第28話 雪解け(2)

「親子!?」

 一方和葉はアーネストから、周と東野家に関することを聞いていた。

 正室は有力貴族の娘だった。当時没落寸前だった東野家は、藁にも縋る思いで彼女と結婚した。その頃にはもう周と杏樹の母親と結婚していたが、彼女は東野家のためならと、正室から側室になることを承諾した。

 新しく正室を迎えても、有人の彼女に対する愛は変わらなかった。跡継ぎも聡明な周にしようと考えていた。それに業を煮やした正室は、側室と周を永久追放するように求め、有人はそれに応じた。

「確かにあの時、正室の奥様の言うことに従わないと東野家は間違いなく没落していた。周の命も危なかっただろう。それでも俺は納得いかなかった。まだ若かったんだ。俺はその時大学生だったけど、成績が良いのを見初められて東野家の家庭教師をしていた。

主に正室の奥様の息子を教えてたんだが、俺には時々会う周がダントツで聡明に見えたんだ。会うたびに賢くなっていくあいつから目が離せなかった。そんな周と、周の美しい母親がスラム街に追放されるなんて許せなかった。ずっと有人さんに訴え続けていた。結局、そういう話をしているところを正室の奥様に見つかっちゃって、屋敷に立ち入り禁止になっちゃったんだけどね。その間に周と側室の奥様は姿を消していたんだ」

 アーネストは写真立てを指で撫で、力なく笑った。

「俺はこの国中を探し回った。親父が大学教授だったから俺も何となく大学教授になって、仕事の傍らに周たちを探していたんだ。そしたら見つけた。中央地区のスラム街で、必死に生きていたあいつを。側室の奥様は亡くなっていたよ。スラム街の劣悪な環境に耐えられなかったんだろうな」

「周さんは、大丈夫だったんですか?」

 彼は和葉の言葉に苦笑して答えた。

「大丈夫だったから、今生きているんだろ。でもあいつを引き取るのには一苦労したよ。俺は周のことを覚えているけど、あいつは当時幼かったから、俺のことなんか覚えちゃいなかった。知らないおっさんから『一緒に住まないか?』なんて言われたら、誰だって怖いだろ。まあ、何とか言いくるめて、今に至るってわけ」

「行動力すごいですね」

「父親譲りだろうな。俺の母親は俺が小さい頃に亡くなっていてな、父親が1人で俺を育ててきたんだ……と言いたいところだが、その父親は自分の研究のために、幼い俺をさっさと親戚に預けちまった。自由奔放な人だよ、本当に……。まあ、憎んでもないけど。今頃どこで、何やってんだか……」

 アーネストの話が終わった頃、杏樹の部屋の扉が開き、周が入ってきた。そして有人が死亡したことを淡々と告げた。

 彼の表情は爽やかだった。肩に乗せた重荷を下ろしたような、そんな顔をしていた。


 余命を宣告されていたからか、葬儀の準備は迅速に行われた。周の腹違いの兄である次期当主が喪主を務め、葬儀自体もあっけなく終了した。

 有人が死亡したことよりも、杏樹が部屋から出たことに使用人の関心は集まった。彼女の表情もまた重荷を下ろしたようで、周はそのことに安堵しているようだった。

 杏樹は一週間喪に服した後、慈善活動を始めた。病院への寄付を行い、看護学校へ通い始めた。義理の兄や使用人らからは反対されたが、彼女は首を縦に振らなかった。

「ヘレニウム病の傾向も既に見られないことですし、いいのでは? 彼女が見つけた新しい生きがいを、俺は応援しますけどね」

 アーネストのその一言に、異論を唱える者はいなかった。そしていつの間にか病気から回復している杏樹は、周たちに礼を言えるほどまでになっていた。

「あんた、この前俺たちに『これはエゴだ』って言ったよな。今はどんな気持ちだ」

「悪かったわよ! あの時は気分が悪くてイラついてただけ! 私はたとえ人助けがエゴだと言われてもやり続けるわ。お嬢様だからって、やったらいけないなんて法律ないでしょ?」

「うん、その調子なら大丈夫だな。からかっただけだよ、悪かったな」

 周の言葉に、杏樹は満足そうな顔を見せた。ほんの数日で人はこんなに変わるのかと、和葉は驚きを隠すことができなかった。そして、周と杏樹は間違いなく兄妹だと確信した。

(この気の強さ……全く違う環境で育ったのに、遺伝子ってすごいな……)


 和葉、周、アーネストの三人は、東野家から立ち去った。結局ヘレンの書は東野家の力をもってしても見つからなかった。それでも、三人の顔は青空のように晴れやかだった。

 彼らは東部地区へ向かう電車に乗るため、駅の切符売り場に向かっていたが、混雑しており立ち往生していた。そして自然な流れで周は口を開いた。

「先生はこのまま学者をしていていいのか? 義母も死んでたことだし、また東野家で家庭教師する道だってあんだろ」

 その瞬間、アーネストの顔は石のように硬直した。そして見る見るうちに赤くなった。

「周、知ってたのか! 杏樹さんから聞いたのか?」

「いんや、あいつは俺が実の兄だってことも、あんたが東野家で家庭教師をしていたことも知らねえよ。俺が勝手に思い出しただけだ。あんたに拾われて三年後くらいだったかな……」

 アーネストは右手で頭を抱え、言葉にならない声を発している。周はそれを見て「してやったり」とでも言いそうに笑った。

「なんか一言言ってくれればいいだろう! あーあ。周と有人さんを仲直りさせようと必死こいてた俺が馬鹿みたいじゃないか。それにしても、どんなきっかけで思い出したんだ? お前さんまだ東野家にいた頃、たったの5歳だっただろ」

「ほら、切符売り場が空いたぞ。さっさと買ってきて、そしたら教えてやるよ」

 周は追い払う仕草をして、アーネストはしぶしぶと切符売り場へ向かった。

(完全に尻にしかれてんじゃん……一応先生と生徒なのに……)

 和葉はアーネストを内心憐れみながら見送った。

「俺が先生を思い出した理由は2つあるんだ。そのうち1つは先生にも教えるけど、残り1つはお前にだけ教えてやる」

 彼は遠ざかるアーネストを見つめながら和葉に言った。

「先生は昔から、何事にも『共通点』を見出す人だった。俺が庭の花を毟って遊んでいたとき、『花もお前さんと同じ、命があるだろ? 自分の方が偉いって思ってばかりじゃ、花からそっぽ向かれちゃうぞ』って俺をたしなめたんだ。こんなこと小さい子どもなら誰だって言われることだろうけど、俺はその時まで言われたことがなかったんだ。だから悔しくて悔しくて……でも先生のおかげで、俺はスラム街でも生き延びれたんだと思う。自分よりも身分が下だとか、そんな態度で接してたら、あっという間にスラム街から追い出されてただろうな」

「だから、私にも『共通点』を見つけろって言ったんですね。先生の言いつけを守って」

 和葉がそう言うと、周は苦い顔をした。

「言いつけを守る、って言い方はなんか癪だな……まあ、無意識に先生に影響を受けてんだろうけどさ。そうそう、今言ったこと、絶対先生には言うんじゃねえぞ。調子に乗っから」

 思わず和葉が笑うと、周も珍しく穏やかな貌で笑った。

 しばらくして切符売り場からアーネストが戻ってきた。急いで買ったのか、汗をシャツで拭っている。

「お待たせ! 和葉ちゃん、周から変なこと聞いてないだろうね。俺の失敗談とか……」

「い、いーえ? 特には……」

 和葉が首を横に振ると、分かりやすくほっとした様子を見せた。

「良かった良かった……。誰にだって隠したい過去の失敗とかはあるもんだからさ! それより周、さっき言ってた『俺を思い出した理由』教えてよ。俺の教えてたことを覚えてたとか……?」

 アーネストはニヤニヤと期待を込めた眼差しを周に送っている。周もそれにこたえ、和葉に一瞬ニヤリとした笑みを向けた。さっきの穏やかな笑顔ではなく、いつものひねくれた笑顔だ。和葉はこの顔が案外好きだ。

「ああ、忘れるわけねえだろ。自分の母親をメイドと間違えて、ナンパした男の顔なんてね」

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