神様の場所

第29話 伝説

 電車に乗ること約四時間、三人は東部地区へ到着した。東部地区は農業を主に収入源とし、住民の約七割が農業に従事していると言われている。山の麓に田んぼが並び、家は山や田んぼから少しだけ離れた、澄んだ川の傍にいくつも建っていた。

 生まれてからずっと住宅街で育ってきた和葉にとって、農村はあまり馴染みがない場所だった。小学生の頃、遠くの農村へ行って「田植え体験」をしたことがあるぐらいだ。農村に不慣れなのはどうやら周も同じであるようで、二人は田んぼに付いているタニシの卵を見たり、透き通った川に足を浸したりして、年相応に遊んだ。

「周も、これから授業の一環で農村に調査をしに行くこともあるだろう。いい経験になったんじゃないか?」

 アーネストは満足げな表情で、遠くの木陰から2人を眺めていた。

 南部地区や西部地区とは違い、川も空気も綺麗であることに3人はホッと一息ついた。他の地区からわざわざ東部地区へ水を汲みに来る人もいるぐらいであるようだ。

「この辺りの川は神聖な水が流れていると信じられているらしい。『神様の川』とか言ってたな……。流石に『神様の川』を汚い状態にするわけにはいかないから、ここは川をかなり綺麗な状態に保つことに骨を砕いてんだそうだ」

 アーネストは事前に聞いていた情報を得意げに話した。日焼けで鼻頭の皮が剥けている。


 彼らは「ヘレンの書」を見つけるため、住宅が並んだところへ向かった。家の様式は日本家屋に近く、様々な種類の家が立ち並ぶ中央地区と比べて、家の外観が画一化されていた。家々はある程度の距離を保ち、堂々と建っている。互いを監視するように建っていた西部地区とは異なった様子だ。

 先述したように、他の地区から東部地区へ来る人もいるため、民泊できる家が多いのも特徴であるようだ。その内の一つに和葉たちは泊まる。

「いらっしゃい! 長旅お疲れ様でしたね! さあさあ、上がって上がって」

 民泊する家に到着すると、70歳くらいの女が出迎えた。目尻の皺が印象的で、優しい印象を与える。彼女に微笑まれると自然とこちらも笑ってしまう、そんな雰囲気のある女だ。

「荷物、部屋まで運びましょう。お嬢さんは別の部屋にしてるけど、旦那たちは一緒の部屋でいいですか?」

 奥から背の高い、同じく70歳くらいの男が出てきた。涼やかな目元が特徴で、理知的な雰囲気を感じさせる。一見不愛想だが動作や表情は穏やかで、ニコニコと笑顔を絶やさない先程の女とはお似合いであるように和葉は思った。

 その後ろから、素朴な風貌の少女がはにかみながら様子を見ている。髪は和葉と同じツインテールで、齢は和葉と同じくらいに見える。頬をちょこんと飾る黒子が特徴だ。


 和葉たちは荷ほどきをある程度終えると、居間へ来るように言われた。居間の中央には囲炉裏があり、独特な草の香りが漂っている。

 茶を飲み一息ついたところで、民泊の家に住む女と男が自己紹介をした。女の方は常代つねよ、男の方はけんと名乗った。彼らは家庭菜園と言っていいほど小規模の農業をやりつつ、民泊もして生計を立てているという。その家に一緒に住んでるのが、彼らの孫であるリンだ。齢は16歳。

「リンの母親は、リンを生んですぐに病気で死にました。せがれ……リンの父親もいましたが、15年前に戦死しまして、今は3人で暮らしています。ほら、この子です」

 賢が白黒の古びた写真を三人に見せた。勇ましい軍服は人を凛々しく見せるものだが、写真に写る彼の場合は穏やかな性格を隠しきれていないようだった。戦争へ行く前とは思えないほどの静けさを感じさせる顔だ。

「彼が息子さんですか……ご自身で志願されたのですか?」

「ふふ、まさか。あの子は人殺しなんてできないわ。嫁も子どももいたし。政府からの命令で行ったのよ。農家の一人息子だから大丈夫だろうと思っていたのに……」

 常代は目を細めて僅かに上を向いた。

「この村で生まれた人間は、基本的にこの村で死ぬの。でも、あの子は帰ってこなかった。『信じるもの』が違うってことは、人を殺す理由になんてならないのに」

「『信じるもの』って? 考え方が違うってことですか?」

 和葉は周にこっそり問いかけた。

「宗教だ。この国は元々土着信仰が盛んだったんだが、他国から無理やり改宗するように迫られたんだ。この国も無視してれば良かったんだろうけど、つい自国の宗教を馬鹿にされたってムキになっちまって、そのまま戦争に……。これがもう30年以上繰り返されてたんだから、きっとお偉いさん方も、本当のきっかけなんて忘れてただろうな。最後はもう意地の張り合いだ」

 周は呆れたように言って前髪を弄んだ。常代が注いだお茶は、すっかり冷めてしまっている。

「『信じるもの』なんて、人によって違いますからね。人に押し付けるものでもなし。もう戦争は終わったから良かったんですが……」

 賢が話している途中で、突然外から怒号が聞こえてきた。主に聞こえてくるのは男の声で、途中で少し女の叫び声も聞こえる。慌てて一同が外に出ると、往来で中年の男が二人、取っ組み合って殴り合っていた。


「またお前たちか! こんなところで、いい年して……」

「賢さん! こいつに言ってやってくださいよ! あの場所は大切な神様のものなのに、自分が住むと言って聞かないんですよ! 傲慢にもほどがある!」

 男に馬乗りになっていた男が、賢を見つけるとすぐさま立ち上がった。

「今時そんなもん信じてる方がおかしいんだよ! 『神様の場所』に家を建てれば、田んぼに通うのが断然楽になる! だいたい、宗教があの酷い戦争の原因になったことを忘れたのか? いい加減現実を見ろ!」

 押し倒されていた男が、周囲を睨みつけながら言い放った。喧嘩が収まったところで、周りで見ていた女たちが両者を引き離し、とりあえずその場は静かになった。


 その晩、アーネストは居間で賢と常代に「神様の場所」について尋ねた。

「この村にある山の麓は昔から、神様が住むところと言われていたの。もしそこに人間が住処を作ったら、そこに住む人々をあの世に引きずり込むって言われていて……今までは皆この言い伝えを信じてたんだけど、最近は信じない人が増えていてね……。『神様の場所』は田んぼや川の近くだから、そこに家を作れば田んぼまで短い時間で通うことができて便利なのよね。水もすぐに使えるし」

「まあ、僕たちは心配性だから、このままこの家に住み続けることにしますがね。もう後先短いとは言っても、あの世に引きずり込まれるってのは怖いもんですよ。リンもいますし。それに、最近『神様の場所』に住み始めた連中の中に、『ヘレニウム病』に感染した人がいるらしいと聞きましてな。もう何人か死んだみたいで……」

 その言葉を聞いた瞬間、周が身を乗り出した。

「ヘレニウム病に罹った人がいるんですか? 今もいるんですか?」

「いや、今はいませんね。感染を防ぐために、数日前に集団で中央地区の病院に送られまして」

 周は、ヘレニウム病と「ヘレンの書」の調査をしていることを伝えた。賢と常代は興味深そうに頷きながら話を聞いた。

「『ヘレンの書』ってのはなんか聞いたことがあるな……僕は見たことがありませんが、誰かが持っているということは聞いたことがありますよ。なんでも、戦時中に燃えないようにこの地区に疎開してきたとか……」

「それだ! 間違いねえ! どこにあるのか知ってますか?」

 賢と常代は互いに顔を見合わせ、首を傾げた。そして申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「ごめんなさいね。それは覚えてなくて……たった三年前のことなのにね。でも、普通の家にはないようなものだから、農家ではない家かもしれないわ」

 東部地区には、豊かな自然を求めて詩人や学者が住んでいたようだ。きっとそういう職業の人々の家にあるだろうと三人は確信し、次の日から調査をすることになった。

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