きみの嘘、僕の恋心

 僕は嘘が嫌いだ。

 人はすぐに嘘をつく。自分の利益の為に、自分の体面を守るために、そして、単に面白がるために。すぐにバレる嘘をつき、それを糊塗するためにまた嘘を重ねる。僕の父親がそういう男だった。


 僕がエレメンタリースクールの5年生ぐらいのときから、家庭に隙間風が吹くようになる。寝室で寝ていると声を押さえながらも、母が父をなじる声が聞こえてきた。

「ねえ。このフロリダのホテルでの出費は何? 仕事でロスに行っていたはずじゃないの?」


 それに対する父の声は聞こえない。

「まだ、あの女と切れてないのね?」

「……」

「ねえ。もう縁を切ると言ったでしょ……」


 そして、半年後、父は僕たちを捨てて、そのナントカという女の人のところへ行ってしまった。

「今後も俺がマイクの父さんということは変わらないからな」

 そう言って僕の肩に手を置いた父からの養育費は1年もたたずに振り込まれなくなる。母は死に物狂いで働き、だんだんと人が変わっていった。


 ある日、ジュニアハイスクールに出かけようとする母の顔色の悪さに僕は学校を休むことを申しでる。

「大丈夫。心配しないで。マイク、あなたはちゃんと学校への行くの」

 そして、家に帰ってきたときには母親はもう冷たくなっていた。そして、母はクスリに手を出していたことを知ることとなった。


 父親は行方が分からず、僕は孤児院に入る。幸いなことに、2年後に孤児院から僕を引き取った養親は素晴らしい人たちだった。今までの不幸の穴埋めをするような素晴らしい生活。暖かく心細やかな養親、美味しい食事に、きれいな服と清潔なベッドを享受しながら、僕は大学へと進学し就職をする。


 その人は、僕の上司だった。新しく社内で立ち上げられたプロジェクトの責任者のアシスタントを命じられた僕は最初にその人を見たときに心臓が止まるかのような衝撃を受けた。黒い艶やかなショートの髪を颯爽となびかせて律動的に歩み寄ってきたその人は自信に満ちた力強い握手をする。

「初めまして。これからよろしくね」


 内側からあふれる自信と果断な決断、それでいて慎重な思索力。たった数歳しか違わない彼女の優秀さに僕は圧倒され魅了される。高校以降は良く言えば満ち足りた、悪く言えばぬるま湯のような生活を送ってきた僕には彼女の力強さの10分の1もない。僕は彼女に夢中になり、常に視線で追いかけるようになった。アシスタントなので別にそれは変なことじゃない。


 それは仕事の面でもプラスに働いた。

「あなた、気が利くわね。とても助かるわ」

 そうやって褒められた日の夜は眠れないほど興奮した。少しだけ1人前になれたような気がして嬉しい。


 ただ、そうやって常に彼女を見ているうちに疑問を感じるようになった。ふとした瞬間に見せる表情が彼女に似つかわしくないものだったのだ。そして、彼女が故国からプライベートの電話を受けているのを偶然立ち聞きしてしまったときは腰を抜かしそうになる。


 言葉は分からなかったが、その激しい語調には憎悪が滲みでていた。背筋も凍りそうな呪詛の言葉に僕は震えあがる。けれども不思議と彼女の事を嫌だとは思わなかった。むしろ、僕の知らなかった全てのことを知りたいと思うようになる。


 いくつかの偶然と幸運が重なり、僕は彼女と男女の関係になった。僕はその関係を永続的なものにしようとプロポーズをするが、最初はいい返事を貰えない。人種差別を気にしているのかと両親にも会ってもらった。彼女も僕の両親のことは気に入ってくれたようだ。


 何度かのやりとりの末に、僕は彼女が過去に何かを隠していることを確信する。彼女の語る過去、ごくごく普通の家庭の話にはテレビドラマで描かれるような実際とは微妙に異なるものを感じた。


 僕は嘘が嫌いだ。けれども、それでもなお、真実を告げるばかりが相手にとって正しくないことも知っている。僕ももうそんな子供じゃない。もちろん、未来に向かって彼女に嘘をつくことは決してしないし、彼女もそうだろう。そういうことをしなくていい関係を築いていくのだ。


 彼女の否定的な回答が僕を気遣ってのものだと確信した日に僕は彼女に告げる。

「あなたと会ったその日から、ずっと決めていました。僕の歩む道はあなたの隣にしか無いと。どうか、この願いをかなえてください。まだ、あなたから見れば未熟かもしれませんが、あなたを思う気持ちだけは誰よりも強いつもりです。どうか、僕と結婚してください」


 下を向きテーブルを見つめる彼女の手をとり、ポケットから取り出したものを左手の薬指にはめる。顔をあげた彼女の顔には決意が表れていた。僕が恋する彼女の強さ。彼女が一人で築き上げてきたものを僕はこれからずっと支えていこうと、僕の手を包む彼女の手をそっと握り返した。

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きみの嘘、僕の恋心/同題異話SR短編集 新巻へもん @shakesama

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