第19話 神は絶対なれど、不退転にあらず

 「ぐぅ……!?」


 明け方、サイゴウの悲痛な声がプレシアの海に響いた。太陽は東の水平線にうっすらとその玉体を露わにして、紫色の空がゆっくりと青く青く塗り替えられていく。わずかな陽光が海面を照らし、無残にも本体が砕け散ったサイゴウを見て、アーレスは高らかに笑った。


 夜の戦闘ですでにアーレスに盾を破壊され、その身ひとつで奮戦したサイゴウは今やガラクタ同然に海上に浮かぶのがやっとの状態だった。己の生命力がレッドゾーンであり、あと一撃小突かれただけでも死ぬ、と実感できるほど圧倒的な敗北に、サイゴウの瞳の色は七色に点滅する。


 今海上に浮かぶのは彼一人、すでにヴェーザーの援護も消え、相方のジャージャーは夜の間にアーレスによって斬り伏せられた。今はその亡骸だけが小砦の外壁に叩きつけられているに過ぎない。


 前衛であり、切り込み隊長のジャージャーが亡くなったことで状況は一変した。サイゴウ一人ですべての攻撃を受け切らねばならなくなり、彼の防御力を以てしてもじわじわと削られていった。


 ヴェーザーの援護がある内はまだどうにか維持できていたが、そのヴェーザーの援護も「ごめん」の一言共に夜の内に消え失せた。


 それから、サイゴウは一人で聖剣使いと二体の熾天使を相手にして、奮戦した。己の内のあらゆるスキルを、アイテムを、経験を駆使しても、結局自分は間に合わなかった。


 ハハ、とがらんどうの自分の身体からかすれ声のような笑いがこぼれた。結局自分は願いを叶えられなかった。


 サイゴウは元々野盗だった。スコル大陸の南方にあるとある遺跡ダンジョンで、探索してくる冒険者を襲っては金品やアイテム、身ぐるみすべてを剥ぎ取る、という中々に悪質なことをするゲス野郎だった。


 無論、野盗をするのにも理由があり、それは絶対に突破されない無敵のダンジョンの裏ボスになりたい、という願いゆえのものだった。そのためにも彼はひたすら防御に専念し、その果てに、その身体を傷つけられるものなど存在しない、と言われるほど頑強な身体と装備を手にいれた。


 指揮官系の職業を選択したのはダンジョンの裏ボスになるためにも、自らの攻撃力のなさをカバーするためにも、部下は必要だろう、ということからだ。


 やがて、そのダンジョンには裏ボスが存在する、という噂は広がり、サイゴウを打倒するため多くの冒険者がダンジョンを訪れ、結果サイゴウに全滅させられた。


 だが、栄枯盛衰とはあるもので、ほんの二年で彼の全勝記録は終わりを迎えた。それは現在から二十年前のこと、たまたま公務でサイゴウがこもっていたダンジョンのある国を訪れていたリドルとノタの二人がダンジョンに興味をもったことが事の発端だ。


 端的に言えば二人にギッタンギッタンのメッタメッタにボコボコにされたわけだ。その時、ぐぅの音も出ないほど完封されたサイゴウにリドルは軍に入らないか、と情けをかけた。つまるところ勧誘である。


 最初こそ渋ったサイゴウだったが、部下は全員リドルとノタに殺され、このまま国にいることもできなかったので客分という形で仕方なくヤシュニナに入国することになった。


 それから右翼曲折、終いには山から叩き落され谷へ紐なしバンジーされるような人生を経て、サイゴウはプレシアの参謀というポジションに落ち着いた。


 百年をわずかに超える人生だったが、面白いものだったな、とサイゴウは自分の人生を振り返り、瞑目する。彼の瞳がわずかに鈍った直後待ってました、とアーレスは宝剣を一閃する。サイゴウの首は飛び、残った彼の胴体はスキルの効果が消えて水底へと沈んでいった。


 「ふふ……ひっ……カカカカカ!!哀れだなぁ、『黒盾』!故国に見捨てられ、友に先立たれ、最後には自らこうべを差し出すとは滑稽よなぁ!――安心しろ、すぐに貴様と同じ場所に岩城の中の蛇女共も送ってやる。これは神からの慈悲だ。ありがたく頂戴せよ、不届き者め」


 さっきまでサイゴウ『だった』兜を鷲づかみにし、アーレスはここぞとばかりに盛大に死体蹴りをする。情念で醜く歪んだ美丈夫の顔は、猫に人の顔がはっついているような不気味さを彷彿とさせ、邪悪な雰囲気を醸し出していた。


 「だが……。まさか夜明けまで保つとはなぁ……。正直驚いたぞ?私と後ろの熾天使二体を持ってしても、崩すのに苦労する防御があろうとは思わなんだ。とはいえ……」


 得意げな表情でアーレスは大砦を見る。今そびえ立つ牙城はもはや牙城ではない。牙も爪も抜け落ち、死の間際で抗おうとしている哀れな獅子だ。ここはすんなりと介錯してやるのが慈悲だろう、とアーレスは二体の熾天使を引っさげてプレシア内へと踏み込もうとした。


 刹那、アーレスは空気の音に違和感を感じた。それはわずかな風切音だが、平静を取り戻した彼には十分その違いを判別することができた。音が聞こえてきたのは後方。どれほど離れているのかはわからないが、かなり大きな音であるはずだった。


 何かが来る、と意識的にアーレスは背後へ視線を向ける。スキル『千里眼』を駆使して、彼は背後の海色の水平線を睨みつけ、そしてすぐに大きく目を見開くこととなった。


 数にして7つの黒球が自分めがけて正確に撃ち放たれていた。彼が宝剣でそれらを薙ぎ払おうとするよりも速く、黒球は背後の熾天使もろとも水上へ叩きつけられ直後爆雷となって彼を襲った。


 ォォォオオオ!!、と熾天使が嘆き叫ぶ声が聞こえたが、アーレスにとってはどうでもいいことだった。爆雷によるダメージは殊の外大きく、彼の意識は自分の生命力の残量へと注がれていた。


 二割も生命力を削られたが、まだ戦いに支障をきたすほどではない。アーレスはアイテムボックスから回復用のポーションを取り出し、一気飲みしながら自分を攻撃した相手を探した。


 スキル『千里眼』と言っても、別に千里先まで視えるわけではない。最大レベルでもせいぜい目視二キロの範囲を鮮明に見渡せる程度のスキルだ。アーレスのスキルレベルは3なので、鮮明に見渡せるのは六百メートルが限度だろう。


 彼が懸命に攻撃した相手を探す中、再び黒球いや砲弾は降り注ぐ。今度はちゃんと警戒していたので、迎撃することができた。彼の宝剣の斬撃で砲弾は真っ二つになり、内部の火薬が盛大に空中で爆発を起こした。


 「クロリーネ!ポタシウム!海を焼け!焼き尽くせ!」


 このままアウトレンジから攻撃されては埒が明かない、と思ったアーレスは二体の熾天使自走砲に光線を放つよう指示を出す。熾天使はただ咆哮だけをし、大小無数の光線を前方めがけて撃ち放った。


 高温の熱を帯びた二十の光線が水面に触れた瞬間、水蒸気爆発を起こし、その煙が遠い水平線上から登っているのをアーレスは視認した。これで船にでも当たっていれば黒煙を昇らせただろうが、上がっているのは白煙ばかり。そうの白煙ばかりだ。


 すぐさまアーレスはその数の少なさに気づいた。再度アーレスは砲撃を命令する。今度は闇雲にではなく、煙が上がらなかった着弾点めがけてだ。


 すぐさま結果は出た。どす黒い煙が水平線の向こうから上がっているをアーレスはかすかだが視認にした。ピクリ、と彼の頬が引きつった。何かはわからないが、おそらく何かがいる、とアーレスは確信をもって言えた。長距離砲撃を何度も成功させるほどの砲を備えた船かあるいはそれに類似する魔術師か。


 どちらにせよ、こちらもアウトレンジから叩きのめしてくれる。アーレスの号令に呼応して、熾天使の容赦のない光線が海上へと撃ち放たれた。


 上がってくる黒煙はだんだんと近くなっている。数にして3つ。おそらくはまだ被弾していないのも合わせれば五隻か六隻だろう、とアーレスは仮定した。熾天使の光線を食らっても航行できる船など聞いたことがないが、相手がヤシュニナだと考えれば不思議と疑問は沸いてこない。


 一体何が出て来る。人の可能性を私に見せてみろ、とアーレスは目をギラつかせてまだ見ぬ敵との邂逅を待ちわびた。


 ――やがて、その敵は姿を現した。


 全身を鋼で覆い、ガレオン船と同規模の巨体を海に浮かせる海の城。ところどころ外装が溶解しているが、なおも海上に浮くことができるほど頑強に作られたそれは、無骨なデザインも相まって、死線をくぐり抜けた猛将、というイメージを見るものに想起させるだろう。


 その中で唯一、まるで傷を負っていない艦があった。形状は他の船と同じだが、身にまとう威風堂々とした貫禄はこの船が最も濃密に着込んでいた。


 ヴェサリウス級一番艦ヴェサリウス。


 ヤシュニナ海軍北洋艦隊の旗艦であり、最初期に建造された左右の姉妹艦のモデルケース。長女であり、ヤシュニナの新たな時代を象徴するかのような科学と魔術のハイブリットモデルだ。


 さしものアーレスもこの威容に驚かずにはいられない。人の文明の利器は彼のちんけな想像力などとうの昔に追い越して、今厳然たる事実として仁王立ちで彼の前に立っていた。


 だが、真にアーレスを怯えさせたのは軍艦の存在だけではない。彼が瞳孔を見開き、武者震いと恐怖を同時に覚えたのは、ヴェサリウスの船首に立つ、隻腕の男だ。


 ヤシュニナの上級指揮官のみに与えられる栄えある藍墨茶色のトレンチコートを着こみ、身長は180を超える長身の男。腰に帯剣するのは浅黒い柄の剣であり、内包するエネルギー量は一体どれほどアーレスには見当もつかない。


 ヤシュニナ軍司令長官兼軍務長官であるリドルの姿は、ただ立っているだけでいわれのない恐怖と闘争心を同時にアーレスの中に沸き立たせ、彼を当惑させた。


 すぐにアーレスは思った。アレは今ここで殺すべきだ。近づかれては……不味い、と。


 二体の熾天使に命令し、リドルの乗るヴェサリウスめがけて無数の光線が、光弾が飛ぶ。まともに当たればリドルでも生命力の半分は削られかねない攻撃だ。しかし、船に当たる直前に、それらの攻撃はすべて無に帰すことになる。


 光線が当たる直前、何重もの魔法陣がすべてのヴェサリウス級の船体を覆った。巨大なドームを形成し、まんべんなく散らされた魔法陣は一つ一つがプレシアの小砦と同レベルの強度を持っているんじゃないか、とアーレスに思わせるほどの魔力量を帯びていた。


 だが、それを見てもアーレスが動じることはなかった。


 なぜなら熾天使級はそのすべてが防御能力無効化スキルを有しているからだ。いかに防御を厚くしようと、その光線を、光弾を防ぐなんてことはできやしないのだ。


 だからこそ、その過信が彼にとある事実を忘れさせていた。


 光線と光弾がそれぞれ魔法陣と衝突する。衝突すると同時に魔法陣は緑と紫の交互に発光を繰り返した。だがそれだけで、障子に指を指すようにあっさりと光線はヴェサリウス級に命中した。被弾した箇所が溶解し、黒煙をあげた。


 それだけだ。


 まさにそれだけ。ヴェサリウス級に命中した。しかし、ヴェサリウス級が沈むことなどない。各所が溶解することはあっても、それは決定的なダメージとはならない。沈むことなく進み続けるヴェサリウス級にアーレスは疑問符を浮かべるしかなかった。


 なぜ、沈まない?直撃したならば、爆雷と共に水底に沈むはずではないか。なのに未だ私めがけて突き進んでくる。やはりあの魔法陣が原因か?どういう仕組みだ?『黒盾』のようにスキルを使っているのか?いや、そんな兵器を量産できるわけがない。


 では、やはりあの魔法陣?防御を貫通する熾天使の攻撃が効かない、わけではなかった?熾天使の攻撃は通じていた。だが、威力が低い。威力が低い?減衰した?まさか……!


 偶然思いついた仮説に驚愕の色を示しつつ、アーレスはスキル『魔力測定』をヴェサリウス級に行った。


 結果はオーロラ色の魔力を内包したヴェサリウス級の姿。大規模な魔法陣を幾重にも重ね、ドーム状にするという無駄な工程まで付け加えたのにも関わらず、ヴェサリウス級全艦が未だに魔力がみなぎっている、とばかりにオーロラ色に輝いていた。


 「吸収したな……攻撃力を……!」


 スキルとして、相手の攻撃力を魔力に還元する、というものはある。最上位スキルの一つであり、会得できるのは一握りのニンゲンだけだろう。そんなスキルを完全に魔術で再現できるわけがない。おそらくは……一時的な防御結界として相手の攻撃力を半減させる、といった効果の魔術だとアーレスは推測する。


 連続して出せる、ということも加味すればそのあたりが妥当だろう。とにかくこのまま光線をぶっ放すだけでは勝ち目はなかった。


 「クロリーネ!ポタシウム!スキルを使え!」


 だからこそ、この二体のポテンシャルを引き出してやらねば!


 アーレスが命令すると、二体の背後の三対の翼が黄金の輝きを発した。神の威光を顕現させたかのような光はヴェサリウス級を飲み込み始める。


 即座に魔法陣を展開させようとするが、それよりも速くクロリーネのスキルが発動した。


 三隻のヴェサリウス級の動きが急に鈍くなる。不審に思った船員の一人が眼下をのぞくと、船は塩の海、いや塩の塊の上にハマってしまっていた。それだけであればまだ良かっただろう。塩は急速にヴェサリウス級へと侵食を始め、同化せんとしていた。


 スキル『塩生成』の効果だ。光を浴びたフィールドに接触したすべてに塩化というデバフ状態を付与する、という強力なスキル。塩化状態は肉体が塩のように固まっていき、最終的には死亡する、という凶悪無比なデバフだ。


 しかもクロリーネ固有のデバフであるから、知っているものはほとんどいない。一瞬で勝敗が決した、と言っても過言ではないだろう。海へ逃げようにも回りは塩の塊で固められ、降りた時点で一気に塩と化すのは目に見えていた。


 また残る二隻のヴェサリウス級にも等しく熾天使のスキルの効果が発揮されようとしていた。ポタシウムの光を浴びた船や武器はガンガンとその耐久値を減らしていく。


 八色鋼で造られているとはいえ、鋼である以上ポタシウムのスキル『朽崩』の餌食になるのは避けようがない。『朽崩』の効果は至極単純、鋼が使われたオブジェクトあるいはユニットの耐久値もしくは生命力を著しく削減するものだ。この世界のほとんどの装備に鋼が使われている以上、抗うことは不可能であり、自然の摂理と言えた。


 だが……


 「児戯だな……」


 ひとしきり曲芸を見終わった後、リドルは腰の剣を抜き放った。同時に周囲の温度が急激に上がり、塩の侵食に慌てる船員達は息苦しさを覚えた。溶鉱炉の近くで呼吸をしているかのような感覚に襲われ、彼らはゲホゲホと咳こむ。


 彼らは全員恨めしそうな目でリドルが抜き放った身の丈以上の長さの大剣を睨めつけた。


 その剣は浅黒く、龍の鱗を彷彿とさせる荒削りの刃だ。刀身は真っ平らではなく、ところどころ浮き上がったり凹んでいたり尖っていたりと整合性がなく、下手な鍛冶師でもああは打てない、という粗雑さを通り越して、残念感を露わにしたような剣だった。


 その刃を甲板に突き立て、リドルは剣に付与されているスキルを発動させる。

 生きた血管のような紅い管が刃全体からすべてのヴェサリウス級へと伸びた。そして次の瞬間、すべての船艇を灼熱のオーラが包み込んだ。


 「龍のドラグーン・ブラッド……か」


 遠目にその光景を見ていたアーレスは唸った。リドルの持つ大剣、あれは神話級の中でも最上級の代物、自分が今手にする宝剣いや聖剣レス・ゲンスと同レベルの神代の秘宝だ。


 龍鱗ノ太刀、と伝承でのみ語られる大剣だが、その力は絶大の一言に尽きる。そして今リドルが発動させているスキル『龍の血』は伝承の中で度々登場する強力無比なスキルだ。


 その本質は太刀から伸びた血管に触れた無機物の無限再生。その再生速度はとてつもなく速く、またたく間に塩生成や朽崩のスキル効果に打ち勝っていく。ただ、スキルの効果を無効化できるわけではなく、常に再生し続けることで実質無力化しているに過ぎない。


 事実、船は進むがその速度は亀の歩みのようで、とてもまともな戦闘を行えるものではなかった。


 その光景に、アーレスは勝機を見出した。今ならばあの鉄の塊を叩きのめすことができる。――と彼が思うより速く、紅の一閃が空を切った。


 理性ではなく本能でアーレスの右手が動いた。グワン、という鈍い音が響いた。まるで巨大な槌で撃たれたような感触を覚え、アーレスは全身がしびれるのを感じた。いや、それだけじゃない。気がつけば自分の身体は宙を舞い、水切り石のように水上をはねていた。


 宙を舞う中かろうじて見えたのは巨大な柱にも似た大剣を横一閃に振った赤髪の男。ジャージャーやサイゴウなど比べるまでもない、圧倒的速度は自分はおろか熾天使すら反応することを許さない。


 一体どれほどの肉体性能をしている?自分が反応できないなどあっていいはずがない……!自分は神だ、神だ!神を吹き飛ばす?そんなことがあってよいものか!


 宙を舞う間にアーレスは体勢を整えると、スキル『天軀』を使ってリドルへ聖剣の刃を振り下ろした。


 「クロリーネ!ポタシウム!貴様らも私に強力しろ!」

 「は、甘い男だな。たかが熾天使二体でこの俺を止められると?」

 「仲間を助けられん男がいきがるなよ……!貴様の仲間はもうあの世へ旅立ったぞ?」


 「そうか……。まぁお前相手じゃ仕方ないよな。まだプレシアが落ちてないってことは、ジャージャーとサイゴウか。よくやったよ、あいつらは」

 「冷たいことだな」

 「激高しても戻ってこないから、な!」


 リドルの手にあるのは峰の一部が円形にかけた非常に分厚い大刀だ。全長二メートルを軽く超える黒塗りのそれはただ打ち合うだけで自分の何倍もの威力が両手に伝わってくる。


 隻腕であるにも関わらず、と言いたくなるほどの一撃だ。おかげで一撃一撃を受けるだけで自分の生命力が削られていくのを感じる。だが……!


 振り下ろされる大刀を紙一重でかわし、アーレスは勢い良く突きを繰り出した。さすがの反射神経でかわすリドルだが、それでも完全にかわしきれたわけではない。わずかにコートがちぎれた。


 そのかわした隙をつき、クロリーネは光弾を発射する。光線よりも威力は劣るが、精密射撃にはもってこいこの攻撃だ。ほぼ密着した状態で剣を振り合うリドルとアーレスの間も正確に射抜いていく。


 光弾をあえて体勢を崩すことで回避したリドルに今度はアーレスの蹴りが命中する。あえて水上を蹴り、蹴りの衝撃ごと距離を取ろうとするリドルだが、立ち上がろうとした瞬間、眼前にポタシウムが現れ、その十九の腕でリドルを包み込もうとした。


 「甘いんだよ」


 しかしリドルはその手を神速の連撃で打ち払う。そればかりか、大刀を大きく振りかぶり、ポタシウムの腕を三本も切り落とした。ォォォオオオ、とポタシウムの慟哭がこだまする。


 スキを見せたポタシウムを狙わないリドルではなく、彼はスキル『天軀』を使い、ポタシウムの顔面まで駆け登ると、その気色悪い仮面めがけて大刀を突きつけた。仮面を守ろうと光の障壁がポタシウムを覆うが、そんなものはまるで意味を成さず、ポタシウムの仮面は砕け散り、血しぶきが海へとこぼれ落ちた。


 ポタシウムの首のジッパーにも似た巨大な口から張り裂けんばかりの悲鳴が海上中に響き渡った。だが、その姿が消えることはなく、残った手はすべてリドルを捉えんと、彼をめがけて殺到した。


 無限に等しく伸びるポタシウムの手だが、その一本一本をリドルは丁寧に切り落としていく。しかし『天軀』を使いながら手を切り落とすリドルをアーレスやクロリーネがほうっておくわけもない。手の攻撃に集中しているリドルめがけて、アーレスは肉薄し、クロリーネは光線を放つ。


 剣を撃ち合う中、光線を避ける中、手を切り落とす中、わずかにスキが生まれた。リドルがアーレスの剣を弾いた直後、彼は足をポタシウムに掴まれ、水上へ叩きつけられた。


 それだけにとどまらず、怒り狂ったポタシウムはリドルを掴んだまま、駄々をこねる三歳児さながらに彼を何度も何度も振り回したり、海上へ叩きつけたりする。別に海上に叩きつける、振り回すという行為がリドルにダメージを与えることはないが、目まぐるしくかわる景色にリドルは吐き気を覚えた。


 「この……うp……」


 このままでは戦えなくなる、とリドルはどうにか左手の感覚を取り戻すと、勢い良く持っていた大刀をポタシウムの腕の付け根めがけてぶん投げる。リドルが投げた大刀はポタシウムの腕の付け根にめり込むどころか、なんの抵抗もなく通り抜け、一瞬で切断してしまった。


 腕が切られたポタシウムは絶叫に次ぐ絶叫を大口から響き渡らせる。赤ん坊でももう少し泣くのを我慢するぞ、と自由になったリドルは悪態づいた。だがそれ以上の悪態をつく前にアーレスが迫っていた。


 彼が別の大剣をアイテムボックスから引き出すと同時に2つの刃が交錯する。激しい連撃が重なり合い、無数の火花が散る。アーレスの剣技はリドルのそれと同等であり、初手こそリドルの奇襲を許したが、それから今に至るまでほぼ互角の戦闘を繰り広げていた。


 二体の熾天使の援護があるとはいえ、確実にアーレスはリドルを追い詰めることができていた。両者の唯一の違いは運動性能に他ならないが、それすらもアーレスはスキルによる補正で埋めていた。


 両者の速度はすでに音速の領域を軽く超えている。共に人外の領域に立ち、肉眼で両者の動きを見ようならそれは数手遅れた動きになるだろう。


 「どうだ、リドル!私の剣技は今や神の領域に、貴様の領域に達しているぞ!」


 「ああ……。正直驚いているよ。まさか、ただのニンゲンにここまでの技量があるなんて思いもしなかった」


 「そうだろうよ。貴様は五年前とまるで剣速が変わっていないからな!」


 「そうだな……。ほんと優秀だよ、お前は。俺の見てきた剣士の中じゃ、ベスト10に入るんじゃないか?」


 「は!強がりはよせ!今や私の技量は貴様を超えているとなぜ認めん!達するなどとは謙虚の表れに過ぎん!今や私の技量は貴様を超えているのだよ!」


 肉薄するアーレスにリドルはため息をつく。ここまで自惚れが強いやつだったか、と落胆していた。


 確かに技量で言えばアーレスは自分に達している。しかし、それまでだ。最初からこちらは技量勝負などするつもりもないのだから。


 刹那、アーレスは自分の聖剣を握る感覚を失った。ハッとしてアーレスが顔をあげると、大きくボロボロの大剣を振りかぶるリドルの姿があった。とっさにアーレスは自分とリドルの間にもはや死に体のポタシウムを割り込ませる。


 しかしそんな肉盾はなんの役にもたたず、一瞬で両断されてしまう。断末魔すら上げることなく、十大天使の一角は姿が塵と化した。


 「な……あ!」

 「スキル込みで戦えばこうなるんだよ、わかれ」


 クロリーネを差し向けようとするが、それより速くずっと速くにリドルが動いていた。もはや神速などという領域ではない。瞬間移動に等しい速度でリドルの大剣がクロリーネの歪な頭部を身体から切断していた。


 「ばか……な……」

 「楽しかったよ?途中まではね。たださ、お前程度じゃ準備体操にしかならないんだよ。少なくとも肉体性能だけでお前ら人種が言う神速の領域に達するにはさ」


 「スキルもなしに……あの速度?ジャージャーとはまるで格が違う……」


 「ジャージャーは元々戦闘職じゃないからな……。お前は同じ職業だからって、ベテランとアマチュアを比べるわけ?それに……スキル込みでもその指、ジャージャーに切られたんだろ?だったら、俺の速度についてこれないのは必然さ。――練度ってのが違う。こっちには一世紀半以上の研鑽の歴史があるんだぞ?」


 馬鹿な、馬鹿な、とアーレスは口元を震わせる。どうして……こうなる?五年前は自分の練度不足だった、それは認めよう。だから計画成就のために五年間ひたすら修行に明け暮れた。


 なのに、なのに、なのに!


 努力はなんの役にも立ちはしない。神は私を、俺を祝福してくれない。サイコロ遊びしかしないクズ共が……!


 《だったら、どうする?》

 「(目の前の野郎を……殺したい……!)」


 《結果として君はなくなるよ?魂のかけらに至るまでね》

 「(これまで助けてくれなかったのに……!)」


 《ボクらは依代がなきゃ顕現できない》

 「(じゃぁ、早く俺を使えよ!神だろうが、お前は!)」


 《ああ、もちろんさ。ボクの友人、いや友神の土地を取り戻すために、ボクは天界から君達の前に現れたんだから、少なくとも建前上はね》


 その声は可愛らしく、無邪気な子供のそれだった。あどけなく、ただ無為に時間を過ごす幼児のそれ。悪意もなければ善意もない。子供がアリをプチプチ潰してなんの感傷も抱かないのと同じように、その声の主はただ己のエゴでアーレスを押しつぶそうとしていた。


 アーレスは自らの自我が消えようとしているのを感じた。とても気持ちいい。両親や洗礼の神父、幼少期を共に過ごした友人、教皇や枢機卿の面々、共に戦った戦友、自分が殺した強者達。そのすべてが順番順番に消えていく。自分を構成するものすべてが消えていっているのに、拭いきれない甘美をアーレスは感じていた。


 子がはらに戻っていくことを切望し、実現した時にこう感じるのかもしれない。暖かな液体の中、アーレスという存在はその自我を完全になくしていった。


 《アーレス。ボクは君さ。君は神になったんだ。おめでとう。ようやく絶対の存在になれたんだよ?おめでとう、道を外し最強への道を切り捨てたことを!》


 もう声は届かない。もう考えることはできない。もう何も知らない。アーレスは契約を交わした。決して後戻りのできない神との契約を。


 契約を交わすと同時に変化は起こった。アーレスめがけて彼の聖剣が突き立てられた。背中まで貫通しているにも関わらず、身体からは血の一滴たりとも溢れる様子がない。


 いきなり突き刺さった聖剣にリドルは度肝を抜かしたが、すぐに冷静に対処しようとする。だが、一手遅かった。リドルが首をはねようとすると、半透明の障壁が張られ、彼の一撃を弾き飛ばした。


 「つ……!ああクソ。シドのクソフラグが……!おい、向こうのスキルの効果は切れただろ?今すぐ炉を最大稼働にして、プレシアの港に突っ込め、さっさと中を開放しろ!」


 もはや止めようがない、と悟ったリドルは急いで通信用アイテムでヴェサリウスのブリッジに海域からの撤退を指示する。援護を、という声が上がるが、全てを一蹴してリドルは、さっさとしろ、と叫ぶ。


 そして……その最中一筋の光の柱が天上からアーレスめがけて降り注いだ。それは熾天使二体が顕現した時よりも太く、光の密度がまるで違う。『魔力測定』で見ても、内包している魔力量が桁違いだ。通常の最大魔力量を示すオーロラ色を通り越し、赤紅色を示していた。


 「レイド……モンスター?」


 「《おいおい、ボクを見た一番の言葉がそれかい?なるほど、プレイヤーっていうやつはリアクションが薄いらしい》」


 赤紅色の魔力量はレイドボスの証であり、熾天使などまるで意に返さない圧倒的な存在感を放っていた。


 やがて光の柱の中からコツコツという靴音と共に一人の少女が現れる。幼さを内包した外見をしており、透き通るようなプラチナの肌が特徴的な子供。一切の衣服を身に着けておらず秘部があらわになっているが、性欲が湧き上がることは決してない。さしたる危機感を抱くような外見でもなかった。しかし、続いて現れた彼女の背後にある物体を見て、リドルは一気に危機感をマックスに上げざるを得なくなる。


 彼女の背後には卵巣に似たオブジェが浮かんでおり、いくつかの管が彼女の背中に張り付いていた。そればかりではなく、無数のスプリング・植物エフェメラルが卵巣の上部から無造作に生えており、キクザキイチゲ、セツブンソウ、ニリンソウ、とあまり縁起のよろしくない植物が並んでいた。


 慈愛の女神、プライトン。


 その名称ネームサインがリドルの視界に写る。ネームサインはすぐに消えるが、感じた悪寒はそう簡単に消えることはない。久しぶりの強敵にリドルは武者震いを覚えた。自分一人では決して勝つことができないと確信できる最上位のレイドモンスターは冷たい笑みを浮かべ、その権能を露わにする。


 「いいぜ、こいよ。俺の、『剣聖』の戦ってのを見せてやるよ、死に体女神!」

 「《はははは、好きよ剣聖!そんなに情熱的なのはエティ以来だからね。ボクもフルスロットルでいっちゃうよー!》」


 両者の間に閃光が走る。ただの衝突で周囲の海水が撤退するほどの一撃を生じさせて。


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