第13話 なんとなく男を殺したくなった女 M20才

スキー場を出てから高速までの道は、渋滞していた。


雪道をスキーやスノーボードを積んだ車がのろのろと走る。

数百メートルごとに路肩に設けられているチェーンの脱着所では、もうもうと排気ガスに包まれて、数台の車が停まっている。


これからの上り坂に備えて、チェーンをつけるために屈む人たちの頭や身体には、みるみる雪が積もっていく。


助手席の奥さんは車に乗ったまま、夫の作業を見ることもしない。若いカップルだと、運転席に座った女が窓から顔を出して男の作業を眺めていた。


私だったら、あなたと一緒に雪に降られながら、地面にしゃがみこんで、タイヤを覗き込みたいな。


あなたが吐く息が、綿菓子みたいになって、ふわふわと私の口に入っているくらいの距離で。


「馬鹿じゃないのか、あいつら」


 私の空想を、あなたの声が断ち切る。


「何で、冬用タイヤを買わねぇんだよ。あんな思いして地べたにはいつくばって、馬鹿じゃねぇの」


 あなたが渋滞に苛立っているのはわかるけれど、私が叱られているみたいな気分になって、悲しくなるよ。

話を逸らした。


「そうそう、Mちゃんの彼氏って、小豆色のベンツに乗っているのだけどね、車は最高なのに、運転が下手なんだって」


「・・・あのさぁ、運転が下手とかって、何でわかるわけ?お前たち、ガキのくせに」

 

ガキのガの音に憎しみをこめたみたいな言い方。


なんとなく、今、あなたを殺したいと思った。


もちろん、ゲームの中の機関銃で、だけどね。

バンバンバンって、打ってやりたくなった。


あなたはタバコに火をつけた。

あなたの吐いたタバコの煙だけは私、不快に感じないの、どうして。


あーあ。あなたは車も運転もスゴイっていう話にして、ご機嫌をとろうと思ったのに、ダメだったよ。

だけど、あなたのその、人をとことんバカにした感じと、優しさと入り混じった話し方。

ギリギリのところで、好きだよ。


「腹が減ったな」

 

いまいましそうにタバコをもみ消して、あなたは真剣に運転するぞ、とでも言うようにハンドルに向き直った。太ももがぶつかって、「交通安全」のお守りがワイパーのバーから外れて落ちた。


あなたの名前と、奥さんの名前が、仲良く並んで毛筆で書かれている。私はシートベルトを外し、身体を伸ばしてあなたの足元に転がったお守りを拾った。

すると、あなたは私の手からお守りをひったくって、ダッシュボートの中にしまった。


「どうせまた落ちるから、いいよ」

 そのひったくる感じ、イラッとした。ビニールの端がとがっていて、指がちくっと痛かった。

また、バンバンって打ちたくなったよ。


「よし、走ったぞ」

 固まっていた鎖のような渋滞がほどけ、車が動く。


「釜飯食べたい」

 

無邪気な声で言ったつもりだったけれど、だめだった。ベターッとした、すがりつくみたいなトーンになってしまった。私ももう、年なのかもね。


あなたのこと、三年間も愛しているうちに、私、二十歳になってしまったよ。バイト先の上司でしかなかったのに、お兄ちゃんみたいな人だったのに、いつの間にか私の人生のすべてみたいな顔をしている。


こっちが勝手に、だけど。


車は釜飯の店のパーキングにすべるように入っていって、店のすぐ前に駐車した。

店内の温かさにホッとする。

 

あなたは、それとなく距離を置き、私に腕を捕まえられないように逃げる。

白いセーターの背中を打ち抜く。


心の弾丸で、何度も、何十回もね。


『美菜』という顔も知らない、幸せな妻によって、コーディネートされたこの男を殺したいと、はっきりと思う。


「釜飯ふたつ」

 

あなたは札入れから二千円を引き抜き、私のために釜飯を買ってくれた。一年前と同じように。


「四十円のお釣りです」


 店の人が、レシートの上に十円玉を四枚載せて、あなたに渡した。

あなたは硬貨をむしるように指先で取り、レシートだけを、店の男の人の手に残した。


店員さんは私をちらっと見たよ。


つめたい釜飯だった。

おいしくなかった。

食べ終わってから、私はもう、去年みたいに釜を持って帰りたい、なんて言わなかった。

食べ終えると、二人分の益子焼の釜を両手に持って、去年あなたがしたように青いゴミ箱に放り入れた。


ガチャン。

悲しい音がした。

だけど、少しスッとした。

あなたが心配そうに、私の顔を盗み見たから。

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