きみの嘘、僕の恋心/同題異話SR短編集

新巻へもん

記憶を踏みつけて愛に近づく

 私は不幸。記憶の説明はその4文字で足りた。


 父親は市役所勤めの公務員。外では温厚で真面目と言われていたようだが、家庭内では暴君だった。特にお酒を飲むと最悪だ。通報されることを恐れたのか暴力を振るうことはなかったが、言葉では徹底的に家族をこき下ろす。ブス、頭が悪い、運動音痴、性格が悪い、変な声、努力が足りない……。一度も褒めて貰ったことは無かった。


 母親はいつも疲れた顔をしていた。私の子守歌は「あなたが産まれなかったら私はあんな人と一緒にならなかったのに」。そのくせ、2つ違いの弟は猫かわいがりをした。その差がどこで生まれたのかは分からない。どちらも憎いあの男の血を引いているはずなのに。憎しみか、単に私へ費えを惜しんだのか、いつも私は見すぼらしい格好をしていた。


 近所の子供達の輪には入れてもらえず、小学校でも休み時間は、いつもポツンと自席で図書館の本を読んでいた。別に無理に仲間に入れてもらう必要も無い。私にとっての唯一の楽しみの時間。それなのに、3年生の時の担任は笑顔でこう言った。

「一人で教室にいるなんてダメよ。お友達と遊ばないと」


 中学校生活は部活至上主義の担任と3年間ずっと同じクラスだった。運動部に入っていない私は徹底的に忌み嫌われた。それでも、救いだったのは他に数人帰宅部がいたことだった。平等に不利な取り扱いを受けることに妙な安心感を抱いた。私だけじゃない。


 高校への進学は危うくかなえられないところだった。弟にかける教育費をねん出するために、母親は私に働けば、と言い放つ。私の前途につながる門の扉が閉まりそうになるのを救ったのは意外にも父親だった。世間体を人一番気にする性格から、今の時代、高校ぐらいはということになったのだ。そして、学費が無償化されていることも決め手となった。


 なんとか手に入れた高校生活自体は決して楽しい物では無かった。周囲の子は美しく変身していく中で、相変わらず冴えない私は浮いた存在でしかない。密かに自分の同類と思っていた子が実はそうでないと知った時は衝撃だった。野暮ったい眼鏡をやめてコンタクトレンズに変え、髪型をいじり華麗な変身を遂げる。


 私は死に物狂いで勉強をして奨学金を得て大学に入った。大学に通うために払った代償のことは思い出したくもない。浮いた話など無縁のまま卒業し、就職をして働き始める。求められる仕事の水準も高く長時間労働で、四苦八苦する毎日だったが、給与はそれに見合うだけのものが支払われ生活は安定した。


 余裕ができたので、部署が変わったのを機に自分の容姿へ金をかけることにする。高校の同級生のことが頭をよぎったのだ。その結果は驚くほどの変化だった。世間的にはどうにか人並みになった程度かもしれない。それでも満足だった。仕事での自信で私の立ち居振る舞いが変わっていたせいもあるのだろう。


 それまで私のことなど見向きもしなかった両親が訪ねて来たのは、その頃だった。今まで育ててあげたんだから恩返しろと言う。要は金の無心。耳を疑ったが両親は本気だった。思わず口から乾いた笑い声が漏れる。一旦引き取ってもらってから調べると父親は投機に失敗し、弟は家に引きこもっていた。当然ながら私は拒絶する。


 しつこく来る連絡を煩わしく思った私は海外赴任を希望した。忙しく働いている私の元に訃報が届く。失火で実家が全焼して3人が死んだとのことだった。私の心の表面に僅かなさざ波も立てることなく、その知らせを聞き流す。何の感慨も湧かなかった。


 今までも変わらぬように仕事に励む私につけられたのが6歳年下のアシスタント。私とは違い、家族に愛されて苦労知らずだったのが分かる育ちのいい青年だった。一緒に仕事をするうちにその彼が私に憧憬の目を向けているのをなんとなく感じるようになる。もちろん上司としてだ。そして、事あるごとに私の凄さを嘆息と共に褒めてくれる。その言葉は甘く、そして怖かった。


 彼とはある時、成り行きで男女の関係になる。彼はいつも通りに繊細で優しい。一方的に欲望を満たすだけの行為とはこれほどまでに違うのかと驚いた。そして、何度か関係を持ったが私はそこまでのつもりだった。彼が口にする家族の愛を私は知らない。私には不釣り合いな彼と家庭を築く自信は無かった。そして、彼には言えない過去が一杯ある。じくじくと擦り傷から血を流すような辛い記憶。


 だが、彼の想いは明白だった。私は悩む。そして、決断をした。過去が未来を邪魔するのならば、過去を否定しよう。消せないならそれでいい。私は記憶を踏みにじり、自分の都合のいい過去を作り上げる。昔の私について聞きたがる彼に少しずつ語って聞かせた。ごく普通の家庭に育った頑張り屋さんの女の子。大切な家族を事故で亡くした傷心の女性。


 私は迷い断ち切り彼の手を取る。その選択がどんな道に通ずるのか分からない。もしかすると、未だ知らぬ愛を手に入れられるのかもしれない。私の目はただ未来を見つめていた。

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