第25話 ノリスの過去③

 施設もそんな僕を持て余していたんだろう。


 施設に対して、一人の貴族から、


「子供を一人、奴隷として売ってほしい」


 という依頼があった時には躊躇なく僕が推薦された。

 

 奴隷として登録されていない僕を本当は売買することは法的に問題があるはずなのだが、どうしてそれがまかり通ったのかはわからない。


 とにかく、僕は売られることになった。


 施設としても、早く追い出したかったのか、お金が大きく動いたからなのか、本当のところは知らない。


 それでも、僕は売られた。


 屈強な男たちに羽交い締めにされて施設を連れて出された。


 そんな僕を施設の大人たちは遠い目をして眺めていた。


 そして連れてこられたのがこの家だった。


 そう、僕は10歳の時、アルフレッドに買われた。


 アルフレッドは僕に優しかった。


 綺麗で高そうな服を着せてくれたし、別に仕事らしい仕事もさせられず、色んなところに連れていってくれた。



 それにアルフレッドが仕事に行っている間、比較的僕は自由だった。


 ある日僕がリビングの窓から外を見ていると、一人の女の子が通りを歩いていた。


 僕と同い年くらいのかわいらしい女の子は、弾むように歩き、木の上の鳥や路地の隙間からのぞく花を見つけるたびに、弾けるような笑顔を見せた。


 その笑顔を通して見えている世界はどれだけ綺麗なのだろう。


 その心で感じるこの世界はどれだけ楽しいのだろう。


「この子から見えている世界を、僕も知りたい」


 そう思ったその日から、僕の頭の中は彼女のことでいっぱいになった。


 多分僕はこの時すでに、彼女に恋をいしていたのだろう。


 そんなある日、僕は家を飛び出して彼女に声をかけた。


 アルフレッドからは、留守番中に家を出ることは禁じられていたけれど我慢できなかった。


「ねえ、君には、この世界はどんなふうにみえているの」


 我ながら全く持って気持ちの悪い変な声のかけかただった(僕は多分生まれつきちょっと変だ)けど、メアリーは疑うことなく色んなことを教えてくれた。


 煉瓦の割れ目から咲く花の根は以外と深いところまで張っているのだとか、このあたりの街路樹の木の実をいつも食べに来る小鳥が最近子供を産んだことだとか。


 彼女は少し得意げに、満面の笑みで話してくれた。


 僕はメアリーのことがどんどん好きになっていった。


 そして、最初思っていたよりもメアリーが意地悪なところがあることとか、以外とメアリーはリアリストであることを知った。


 そしてメアリーは次第によく僕のことを変な奴だと言うようになった。


 そんなメアリーにからかわれてはムキになって言い返すのもまた楽しかった。


 そうやって僕らは自分の中にある、時には自分でさえ知り得てない情報を交換しあっていった。


 そんな時間は穏やかで、輝いていて、とても刺激的だった。


 お母さんと離れて暮らすようになってから初めて、僕は自分のことを幸福だと思えた。


 つまり僕はそのとき浮かれていたんだ。


 だから僕は、アルフレッドの言いつけを破っていることなんてすっかり忘れてしまっていた。


「ねえ、アルフレッド、最近ね? とっても素敵なお友達が出来たんだ」



 ある日僕は愚かにも、そのことを自分から白状してしまう。


 もしかしたら怒られるかも知れない。


 それくらいのことは脳裏をよぎりはしたんだけど、なにせ僕は浮かれていたし、嬉しいことってさ、誰かに無性に話したくなるから。


 そしたらアルフレッドは僕の予想に反してほとんど無反応だった。


「そうか、それはよかったな」


 その時のアルフレッドは少し様子がおかしかったけれど、きっと疲れているんだ位にしか思わなかった。


 次の日からも、僕はメアリーとの短くも楽しい時間を過ごした。


 しかしある日、いつもの時間にメアリーが現れなかった。


 数時間窓から目を離さず待ってみたけど、メアリーは一向に現れない。


 僕はとても心配になった。


 けれど、僕はメアリーの家も家族も知らない。


 ひどく不安になった僕は、メアリーをとにかく探しに行こうと思った。


 どこにいるかはわからない。長旅になるかも知れない。


 とりあえず僕は何か使えるものはないかと家の倉庫に忍び込んだ。


 倉庫には鍵がかかっていたけど、アルフレッドは僕の前でも平気で鍵を使っていたから鍵の場所は知っていた。

 

 鍵を開けて倉庫にはいると、奥から小さくうめき声が聞こえてきた。


 ーーメアリーの声だ。


 僕はあわてて駆け寄る。


 そこには両手を後ろ手に縛られたメアリーが泣いていた。


 持ってきていたランタンで照らすと、メアリーがくっきりと見えた。


 けれど、そのメアリーの姿は思わず目を覆いたくなるものだった。 


 顔はところどころ赤く晴れ上がり、唇からは出血していた。


 手の爪は全て剥がされ、流れる血が地面に点々とシミを作っている。


 僕はメアリーの口に詰め込まれていた布を引き抜き、手を縛っていた紐をほどく。


「メアリー、……どうして」


「痛い、痛いよぉ…………」


 メアリーは自分の指を庇うように指を曲げて顔の前に持ってくる。


 爪の剥がされた自分の指を見て激しく泣き始めるメアリーを見て、情けないことに僕は何もできず立ちすくんでしまう。


 どうしてこんなことに? どうしてメアリーが? どうしてうちの倉庫に? どうすればメアリーは痛くなくなるの? 


 いろんなことが頭の中をぐるぐると回る。


 とにかくここにいてはいけない。


 僕はメアリーに肩を貸すと、倉庫の出口に向かってゆっくりと歩く。

 

 倉庫の扉を開けて庭へと出る。

 

 するとそこにはアルフレッドが立っていた。


「アルフレッド! 大変なんだ、メアリーが、メアリーが!」


 そうだ、アルフレッドに手当してもらおう。


 確かリビングに救急箱があったはずだ。


 そう思ってアルフレッドの顔を見る。

 なんだか嗜虐的な笑みを浮かべたアルフレッドに僕は強い恐怖を覚えた。


「ノリス、知らなかったのかい?」


「え? なにが?」


「ノリスはね、お友達なんか作っちゃいけないんだよ」


「・・・そうなの?」


「そうだよ、君は僕の奴隷なんだから」


 そう、平坦な声で言われて初めて、僕は自分が奴隷であることを嫌だと思った。


 しかし今はそれどころじゃない。


 とにかく今は、


「・・・わかった、だから、エミリーを、エミリーがすごく怪我しちゃったから」


 言いながら僕がエミリーを振り返ると、エミリーは僕が今までみたことないほどに怯えていた。


 僕は視線を何度もアルフレッドとメアリーの間で往復させた。


「ねえ、アルフレッド、もしかして」


 僕が恐る恐る問うと、アルフレッドはいっそう朗らかに笑みを浮かべて言った。


「そうだよ、でも君がいけないんだ。君は僕の物なのに黙ってお友達なんか作るから、だから、僕が壊さなきゃいけなくなったんだ」


 わけがわからなかった。


 どうして友達を作っちゃいけないの?


 どうして優しいアルフレッドがエミリーにひどいことをするの?


 どうしてエミリーがこんな目にあわなきゃいけないの?


 わからない、どれもわからないけれど、一つだけわかることがあった。


 きっと、僕はこのままじゃいけないんだろう。


 どうして? どうして?


 って悩んでるだけじゃいけない。


 それだと僕の大事な人はいつも悲しい目にあってしまう。


 そう思うと自然に、僕は手に持ったランタンを振り上げていた。

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