第21話 竜王の憂鬱

 原初の竜王アーブルムというのは、ヒトが勝手につけた俗称に過ぎない。

 よって彼女にとって、その名は何ら意味を成さない無用の長物でしかなかった。

 いやむしろ、忌々しい人間どもが何の許しも無く手前勝手に付けた名前など、嫌悪の対象以外の何物でもなかった。

 そう、グノウと出会うまでは。

 唯一認めた我が盟友。

 悠久なる孤独の中を生きてきた己よりも尚、気高く強き戦士。

 比類なき王たる己が誰にも理解されぬは必然なれど、ヒトの中にあり、何人ともわかり合えぬ彼以上に孤高たる存在があり得ようか。

 そのグノウが己を指してアーブルムと呼ぶのなら、その名には価値が在る。

 卑小な人間共への嫌悪感なぞ、どうでも良い。

 更に言うなら、グノウは愛称のアビィでよく呼び慣らす。

 ならばいっそのこと、己が真名はアビィで良いぐらいである。

 久方ぶりにグノウと離れたアーブルムは、そんな事を思っていた。

 魔人をも遥かに凌駕する頭脳を持つ彼女は、常に何重もの思考を巡らせる事ができるが、その殆どは小さな友の事ばかりだった。


「そこで色仕掛けだとよ」


 ヒトの耳には聞こえぬ声で鬼の手の者が密通をしてたが、竜族特有の並外れた聴覚を持つアーブルムには筒抜けである。

 耳障り故に聞きたくもないが。

 どうやら愚かな鬼の子が、小賢しい策を弄しているようだ。

 馬鹿馬鹿しいと、アーブルムは無視する事にした。

 そんな事で、グノウをどうこうできる筈も無い。


「まあ、あの成じゃ意味ないかもな! なにせ小さ過ぎて役に立たんだろうぜ!」

「ハ! ちげえねえ!!」


 アーブルムは怒りの雄叫びを上げた。


「な!? ドラゴン!!?」

「……おい! コイツはあの小人の……!」


 今更後悔しても遅い。

 偉大なる友が、下賤の輩に侮辱されたのだ。

 噛み殺されるぐらいは当然の報いである。

 アーブルムは卓越した精神力を備えるが、ヒトの様に怒りを我慢する習性はない。

 その必要がなかったからだ。

 だからこそ獣の本能の赴くまま、僅かな苛立ちで暴れまわる。


「あの人が悲しむわよ?」


 鬼共を庇う様に、ひとりの女が現れた。

 忌々しい、仙女ソルモン。

 アーブルムは更に大きく口を開き、周囲を吹き飛ばさんばかりに咆哮した。

 愚かな鬼共が吹き飛んでいたが、最早どうでもいい。

 怒りの対象は今や、この女である。


「あの人を引き合いに出したことがそんなにムカつく?

 お生憎様。

 わたしも、貴女にムカついているの」


 言うとあの女は三面六臂の姿となり、幾つもの魔術を発動させ始めた。

 そしてアーブルムごとどこか別の場所へと瞬間移動した。

 何を考えているのかは不明だが、面倒な事をしてくれる。


「面倒な事にならない様に場所を変えてあげたのよ?

 ここでなら好きなだけ暴れられるでしょう」


 「勝手に意識を覗くな!」とアーブルムは唸った。

 本当に、腹立たしい女である。

 グノウも我が意を読むが、それは心が通じ合っているからだ。

 そも友は、無遠慮に他者の思考を覗き見るような浅ましい真似はしない。


「わたしにもそんな趣味はないわ。

 でも、貴女を怒らせる為なら易いことよ――!」


 幾つもの法具を飛ばしてきた。

 その何れもが、並みの魔人をも一撃で仕留められる程の威力を宿していたが、アーブルムにとっては蚊に刺される程度のものである。


「あら? 蚊にも毒はあるのよ?」


 アーブルムは体躯が鈍るのを感じた。

 どうやら法具に宿った過剰なまでのエネルギーは、その毒とやらを覆い隠すための布石だったらしい。

 「小賢しい!」とアーブルムは毒を無効化した。

 正確には、体躯に侵入した異物を毛穴から排出しただけだ。

 異物一つ一つに面倒な魔術がかかっていたが、竜王たるアーブルムからすれば容易いことである。


「……流石ね。

 数多の魔人たちを即死させてきた術だったのだけれど」


 「片腹痛い! その程度、我が体躯を痺れらせる事すら能わぬ!」とアーブルムが嘲笑するように唸った。

 仙女が距離を取る。

 いったいこの女は何がしたいのか。

 全く以って不愉快である。


「知りたい? わたしが何にムカついているのか――」


 別に聞きたくも無かったが、おそらくグノウに関する事だろう。

 ならば、僅かながらも話を聞かぬ事もない。


「そういう所よ!」


 仙女が四人に分身した。

 アーブルムの巨躯を四方から囲み、印を結ぶ。

 「下らん!」とアーブルムはソルモンと同じ術を逆算し、彼女と同じ姿をした黒い分身体をぶつけ術の発動を阻止し、分身を潰した。


「……それだけの。

 それだけの力がありながら、何故貴女は何もしないの?」


 「何もしない? 痴れ者が! 我はグノウの――」とアーブルムが思考しかけたが――。


「道具になり下がったの? 原初の王が?

 グノウに、その重責を押し付けて?」


 「重責だと? そんなものは押し付けてなどいない! そも――」とアーブルムは反論しかけたが、ソルモンは畳みかけた。


「竜の誇りを取り戻す事が、貴女達の悲願ではなかったの?

 原初の刻に、別たれた“母”の為に――」


 アーブルムは大地が震えひび割れる程の雄叫びを上げた。

 地中からマグマを噴出させ、晴天に雷雲を呼びせる程に。

 「貴様に何が解る!?」アーブルムはそう意志を込めて睨みつけた。

 その眼力は、ソルモンを鎧っていた防壁の何層かを打ち破り、三面六臂の術を解いた。

 ――悲願。

 アーブルムは怒りに奮えながらも、その言葉に思いを馳せた。

 原初の刻、かつてこの宇宙を彷徨っていた“母”は、“神”に敗れた。

 その大いなる骸はやがて蜷局を撒き、一つの星となった。

 それがこの星である。

 アーブルムは、“母”の骸から最初に生まれた子供だった。

 彼女は永い時を生態系の頂点として君臨していたが、それはある時を境に終わりを告げた。

 ヒトの誕生である。

 “母”の骸が“神”より受けた淘汰圧によって変化し誕生した存在。

 忌まわしき“神”の姿にも似たヒトは数を増やし、この星を我が物顔で闊歩し始めた。

 それが許せなかったアーブルムは、ヒトを、人類を根絶やしにしようとその力を振るったが、彼女に滅ぼされかける度に人類は生き残るための力をつけ、魔法を生み出し、魔人へと進化していった。

 だがそれでも、誰一人としてアーブルムの敵ではなかった。

 “彼の存在”が現れるまでは――。

 悠久の時を生きる彼女は、いつか人類を駆逐できるだろうと油断していた。

 “彼の存在”は“母”の中枢が永い時をかけて進化し、この世界に降臨を果たした。

 それはいわば、“神”を模した“母”の生まれ変わりだった。

 “母”の力の殆どを受け継いだ“彼の存在”は、生まれながらにアーブルムを超越した存在だった。

 アーブルムは絶望したが、自らを進化させることで“彼の存在”を超えようとした。

 その時より、“彼の存在”に打ち克つ事こそが、全竜族の悲願となった。

 アーブルムは同族の竜を喰らい、進化を試みた。

 竜には、喰らった存在の力を継承する特性がある。

 知能の高い竜族は、己よりも強い存在に逆らう事はない為、皆大人しく王たる彼女の糧となった。

 だが、幾ら同族を喰らおうとも、彼女が“彼の存在”を超える事はできなかった。

 当然である。

 竜族の頂点こそがアーブルムなのだ。

 彼女が更なる力を得るには、己をも超える存在を喰らわねばならなかった。

 アーブルムは次に、魔人を喰らう事にした。

 魔人の力は竜族より遥かに劣るが、それぞれが不思議な能力を持っていた。

 おそらく“神”を模した事で手に入れた力だろう。

 アーブルムは屈辱を覚えながらも、魔人の力と魔術を継承していった。

 だが、その過程で知り得たのは、例え全ての魔人を喰い尽くそうとも、“彼の存在”を超える事はできないという現実だった。

 未来や真実を見通す魔術を手にした時、アーブルムは足掻く事をやめた。

 それは、耐え難き屈辱であった。


「その屈辱を晴らす可能性を、グノウに見た。

 それはいい。

 でも、その血塗られた竜の呪いを、あの人に押し付けないで!」


 「違う!」とアーブルムは吠えた。

 敬愛する友に、そんなものを押し付けるつもりなどは無い。


「何が違うというの?

 貴女とあの人を繋ぐ絆を、わたしは疑わない。

 でも、貴女はグノウの道具になろうとしている」


 「違う……!」とアーブルムは哭いた。

 だが、そこに先程の覇気は無い。


「……せめて道具なら、片時も離れず彼を守ってあげて。

 …………お願いよ――」


 言い終わると、ソルモンは無防備に泣いていた。

 今の状態ならば、爪でひと掻きすれば殺せるだろう。

 だが、その気にはなれなかった。

 この女が嫌いだ。

 性別が雌しか存在しない竜族であるアーブルムに、男女の情事など理解できない。

 だが、グノウが男として度し難い劣等感を抱いている事は知っている。

 この女は、グノウの雄の部分を癒す可能性を秘めている。

 その気になれば、グノウの小さな身体に自らの大きさを合わせる事ができるからだ。

 なのに、それをしない。

 グノウに想いを寄せておきながら、雌としての機能を果たさないでいるのだ。

 アーブルムには、それが腹ただしくて仕方がない。

 何とも言えない遠吠えをすると、アーブルムは飛び立った。

 友の元へ向かう為に。

 「グノウを守れ? 貴様なぞに言われるまでもない」とアーブルムは飛翔速度を上げた。

 ヒトの雄は雌と番となり、子を成して初めて雄として確立するらしい。

 だが、アーブルムに言わせれば、そんなものは進化を目的とする生物であるならば当然の摂理である。

 子が成せないから、何だと言うのだ。

 たった一代で、生まれ出でて僅か十余年で進化の特異点に到達したグノウには、人類など、いや、竜族でさえも及びもつかぬ程の価値がある。

 アーブルムは、友にその事を伝えたかった。

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