けられた自然庭園に、たった三人しか人がいない、というのは寂しくもある。しかし、うち二人が発する濃密な圧はそんな寂しさなど吹き飛ばして、暑苦しささえ感じさせた。


 そんな中、キートン議員は改めてシドへ視線を向け、その代え難き美貌という麻薬に心が高揚するのを感じた。


 いつもの黒スーツ黒ネクタイの公務の姿ではなく、彼が身につけているのは紛れもない神話級アイテム一式だ。おそらくはセナのものよりも高価だろうことが伺えるそれは、一見すればちょっと高めの布地だろう。しかし、キートン議員の後ろに控えるヘルマンにはその真の価値がすぐにわかった。


 シドが身につけているのは黒を基調としたコートやズボン、コートの下からは浅黒いカーディガンが見え、シャツは灰色だ。ファッションのつもりか青と黒のストールを首に巻いてたり、右耳にだけ金の耳飾りを付けている出で立ちはちょっとオシャレしてみた三流マフィアっぽく見えた。


 これで黒の中折帽子でも付けたら、それこそモブで登場しそうなマフィアの親分の完成だ。あまりに滑稽、あまりに単調なファッションだが、どんな奇抜なファッションであれ着る素体が美しければ一定の畏怖は抱かせるものだ。


 眼前の少年――あるいは少女――は口元に微笑を浮かべ、優雅に紅茶を口へと運ぶ。その黄金比を成立させた顔は穢すことすら躊躇させ、欲情することすら恥だ、と理性と本能が同時に訴えかけてくる。


 得も言われぬ複雑な感情がキートン議員とヘルマンの両方に現れ、二人は今この場はまさしく地獄だ、と感じていた。真の地獄とはこの精神の葛藤なのか、と二人が思う一方、シドは冷静に二人を観察していた。


 まず目がいったのは、キートン議員の胸元の灰色のアミュレットだ。一見すれば灰色の鋼という簡素や質素を通り越して貧相や粗雑という印象を与える外見をしているが、探知系スキルで測ってみるとその内に内包しているエネルギー量は脱帽を通り越して脱毛ものだ。


 サクリファイス系の代物かと思いきや、そんなちんけなものでは決してない。正真正銘、眼前のアミュレットは熾天使を地上へ顕現させる触媒だった。微笑でごまかしているが、内心では震えが止まらない。恐れを抱かずにはいられなかった。


 熾天使が、ではなく、熾天使を代償なしで顕現させるアミュレットに、だ。おそらくは一回こっきりの代物だろうが、と前置きしてもなお収まりがつかない心の震えにシドは自分を叱咤する。それは一国の国家元首が抱いていい感情ではない。畏れはしよう、しかし震えるなど言語道断だ、と。


 気を紛らわそうとヘルマンを見るが、彼もまた身につけている武具やアイテムは一線級の代物と言っていい。武具は幻想級、ただ腰の剣はおそらく神話級アイテムだろう、とシドは当たりをつける。


 実力としては熾天使級と同程度、と見積もれるが、プレイヤースキルを加味すればこちらの方が厄介だな、とシドは心の中で嘆息する。


 これがリドルなら別に震えることなんてなかったんだろうがな、とシドは己の無力を嘆いた。熾天使一体であればどうにかなるかも、とは思うが、それはあくまで時間をかければだ。


 だが、今この場でいくら文句を垂れても仕方ない。自分で用意し、自分で望んだ結果。自分の願いの結果なのだ、と考えればこれ以上ぐだぐだ言うのは格好が悪かった。


 「さて、キートン議員。突然の招待、大変申し訳ありません。こちらに不手際がありましたこと、ここに平に謝罪させて頂きます……」


 だからこそ、まずは自分からスタートダッシュを切る。慇懃無礼な口調で相手の反応を伺ういつもの手。別に反応で選別するわけじゃない。ただ、話をさっさと進めるのに楽だから、この手法を選択しているに過ぎない。


 「謝罪は受け止めるますが、もう少し上品な手法で案内することはできなかったのでしょうか?転移の際に尻をぶつけてしまった」


 「それはそれは。大丈夫でしょうか?なんならふかふかのクッションでも持ってこさせましょうか?」


 「その必要はありませんよ、シド国務長官。私はさほど年は取っておりませんからな」


 はははは、と談笑する二人だが、その実は相手の機微にも瞳が踊っていた。ただ談笑する中、相手が何を思っているのか、何を考えているのか、なんの情報もない特徴のない状況下で二人の政界の強者は持ちうる観察眼のすべてを使って相手の情報を、考えていることを探った。


 「なにせ私は赤子の頃からこのヤシュニナで貴方の栄えある姿を見ているのです。まだほんの四十年でしょうか。杖を必要とするにはまだ二十年は必要でしょう」


 「四十年は随分長い。人の寿命は大体七十年程度ですからね。折り返し地点はもう過ぎ去った。ええ、折り返し地点はもう過ぎ去った。……お互いにね」


 「確かに……。故国の繁栄を祈り、私は政治家となりました。故国をより良いものにしたい。楽土にしたい、と願って私はただただ進み続けました」


 「進む、とは人の道で唯一定められた選択肢だ。一度足を踏み出せば決して戻ることはできない。人がおぎゃー、と産声を上げた時からもうその道は始まっているのですから」


 そういう意味で自分らプレイヤーは人とは言えないな、とシドは自虐めいた笑みを浮かべた。プレイヤーは死ねば、このソレイユの世界から排除される。しかし死ぬわけではない。また別の存在としてソレイユ内に生まれるかもしれないし、別の電子世界に入ることもできる。


 そんな自分が人の道を語るとは、お笑い草もいいところだ。とはいえ、相手はそのことを知らない。表立ってこの世界は電子世界である、と言っても虚言の類と思われるだろうし、そもそも理解されない。


 「人の道とはシド国務長官のおっしゃる通りだと私も思います。そこに善悪はあるのか、ないのか。私は五年前までそう思っていました。ですが啓示があったのです。それがすべてを変えた」


 「思考の固定は退化と同じ、では?」


 「思考とは常に流動的であるというのは同意します。しかし、意志も流動的であれば、とは思いませんな」

 「ふぅん。意志、ね。思考の起点が意志では?」


 「それは卵が先か、鳥が先か、という話ですから、ここで論議すべきことではないでしょう。――問題は啓示があった、ということです」


 「啓示とは聞くものが聞かなければ、ただの言葉の羅列だろう。つまり、キートン議員が『聞くもの』であった、と?」


 シドの問いにキートン議員は深く頷いた。彼の目には力があり、その回答が嘘ではないことが察せられる。ニンゲンにしては真っ直ぐであり、人としてはどこか胡散臭い。彼の半生を象徴するかのような回答だな、とシドは思った。


 「神は『与える者』であると仮定しましょう。神は人を愛するもの、人に正道を歩ませようとするものです。私はこの点に限れば善神と邪神に区別はない、と考えています」


 「同意しよう。善神は人にそうあれ、という象徴、邪神は人に悪意を知れ、という象徴だと俺も考えている。しかし、であれば本質的に善と悪は同一存在なのか、と思ってしまう。人の道が一本化しているとすれば、そこに善悪の区別はない」


 「その場合、人は道を正すために神の声を受け入れるべきでしょう。神は先導者ですので」


 盲目的だな、とシドは返した。嘲るような口調で、キートン議員の反応を伺った。てっきり怒るか渋い顔をするかと思いきや、キートン議員は殊の外冷静で苦笑してみせた。


 「盲目的である、ということは文化の衰退を見た歴史家が評した言葉でしょう。仮に神を信奉していても、文化が、技術が、文明が順調に進化すれば良いのですから」


 「人の道に部外者が介入するのをよしとするのか?それはまっさらな人の道じゃないだろ」


 「人が生を受けた、という時点ですでにその道は黒ずんでいるのです。血は邪悪、腸は絶望。であれば、人の道を少しでもまっさらに近づけるのが神なのでは?」


 人の道を正す要素として神がある。神とは完成された道を持ち、その恩恵を人に与える上位者だ。神の正道が果たして人の正道なのか、という疑問は残るが、神が人々に干渉し、多くの場合幸福を手にした、とすればそれは神の干渉の正当化になるのだろうか。


 ただ、ここで問題が出て来る。


 単一の存在に神が干渉できる、とすれば神はあまたの存在にもその手を触れさせることができるわけだ。


 つまり本来ならば分岐し不確定かもしれない人の道は、神の干渉によって一切が汚れてしまう、と考えられる。正道が本当に存在するのかは知らないが、神に穢された、と考えられないこともない。


 「穢す、とはちょっと強引な言い方ですな。すでに穢れているかもしれない道をさらに穢す、とは……」


 「さて、な。そもそも俺もお前も人の道云々を語れる立場にはいないさ。すでにどちらも干渉されて、どっちがシロでどっちがクロかなんてものはわからないからな。神に善悪がないとしても、だ。」


 「では、こう考えることはできませんか?人が自らの意志で道を歩むとして、その結果凄惨な地獄が存在している。これは明らかに穢れた道、では?」


 一般道徳で考えると、殺人は悪だ。盗みは悪だ。十戒に定められているから、ではなく、根本的に人に植え付けられた思想観念だ。もし殺人を悪ではない、と定義してしまえば後に残るのは殺人を肯定する力のみだ。


 世を畜生がはびこり、世界はカオスへと突き進んでいくことだろう。ニンゲンの善意を信じることなどニンゲンにはできない。なぜならニンゲンは自己を確立した時点で個人であり、個人同士はどこまで言っても別人なのだから。


 「原初の道徳、いや習慣か?……まぁ、いいや。この世界を構成するあらゆる要素をすべて排除して、ただの良い、悪いで判断するとしよう。――無論、凄惨な地獄が存在する、というなどは悪いことだ。人の死、慚愧の声、あれは見るに、聞くに堪えないものだ」


 「人の争いなどは特に愚かですからな」


 「技術の進歩、と口では語るが、そう語るやつは真なる人の争いを見たことはないからな。とはいえ、事実でもある。という点に限っては争いは有益だ」


 技術を進歩させたいだけなら、別に争いは必要ない。方向性を決めないまま無為に勉学に励めばいい。だが、こと争い――戦争――となれば確定された方向性を示すことで技術は飛躍的に伸びる。


 ただ、その戦争行為自体が悪いことだとすれば、技術の進歩も悪いこと、なのだろうか。


 「有益、ですか。同意しづらいですね。そのために若人を戦場へ向かわせるなど、狂気としか言いようがない。貴方がおっしゃったように真なる人の争いを見たことがないニンゲンの言葉だ」


 「俺は技術の進歩のために戦争をしているわけではないんだがな。今回に限れば……そう。宣戦布告もなしにリストグラキウスが仕掛けてきたことに起因する。我が国の領海を犯し、邪鬼がごとくなだれ込むリストグラキウスは倒さねばならない敵だ」


 「そも、国際条約とは守るべきときに守ればよい、というものに他なりません。つまり、自分にとって都合のいい時だけ振りかざしておけばよいのです。多国間の約定とはいえ、すべての国に利益があるわけでもありませんからな」


 「なるほど。道理ではあるな。しかし、リストグラキウスが宣戦布告もなしに戦争を仕掛けたのは何故だ?メリットかなにかがあったか?現状はプレシア一つ抜けていないようだが……」


 「メリットではありませんよ。啓示です。四柱の神々の計画アジェンダに他なりません。ただ神の命にのみ我らは従うのです」


 「我ら……か。やっぱりキートン議員はもう忠実なる信徒になっていたんだな……」


 残念そうに嘆息するシドに、キートン議員は目を丸くして不思議そうに小首をかしげた。、と思えて不思議でしかなかった。


 「それはそうと話は変わるが、キュースリー議員やヴィーゴル議員を殺したのは予定通りか?」


 「いいえ、ちょっと予定より早かったですね。本来なら貴方を殺し、混乱する状況の中彼らには退場してもらう予定でしたから」


 「それは残念だったな。確かに俺よりも先にあいつらを殺すことで、俺の警戒度を上げてしまったもんな。俺の後にあいつらを殺せば、ヤシュニナはまとまれず、勝手に自壊するもんな」


 予想は大体合っていた。なるほど面倒なことを考える、とシドは薄目でキートン議員を睨みつけた。


 別にシドが死んでもヤシュニナ政府が揺れるということはない。ただの一人に依存する国家体制を築くわけなどなく、国務長官が倒れた後は副国務長官が、その後は軍務長官が国権を継ぐ、という規則になっている。


 だが、現実はそううまくはいかない。まず建国から百五十年の間、国務長官が代わる、ということが起きていないので、引き継ぎの手順はマニュアルに示されているだけで、実践などされたことがないのだ。


 当然その作業中にほころびが生まれることもあるし、国家の指揮系統が揺らぐことは言わずもがなだ。しかし、この権力の空白地帯を埋める存在がある。それこそファウスト・クロイツァーの重鎮達だ。


 彼らならばゴタゴタしているヤシュニナを一手にまとめあげることも不可能ではない。混乱を沈静化させることもできるだろうし、戦争を安定して継続させることもできるだろう。

 そんな彼らも消えてしまっては、ヤシュニナ政府は破綻する。残ったセナや現副国務長官では行政はまとめられても国民の意志まではまとめきれないからだ。


 ――国家を破綻させる計画としては70点といったところだろう。国務長官や国民議会重鎮を殺す、という暗殺に頼らざるを得ないなど、下策も下策だ。初めから安定した平定など求めていない為政者とは思えない計画だ。


 だが、神の奴隷の国たるリストグラキウスが実行する、と考えれば不思議と疑問も沸かない。彼らの神がバカか、人の心を知らない非道な存在であるならなおさらだ。


 「……さて……。もう話は終わった、ということでよろしいでしょうか?」


 「……だな。平行線だ。政教分離のうちと政教一致のそっちとじゃ最初から視ている世界が違う。何億何十億と年を重ねてもわかり合うことはできない」

 「最後に一つお聞きしたい。――貴方は国を愛しておられますか?」


 直後、シドは破顔した。そして歯車が外れた振り子時計がごとく、高らかに大声で気品さのかけらも漂わせず無邪気に笑った。大爆笑、という他ない。魔王が死にひんしても立ち上がる勇者を嘲るが如く、歪で下劣で奸邪な笑い声が自然庭園のガラスの壁で反響し、四方八方から声が木霊した。


 その有様にキートン議員は、ヘルマンは背筋に大ムカデが登ってくる感覚を覚えた。美麗な声、鮮やかなガラス細工を連想させる声のはずなのに、腹の中から湧き出てくる嗚咽が止まらない。目の前の麗人の果てしない心の闇を垣間見、二人は即座に距離を取った。


 ひとしきり笑い終え、シドは腹を抱えながら苦しそうに悶える。まだ余韻が残っていたのか、彼はまだ両肩を震わせていた。


 「ヒキィキキヒヒヒヒイヒヒヒ……!ああ、ああ、ああ!おいおい、オレを笑い死にさせようとしているのか?……ヒヒヒヒ。ああ、おかしぃなあ!いや、アレだな。ジョークにしてはセンスがいいぜ、キートン。オレをここまで笑わせたのはお前が……五人目かな」


 「何を……笑っている?」


 「だからお前のジョークにさ。久しぶりのことだ。今ならお前に勲章の一つでもプレゼントしてやりたい気分だよ」


 キートン議員は恐怖にかられ、首にかけたアミュレットを強く握った。そして一言、アミュレットの効果を発動するための詠唱を行う。


 「メェル……シエル……!」


 直後、一筋の光の柱がキートン議員をすっぽり覆った。光は上下に国務省を貫いて、晴れ晴れしい空に似つかわしい、まばゆいばかりの光をホクリン中にまざまざと見せつける。


 あれはなんだ、とその日のホクリンで市民は口々に叫んだ。答えを知るものなどいない。だが光の柱から感じる暖かな波動は自然と同じ感想を彼らに抱かせた。


 ――「あれは神様だ、神様に違いない」


 だが、光の柱が消え現れたのは万人が想像する天使とはかけ離れたものだった。


  その姿は青く、常に燃焼と鎮火を繰り返すフジツボのような気泡が空いた二本の長い手がまず目を引いた。長い手に反比例して足は半分もなく、ロブスターのそれによく似ていた。背部には黄金の球体と蒼い球体の2つを背負っており、それらはそれぞれ時計回りと反時計回りに回っている。


 頭部は丸っこく、顔は8つの小さな穴が空いた仮面をかぶっているのでよく見えない。ただ、その妙にニンゲンっぽい外見は親近感よりも、嫌悪感を抱かせる。さっきまでは人だった、とは思えない醜悪な天使、四聖教が十大天使の一角、氣の天使たるザウアーシュトッフは静かに雄叫びを上げる。


 そして慈悲無き一撃が無造作に恍惚とした笑みを浮かべるシドめがけて振り下ろされた。


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