第17話 役者と演者

 国務省のロビーは正面に二階へ通じる階段が、入り口付近に受付用の窓口がある、というのが第一印象だ。中は吹き抜け――まぁ天井はガラス張りだが――になっており、下から覗き込むと非常に圧巻だ。


 ロビーそれ自体も広く、まさにヤシュニナの中枢、という肩書が似合う、威容のあるものとなっていった。


 その建物内に足を踏み入れると、すぐにキートン議員らは中の異変に気がついた。

 正面からわざわざ入り、中に入ると同時に戦闘になるかも、と想定していた彼らだったが、出迎え1つどころか、受付もいない省内の景色には気をそがれてしまう。


 緊張の糸がそがれ、構えていた武器を降ろしてチュートン騎士団の面々はぐるりとあたりを見回した。ひょっとしたら伏兵が潜んでいるじゃないか、と思って索敵系のスキルを使うものもいたが、結果はシロ。だだっぴろい省内のロビーには本当に誰ひとりとして人はいなかった。


 今の時刻は午前九時。もうとっくに出社していてもいい時刻にもかかわらず、誰一人いないとはどういうことだ、とキートン議員は眉を寄せた。少なくとも、彼の知る限りではヤシュニナの公務員にストライキをする権利なんてものはなかったはずだ。


 では、どういう理屈で一人も職員がいない?


 まさか、今日が休みだ、と勘違いしたわけではないだろう。ヤシュニナの休日は日曜日だが、その日でも出社しているニンゲンは大勢いる。国務省とはそれだけ激務をこなさねばならない職場のはずだった。


 本来ならいるはずのニンゲンがいない、という事実にキートン議員らは再度警戒のレベルを引き上げる。緩みきった緊張の糸を張り直し、周囲へ惜しみない注意を向けた。チュートン騎士団の面々は武器を、キートン議員はアミュレットを握りしめ、どこから敵が来てもいいように万全の体勢を整えた。


 同時にキートン議員らは思考をめぐらせ、今の現状から導き出せる相手側の意図をさぐろうとした。


 だが、そんなことをするまでもなく、彼らの疑問に答えるかのように一人の麗人が階段の上から降りてきた。


 身につけているのは女学校の制服を連想させる、灰色のブラウスと紫苑のダンガリースカート。黒いタイツ、そしてややヒールが高めのブーツを履き、ブラウスには黒いリボンが付けられている。、ブラウスは袖をまくっており、彼女の細く、きめ細やかな手首が露出されている。彼女の見目麗しい外観の中の幼さを蜂起させる服装に、居並ぶチュートン騎士団の面々やキートン議員は息を呑む。


 彼女の服装は一見すればただの見た目重視の衣装に見えただろう。実際、キートン議員は彼女がただのファッションとして今の服装をしているのだ、と受け取っていた。だが、チュートン騎士団の面々は違う。彼らは彼女のまとっている服がただの布地でないことを瞬時に見抜いていた。


 彼女が身にまとう布はすべて幻想級のアイテムから生産職が創り上げた、神話級アイテムだ。しかも、ただの布地の状態で神話級アイテムなのだから、服として仕立て上げた時にはそのアイテムとしての価値は数倍に跳ね上がる。


 目の前の女性が身につけている服の脅威度にチュートン騎士団の面々は即座に攻撃に対応できるよう、臨戦態勢を整えた。神話級アイテムとはそれだけ恐ろしい。現に神話級アイテム1つしか装備していないアーレスでさえ、プレシア1つを陥落せしめることができるほどの脅威なのだ。いわんや身につけているアイテムすべてが神話級アイテムの女性の危険度は計り知れないものだろう。


 全身を幻想級アイテムで包み込むヘルマンでさえ、息が荒くなる。目の前の彼女の実力がどれほどか、自分にはわからない。見たところ武器を持っていないし、ソーサラーか、テクニシャン系のどちらかだろうか、と見立てて彼女の次の手を伺った。


 「皆様、そう警戒しないでください。こちらにはそちらと戦う意志はありませんので」


 やがて、彼女の、セナ・リヴァイアサンの口から吟麗な声と共に一言、言葉が紡がれる。彼女は両手をあげ、自らには抵抗の意志がないことを示していた。だが、神話級アイテムを持つ相手にその程度のことで警戒を解くほど、ここに押し入った連中もバカではなかった。


 彼らは引き続き、剣や槍、杖を構え、セナの一挙一投足を見過ごさん、としていた。自分のあまりの信用のなさにセナは苦笑すると、やれやれとばかりに大きく頭を振った。


 「一応、武器の持ち込みは許可しますよ?ここはあなた方からしてみれば敵陣ですから、当然と言えば当然でしょう。――ただし、お連れするのはキートン議員と護衛一名のみ、とさせていただきますが……」


 「話にならんな。魔王の腹に挑まんとするのに、聖剣を捨て去る勇者は存在しないだろう」

 「逆に問いますが、勇者は木の船、魔王は土塊の船に乗る、などということがありますか?逆は多く聞きますがね」


 挑発に次ぐ挑発。どちらも互いことなど一切尊重せずに相手を罵り合う構図は言葉こそ丁寧だが、やっていることは子供の口喧嘩まんまだった。


 「そもそも一国の国家元首を相手に護衛を何人もゾロゾロ連れる、という行為が不誠実以外の何者でもないでしょう。護衛を連れる、という行為はこれから相対する相手を信じぬと道理。いえ……。


 ――まぁ、いいですよ。所詮その程度の覚悟しかないんです。自分の命が限りなく百パーセント近く保証されなければ言いたいことが言えないニンゲンなんですよ、あなた方の首魁は……」


 「安い挑発ですな、リヴァイアサン補佐官。自らの安全を普遍的にするための努力をしないのは愚者でありましょうや」


 「キートン議員のおっしゃる通りです。ですが、自らの安全は自らで獲得するもの。相手に要求するものではありません」


 「異なことをおっしゃる。そちらとてこちらの護衛の人数を一人と定めていらっしゃる。これは相手に自らの安全を要求しているのでは?」


 意地の悪い笑みを浮かべてほくそ笑むキートン議員だが、セナはいたって冷静に返答した。


 「なるほど……、ですがハンデを背負っているとしたら、この要求は至極まともなものではありませんか?例えば、こちらは護衛を付けない、としたら」


 「だとしても、です。護衛を付ける付けないはそちらの自由でしょう。なぜ我々が郷に従わねばならないのです?――いや、そもそもこちらはこんなところで問答をする必要すらないのですがね」


 いい加減に問答も飽きたな、とばかりにキートン議員は背後の騎士達に目の前の少女を狩り殺せ、と指示を出す。だが、それより早くセナが動いた。


 「《蜀へ流れよ》」


 それは短い詠唱で簡潔に済ませられるよう彼女が調整した、転移の魔術。指定した人物だけを任意の位置に飛ばす、彼女の逃げ用の一手だ。


 突然行使された魔術に、キートン議員以外の騎士団は冷静に対応しようとする。だが年季の差もあり、対応が間に合うことなくキートン議員とヘルマンの二人は哀れ、ロビーから姿を消してしまった。抗う間もなく一瞬だった。


 残ったのは残った六人の騎士団員とセナの七名。そのほとんどに余裕の色はなく、激高もせず無言でセナへと斬りかかった。


 電光石火、と称すべき速度で六人の騎士団がそれぞれの攻撃の一手をセナの細首めがけて放った。だが、真に賞賛すべきはその速度ではなく、正確さにあるだろう。6つの攻撃は決して重なり合うことがないように一瞬の時間差を作り出して、セナを狙っていた。


 一撃ならばまだしも、6つすべてを受けて平然としていられるのは不可能だな、とセナは察すると今度は別の無詠唱の転移魔術で二階へと移動する。


 6つの攻撃が重なり合う瞬間、まばゆい光がロビーを満たした。余波が二階へ通じる階段を両断し、ガラガラと崩落させた。それを見てセナが、修復費がー、と悲観するが、そんなこと知らんこっちゃねー、とばかりに六人の騎士団はセナめがけてしっちゃかめっちゃかに攻撃を繰り返す。


 本来なら魔力の消費を抑えたり、相手の行動を先読みした攻撃をするであろうに、一時の感情にまかせて威力の高い攻撃を行っている。


 障壁を展開しながら、セナはほくそ笑んだ。こりゃ楽できそーだ、と。


 セナの魔術は防御主体の魔術だ。鉄壁というほど鉄壁というわけではないが、攻撃性能は極めて低い。元より持久戦に主眼を置いており、勝つことなど想定してはいない。戦場の第二線で戦う支援職の在り方だ。


 撃ち出される数々の攻撃をいなし、正面から受け止め続ける彼女の在り方はサイゴウに近いものがある。彼はタンク、セナはサポート、という違いはあるが、戦い方が酷似しているのは確かだ。


 そんな防御ばかりするセナに対し、まだ短時間しか刃を交えていないが、六人は少しだけ焦りを覚えていた。六人の生命力や魔力にはまだ余裕があった。しかし、セナがただ防御のみを行っていることに小さくはない警鐘が鳴っていた。


 中でもヘルマンの次に実力が高いハーヴェンは何度一撃をぶつけてもさして破壊されないセナの障壁に畏れを抱いていた。


 レベル131のハーヴェンではあるが、攻撃力――筋力では戦士職ということもあり、セナとは倍近い差をつけていた。加えて彼のスキル『神聖剣』の効果で威力はセナに直撃すれば半分は彼女の生命力を削るだろう。


 にもかかわらず、障壁は破ることはできない。よほど魔力をつぎ込んでいるのか、と思って偃月刀を振る最中、スキル『魔力測定』でセナの魔力残量を見てみるが、依然として彼女の内在魔力は最大値にほど近いオーロラ色を示している。


 化け物め、と内心でハーヴェンは叫んだ。吸血種の頂点という種族的優位、潤沢な魔力量、そして鉄壁に近い魔術障壁、とどれを見てもレベル150という最大レベルの実力者、と思わされる。


 だが、攻めあぐねていたのはセナも同じだった。楽できそーだ、と思ってはいたが、思いの外相手の攻撃能力が高い。特に偃月刀を持っているハーヴェンが厄介だな、と感じていた。


 今彼女が防御できているのは自分の意識のほとんどを防御に向けているからだ。魔力もすでに消費している。事前に使ったスキル『妨害音波イギーノイズ』で探知系スキルを無効化しているとはいえ、それで騙し騙しできるほど相手も愚かではあるまい、と彼女はうなじに汗を流していた。


 だが、彼女に勝利の目がないわけでもない。


 そもそも、彼女は術士職として決定的に不可欠なものを持たずに戦闘を行っていた。彼女がソレを手にすれば、五分で戦うことができる。無論、勝てるかどうかは彼女の技量次第だが。


 「(この際、多少の被弾覚悟でどっかの部屋に転がり込むか……)」


 これまでは事後処理も考えて廊下やロビー上空で戦っていた。どこかの部屋に飛び込めば、その部屋で行われている作業が滞ってしまう。たださえを休日にしたんだ、これ以上仕事が遅れるのは管理職としてよろしくはなかった。


 だが、状況が状況だけにそうも言っていられない。自分の残量魔力は半分程度。さっさとアレを手にしなくては、とセナは決断すると、近くの部屋のドアを蹴破って、転がり込んだ。


 当然六人の騎士団員は追ってくる、かと思いきや思いの外冷静に入口付近で足を止めた。唐突に逃げ場のない場所へ逃げ込んだセナを警戒し、ハーヴェンらはゆっくりと内部を覗き見る。


 一見して広がっているのはさほど大きくはない仕事部屋。部署としての大きさは二十人も入ればいいレベルだ。白い木机の上には書きかけの書類や手続き書が乗っかっており、まだやらねばならない仕事が山積み、という印象を受けた。


 だが、そんなことはハーヴェンらにはどうでもいいことだ。彼らは術士職を前衛に出すと、容赦なく室内を焼き始める。セナの魔術防壁があれば全くダメージは受けないだろうが、またたく間に部屋中が焼失していった、という事実は彼女に精神的ダメージを容赦なく与えた。


 ああこの犯罪者共め、と机の影に隠れながらセナは泣きたくなった。焼かれた資料、備品の補充、始末書のことを思うと、一体どれだけの費用と時間がかかるのだろうか。


 悲観すると同時に新たに殺意が沸いてきた。これまではせいぜいシドとキートン議員の会談が終わるまで遊んでやればいいや、と思っていたが、今は空前絶後の勢いで彼女の怒りのパラメーターが上がっていた。


 部屋に飛び込んだのは自分で、なおかつ相手が備品なり書類なりをぶちまけることはわかっていた、なんていう理性的判断はとうの過去の思い出となって、セナは自分の切り札たる武装を自分のアイテムボックスから取り出す。

 そして……


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