第22話 隻腕明王

 指先ひとつ動かせない。

 まぶたも閉じれず目が痛い。

 「オラはこのまま死ぬのか?」とタクマは焦りに焦っていた。

 腹がグーグーと鳴り、城中に鳴り響く。

 あれから半日、何も食べていない。

 腕を失くして落ち込んで以来、飯が喉を通らなかった。

 こんな事なら、修行を開始する前に食べておけばよかったとタクマは後悔した。

 いや、あの師匠の事だ。

 自分を追い込む為に、敢て弟子の意見を却下していただろう。

 とにかく、このままでは本当に飢え死にしてしまう。

 タクマは何とか気持ちを落ち着かせ、身体中に意識を込めた。

 師匠は自分で考えろと言っていた。

 つまり、これまでの修行の中に答えがある。

 師としてのソルモンは厳しいが、決して理不尽な修行法は伝授しない。

 一見無茶苦茶に思えても、そこには必ずヒントや答えを忍ばせているのだ。

 タクマは仙気を練ろうとした。

 通常、仙気を練る際に発動の為に印を結ぶのだが、片手しかないタクマに印は結べない。

 ならば、印に代わる仙気発動の何かを編み出せば良いのではないか?

 だが、どうすればいいかが皆目見当が付かなかった。

 そもそも、仙気を発動する為に印を結ぶのだ。

 動けないのでは、例え印を組む他の方法を見つけたとしても一緒である。

 堂々巡りだ。


「大丈夫?」

『おう? その声はシンか?』

「うん、オレだよ……」

『オメー、オラの声が聞こえるのか?』

「え? あ、うん。

 頭に何かこう、ひびく感じ?」


 どうやらタクマの思念は他人に伝える事ができる様だ。

 これは大きな前進である。

 万が一は、シンに頼めば師匠に助けを呼べるだろう。


『シン、頼みが――』

「ごめんなさいっ!

 オレのせいで! 腕が……! 

 それに、あんなこと言って……!」


 あんな事とは、「鬼なんかに助けられたくない」と言った事だろう。

 シンは親を鬼に殺されたらしい。

 ならば、そう言いたくなるのは当然の事だ。


『そんな事気にすんな!

 オメーは何も悪くねえ。

 それよか――』


 タクマが言いかけた時、巨大な轟音が鳴り響いた。


「なっ!? なんだっ!?」


 慌てて窓から身を乗り出したシンは、そのまま固まってしまっていた。


『シン! 何が起こった!?』

「水が! 津波がくる!!」


 密偵から、水責めの策の通達があった。

 城の周りに堤を造り城の周りを水没させ、小人を逃がさない様にする為の策である。

 タクマ達は城壁を造るふりをして、頑丈な堤を築いていた。

 ならば、これはオヤジ殿の意志による開戦だろう。

 だが、津波とはいささか大袈裟ではないか?

 そんな大量な水に心当たりは無い。

 せいぜい、近くの川を引き寄せる程度のものの筈である。

 それに、これはあくまで策の第一段階のものでしかない。

 グノウと戦うにはあまりに心許ないとタクマは困惑した。


(何で今なんだ?

 開戦は城の全てのカラクリが完成し……そうか! オラだ!

 オラがグノウの旦那と話した際、常に一緒にいた竜がいなかった!)


 タクマは修行のお陰で相手の気を感じ取れるようになっていた。

 だから、グノウの乗っていた剣がいつもの、竜の変化したものでないのはわかっていた。

 無限にも思える程の底無しの魔力を無理矢理一振りの剣に凝縮させた様な、竜の剣。

 刀身から柄頭に至るまで、まるで聖剣の如く光り輝く美しい白金の剣だったが、そこから漏れ出る波動は、まるで無数の竜が互いを喰い合いのたうち回っているかのようなおぞましいものだった。

 あんなものは、この世に二つと無いだろう。

 あの時乗っていた剣にも強大な力を感じはしたが、竜の剣とは比べるべくもなかった。

 おそらくグノウは、タクマと腹を割って話しをする為に竜を伴わなかったのだろう。

 そしてその事を密偵が持ち帰れば、オヤジ殿ならば動く。


『……オラのせいだ。

 オラが旦那に八つ当たりなんかしたせいで、こんなことに……。

 すまねェ、シン……!』

「それはタクマのせいじゃないでしょ?

 悪いのはあの偉そうな赤鬼だ!

 これもアイツのせいなんでしょ?」


 オヤジ殿を悪者扱いされるのは気に入らないが、鬼嫌いの子供に言っても仕方がないので気にしない事にした。


「それに心配いらないよ!

 グノウがいればどんなに鬼が来ようとへっちゃらさ!

 だってグノウは強いんだから!」


 「オラもその鬼なんだが」とタクマは思いつつも、グノウを頼る気持ちは同じだった。


『けどよ、旦那はここにはいねェ!

 巻き込まれる前にオメーは逃げろ!』

「イヤだ逃げない!

 タクマを放っていけないよ!

 こんな所で寝てちゃ踏み潰されちゃうよ!」

『……シン、オメー……』


 タクマはシンが自分を助けようとしている事に感激しつつも、それでもいいから逃げろと言おうとした。

 その時――。


「出てこいチビィイイイ!!

 このスサマ様が来たからにゃア! テメエを木っ端……」


 扉をけ破り、スサマと名乗った傷だらけの青鬼がタクマ達を見て固まった。

 どうやら、ここに小人がいると踏んで突撃した様だが、当てが外れたらしい。


「……チ! 外れかよっ!

 何だテメエ等?

 あん? 人間のガキじゃねェか?」


 スサマがシンを餌でも見る様な目で舌なめずりした。


『止めろっ!!』

「うをっ!!? ビックリしたっ!

 頭ン中から声が聞こえら!

 ……テメエか? 木偶の棒。

 ハッ! 怪我人かよ!?」


 どうやらタクマを見て動けない怪我人と判断した様だ。

 まあ、間違ってはいないのだが。


「怪我人はすっこんでな!

 こっちは朝から走りっぱなしで腹減ってんだ!

 お預けとは行かねェぜ!」


 やはり、スサマはシンを喰おうとしている様だ。

 強い鬼ほど、食糧として人間を好む。


『止めろってんだ!

 食うならオラを喰え!』

「アアッ!?

 テメエ寝ぼけてんのか?

 何で鬼が鬼を喰うんだよ!?」

『どうせオラは動けねェ……!

 なら、まずはオラから食ってくれ……!

 子供の悲鳴なんざ聞きたくねエ!!』


 タクマは硬直するシンにだけ聞こえるよう『今の内に逃げろ!』と思念を送った。

 だが、シンは恐怖で動けない様子だった。


「ああ、そうかよっ!!」

『ぐわあああああああッ!!!』


 スサマがタクマの腹を思い切り踏みつけた。

 先程まで全く無かった感覚が一気に戻り、全身に電撃の如き激痛が奔った。


「だったらお望み通り眠らせてやんよ!

 テメエみてぇ甘ちゃんなんざ喰った日にゃア弱くならァ!」


 何度も踏みつけられ、のたうち回るタクマ。

 もしも体が動くなら、のたうち回り――。


(あれ?)


 タクマが動かなくなったのを見て、スサマはとどめの一蹴りをして、シンの方に向き直った。


「ハッ! 情けねえ! もう眠っちまったか!?

 まあいい……これでようやく――」

「あ……」

「メシの時間だッ!!」


 怖くて動けないシンにスサマが飛び掛かる。

 その獰猛な牙が腕に食いつき引き千切る。

 誰もがそうなると予想していた。

 ただひとりを除いて――。


「ガッ!? へめえっ!」


 シンの前に、大きな背中が立っていた。

 その男はスサマの牙に自分の腕を喰いつかせ、他二本の腕で羽交い絞めにしていた。

 その背からは、四本の腕が見えていた。

 一本だけ、途中から先が無い。


「聞こえなかったか?

 止めろと言ったんだ」

「なっ……!? ははへ!!」


 スサマは敵の腹を蹴り飛ばすとその勢いで無理矢理拘束を解いて後ずさった。


「クソォッ! 何が起きた!?

 テメエみてェな弱虫がどうなってやがる!?」

「そう、俺は弱い。

 だからこそ手に入れた、力だ」


 焦るスサマに対し、先程とは別人の様に堂々と振舞うタクマ。

 全身を迸る仙気の影響か、口調と形相が変わってる事に本人だけが気付いていない。


「……隻腕の癖に!

 その面ァ、まるで明王じゃねえか……!」

「明王? 俺が?

 そんな大層なものではないが、いいだろう。

 俺の名はタクマ。

 隻腕明王タクマだ」

「しゃらくせエッ!!」


 スサマが消えた。

 以前のタクマであれば、そう見えただろう。

 だが、気で相手を見据える今の彼には大した速さではない。

 タクマは敢えて紙一重で攻撃をかわすと、スサマの腕を掴んで動きを封じた。


「は! 放せ!」

「だったらもう、その子供に手は出さんと誓え。

 そう言えば放してやる」

「わ、わかった! わかった!

 あのガキに手は出さねえ!

 だから放せって!」


 タクマが素直に手を放すと、スサマが蹴りを繰り出してきた。

 「テメエに攻撃しねェとは言ってねえぜ!」といった顔で。

 だがそれも、今のタクマには通じなかった。

 タクマはスサマの足首を掴むと、思い切り床に叩きつけて真横にぶん投げた。

 スサマは「グギャア!!」と悲鳴を上げ、壁に激突し気絶した。


「シンに手を出さんなら、それでいい。

 俺の事は気にするな」


 タクマは微動だにせず、後ろでのびている敵にそう告げた。

 聞こえてはいないだろうが。


「……カッコイイ」


 シンが何かを呟いた様だが、よく聞こえなかった。

 それよりも、強い気配にタクマは身構えた。


「シン」

「は、はい!」

「強い気を持つ者がこちらに向かっている。

 おそらく手練れだろう。

 俺が囮になるから、お前はその通気口から逃げろ」

「はい!」


 何故だかやけに素直な返事だったが、まあ、良い事だ。

 タクマは今一度仙気を高め、侵入者に備えた。

 今の自分なら、師匠の様に三面六臂とはいかないまでも、腕を六本まで生やすことができるだろう。

 そうすれば、最大二つの印を組むことができる。

 二つの術を組み合わる事で、タクマの戦闘力は飛躍的に向上するだろう。

 腕を六本生やす事に成功したタクマは、焦る事無く瞑想した。

 例えこの瞬間にどこから不意打ちされようとも、気の流れで全てかわせる自信がある。

 殺気を感じた。

 不意打ちではない。

 おそらく相手は礼節を重んじる武人。

 ならば、まずは相手を見定めよう。

 タクマが目を開いたと同時、白虎に騎乗した鎧武者が飛び込んできた。


「ぬ? 阿修羅か!? そなたは……?

 スサマ!?

 おのれ! 貴様、よくも同志を!!」


 タクマは放心していた。

 その女武者が、あまりにも美しかったからだ。


「我が名はゴウマ!

 いざ! 尋常に勝負!」


 何て素敵な名前だと、タクマの頭はそればかりだった。


「構えぬか?

 油断ならぬ奴!

 キエエエエエエエエエエッ!!」


 ゴウマの強烈な槍に薙ぎ払われ、タクマはひとり宙を舞った。

 彼はその一撃で恋に落ちた。

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