第10話 っていうかホンマどうします?
「ほなつまりあれか? 俺らは原チャで三ケツしてポリから逃げとって、イッツー逆走してたらトラック突っ込んできて、そんで、……今オランダにおると」
中心に大きな噴水のある公園にやってきた和夫たちは、互いの記憶を手繰り寄せ、現状について相談していた。
結果、三人とも記憶はトラックとぶつかりそうになったところで止まってしまっており、現状について全く意味が分からないということしかわからなかった。
本当はもう死んでしまった。もとの場所には帰れない。そんな事実に全く気づかなず、脳裏をよぎりもしないという鈍感さを持ち合わせるということは、ある意味幸せなことなのかもしれない。
「……意味わからんけどそんな感じっすね」
拓郎はあからさまに疲弊した様子でつぶやく。無理もないだろう、彼はまだ15歳。本当なら、友達とバカな遊びをしたり、同級生に淡い恋心を抱いたり、先生に怒られたりと、大はしゃぎな毎日を送っていたはずだ。それがいまや意味の分からない外国(異世界)にいて、ここがどこなのかすらわからない状態。そういった状況を加味すると、パニックにもならず、この程度の疲弊具合で済んでいる彼もまた、どちらかというと図太い人間である。
「んー、オランダかぁ、カズくんどうする?」
和夫は俯きうんうんとうなりながら、
「……せやの、確かオランダってあれやんけ、マリファナ合法やろ」
”マリファナ”という単語を聞いた途端、祐奈は大きく顔をしかめる。
「……うわぁ」
祐奈は和夫に一生懸命侮蔑の視線を送りながら言う。ちなみにこの侮蔑は”薬物”に対する侮蔑ではない。基本的にビビりの和夫が、いきなり舞い降りた異国の地でノリノリでドラッグをキメたりしないことはちゃんとわかっている。和夫がすぐに悪ぶった発言をすることへの侮蔑である。なんとも痛ましい男であるが、どうか暖かく見守ってあげてほしい。彼もまたゆがんだ形とはいえ自尊心を一生懸命構築している最中であろうことがうかがえるのである。
「……別にやるとは言うてないやん」
「……いや、ちゃうねん」
「ちゃうってなんやねん」
「……めんどくさぁ」
祐奈は呆れたようにため息をつく。
「いや、ちゃうんすよ! そんな兄弟みたいなノリどーでもえーんすよ! 初めての海外旅行ちゃうんすから」
二人の無駄に落ち着いた様子に、拓郎は思わず立ち上がって叫ぶ。
「いやいや、実際初めて海外来てるやんけ、そら変なテンションにもなるやろ」
「でもいきなりおるんすよ? 外国に。意味わからんでしょ、ヤバいでしょ」
確かにそうだ、と和夫は納得した様子で頷く。
「……確かにヤバイな、もはや完全に家賃払われへんやんけ」
和夫の発言から”家賃”の部分を拾い、祐奈も困惑したように頬を押さえる。
「……ほんまやぁ、どーしょー」
そんな二人の様子を見て、拓郎は『なんか違うんよなー』とばかりに嘆息する。
「ホンマに現状把握してます?」
拓郎は苛立たしげに言う。現状の問題点を拓郎なりに整理すると、どう考えても、無一文で海外にいる>どうしてこうなったかわからない>今日をどうやってしのぐのか考えなければならない>家賃などの地元でのこと、となる。自分にとって重要なことを身近な人間に軽視されると、人は腹立たしい気持ちになるものである。彼の気持ちもわかってあげたい。
「してるわ、今急に外国におるから家賃払えんくてアパート追い出されるん確定なんやろ?」
「うわぁ、……住所不定無職やん、……カズくんごめんなぁ、……ごめんなぁ」
和夫の発言にまた祐奈がわめきだす。
「いや、オランダおるんは別にお前のせいちゃうしよ」
そっぽを向きながら照れ臭そうにフォローする和夫。もうわざと”家賃”と言っているみたいであるがこの様子を見るとそうではないのであろう。
「……そうやけどぉ」
「そんなもん気にしてもしゃーないやろ、これからどうするかやんけ」
「んー、とりあえずパチ……」
「…………」
「嘘嘘! ちょっとっゆってみたかっただけやん! その、ほら、ここでそれ言うた時のリアクションが、その、……ごめんなさい」
祐奈はシュンとなり、それを見た和夫も気まずそうに眼を逸らす。
「っていうかホンマどうします?」
一連のやり取りを黙ってみていた拓郎が、会話の途切れた瞬間を見計らって言う。2人でしゃべっている人間の会話に割って入るのは、簡単なようで意外とむずかしい。タイミングを見誤ると『は? なんで? なんでこのタイミング? キモっ』となったりする。
「そらアレや、アレしかないやろ」
和夫が勢いよく言うが、拓郎は『どうせまたろくでもない』という感情を隠そうともせずうっとうしそうに問い返す。
「アレとは?」
「そらお前、しばらく遊んで飛行機で家帰るねやんけ、……家ないけど」
「……ごめんなぁ」
「もうええって」
またもや二人で話し始めた二人を見て、拓郎はあきらめたように半笑いで嘆息する。全く緊張間のない、まるで子供のような年上の二人が年の離れた小さな兄弟を見ているようで、彼には少し微笑ましく感じられた。
「いや、ちゃうんすよ、和夫くんらって金持っとんすか?」
「え? 持ってるよ、23円」
「あたし17円!」
予想はしていたが、あまりにも頼りない金額に拓郎は気が遠くなる。
「……その額でよう金持ってる言えますね? そんなもんウメトラ3兄弟買ったら終わりっすよ?」
「は? ウメトラうまいやんけなめんなよ」
「いや、そんなんどーでもえーんすよ、それでどーやって飛行機乗るねんいう話っすよ」
「え? お前金持ってないん?」
問われ、拓郎は自分の財布をゴソゴソと確認する。中学生らしく、チェーンでジーパンのベルトループに繋がれた革財布の中は、悲しいことに野口英雄が一人だけである。
「僕もあんまないっすよ、えーっと、……あー、1200円しかないっす」
「使えん中学生やの」
「23円はだまっとってくださいよ」
拓郎は少しムッとして言い返す。
「まあしゃーない、金がないんやったら作るしかないわな」
「え? あれいく? ペカらす?」
祐奈が嬉しそうに人差し指を左・真ん中・右、と三回振る。その仕草に和夫は顔をしかめる。
「……黙ってくれ」
『誰のなんのせいでこうなった思てんねん』とでも言いたげな和夫の視線に祐奈はたじろぐ。
「……しゃーないっすねー、僕ちょっとイってきますわ」
「ん? お前なんか思いついたん?」
「任しといてください」
言うと拓郎は小走りに駆けていき、通り一際ゆっくりと歩く青年に後ろから声をかけた。
「なあなあちょっとそこのにーちゃん、訊いてくれへん? 俺よー? さっき財布落としてもーてよ」
いきなり声をかけられた上に、財布を落としたなどという、この話のあと大体ロクでもない要求が繰り出される発言を聞かされ、青年は心底嫌そうに振り向いた。ちなみにこういう場合は基本的に振り向いてはいけない。犯罪者目線では、『こいつは要求を押し通しやすそうなお人よしorヘタレであるか?』という値踏みもうすでに始まっているからである。ここで振り向いたということは『こいつは初対面の人間にいきなり財布を落としたなどと報告する無礼者の話もとりあえず聞いちゃうようなやつ』としてのレッテルを張られてしまう。
「……うわぁ、あいつ白人相手に日本語でカツアゲしだしたで」
「……若いって怖いなぁ、……いやちゃう! あかん! たっくんそれあかん!」
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