第44話 いちばん好きなひと

「身体だけいてくれれば良いから」。

 妻にすがりつかれてさ、突き放せなかったんだ。


所詮、体裁だけの家族なのに。思うに、料理教室を主宰する妻にとって、

離婚はダメージになるだろ。

 

若い生徒たちには、憧れの奥様みたいに思われているみたいだしな。

 それにしても・・・。

 「身体だけ」なんていうけど、それって苦しいな。

 

とにかく、夕飯が終わって息子が寝室に入ったら、

すぐにお前のところに行くから待っていてくれよ。


 今夜は俺の好きな海老のチリソースになんだけど、まぁ、教室を開くだけのことはあるよな。妻が料理はうまいのは、当たり前のことさ。

 

お前には料理なんかさせないよ。毎日外食したって、構わないじゃないか。デリバリーサービスも豊富だしさ、今はそんな家族のほうが多いらしいよ。

 

それにしても、息子の奴、俺にまったく似てなくて、かわいくねぇんだ。妻の親族にそっくりさ。

 おちょぼ口で理屈っぽい。

 まだ三歳なのに、

 「この海老はインドネシア産かな」

 なんて言ってるよ。

 俺は食後のタバコをテラスで吸いながら、お前にメール打ってるよ。

 今夜はお前の家に泊まるから、いまのうちに身体を休ませておけよ。

 お前の好きなモンブランのケーキを買って行くよ。

【送信】

 

若い女は、若い男の身体にまたがったまま、受信メールを読んでいる。

「よせよ、こんな時に」

 若い男は携帯を取り上げて、放り投げた。

「あら、珍しい。妬いているの?」

 女は、うっとりして言うと、なだめるように男を抱きしめた。

「だって、身体だけで良いって言うんだもん。あのおじさん。心はいつもあなただけのものよ」

 

若い男は、頭の下で手を組んだまま女の愛撫を受けている。

 (身体だけなんだよ、お前なんか)


若い男はおちょぼ口を更に尖らせて、本当に愛する女性と、

その女性が産んでくれた、自分にそっくりな息子のことを考えていた。


料理教室の後で、先生と愛し合う時のことを考えて、男は身体だけの女を抱いた。


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