第20話 変調(2)

 次の日、和葉たち3人は食堂でジャンに会った。彼は近況の報告を期待しているようだったが、周がまだアントワーヌを見つけていないと知ると、途端に不機嫌になった。

「まだなのかい? 早くしてほしいな。そんなに時間がかかるものなの?」

「ああ、もう! うるせえな……。もうだいたい探し終わった。あと一つだけ探していない集落がああるから、そこに居なかったら、西部地区にいないってことだ。その時は諦めてくれよ」

 ジャンはそう言われると、さっきよりも分かりやすく不機嫌になり、行く手を阻む椅子を足で蹴りながら出て行った。

 周は苛立った様子で舌打ちをし、西部地区へ向かった。和葉とアーネストはいつも通り勉強会である。


 夜になり勉強会が始まろうとした頃、周が西部地区から帰ってきた。目の下には隈ができ、どこかやつれた様子である。

「そんな疲れ切って、どうしたんだ? やっぱり見つからなかったか? まあ、西部地区にいないってことは他の所にいるんだろうな。悔しいけど、家賃は払おう。金ならあるしな」

 アーネストは周の肩を抱き、慰めるように擦った。しかし周はいつまでも浮かない顔である。和葉とアーネストが周の責任ではないことを伝えたとき、周が俯けていた顔を上げた。

「死んでたんだ、アントワーヌさん。最後の集落に、彼女の家があった。母親と二人暮らしだったみたいで、家には母親一人だけだった」

「そうか、亡くなっていたのか……。戦争もあったしな。しょうがない。伝えづらいのなら、俺からジャンさんに伝えよう」

 周は頭を振った。前髪をかき上げ、額に爪を立てた。

「いや、俺が伝える。受け止めてくれるといいんだがね……。死因の話題は、あいつの前で避けてくれよ。なんせ直接的な死因は戦争じゃない。彼女が死んだのは……」


 その話の後、和葉とアーネストは勉強会へ向かった。2人は少し遅れたものの、従業員たちは温かく迎えた。アーネストはすぐに気持ちを切り替えることができたが、和葉はそうはいかなかった。

「和葉ちゃん、集中してないだろ。ここ、間違えてるぞ。先生が間違えてどうするんだ。ここは『い』じゃなくて『ひ』だろ? アーネスト先生はそう言っていた!」

 生徒の1人が指摘し、和葉はウッと息を詰まらせた。集中してなかったのは図星で自己嫌悪に陥ったが、間違えには納得いかなかった。

(なんで基本日本語と一緒なのに、微妙なところで違うの! 「思い出」を「思ひ出」って書くのなんて、昔の人くらいだよ!)

 日本にいた頃授業で習った数少ない知識を、和葉は総動員させていた。この国の書き言葉は、やや現代の日本とは異なっていた。そうかと思えば、急に「ファッション」のような現代風の言葉が出てくる。国語ももれなく苦手な和葉は、余計この状況に混乱していた。


「この手紙、添削してくれないか? 授業の後に悪いけど……」

 勉強会が終わった後、1人の青年が和葉に手紙を渡した。宛先はずっと片思いをしていた幼馴染のようだ。

「ずっと好きなんだ。あいつは身分が高くて字も書けるから、誤字があるラブレターじゃ嫌なんだ。あいつと釣り合うって、親父さんにも分かってもらわないと」

 彼は照れ臭そうに鼻の下を掻いた。字は拙いものの、彼の思いが分かりやすく述べられている。

「本当に好きなんですね! 気持ちが伝わってきます。訂正箇所はこれだけかな……」

「ありがとう! 今はまだ付き合ったりできないけど、いつかこの工場を辞めて、もっと待遇がいい工場に就職できたら、この手紙を渡そうと思うんだ。字を書けたらもっと給料のいい会社で働くこともできる……。あーあ、こんな工場辞めてしまいたいよ」

「えっ? 辞めちゃうんですか?」

「辞めれるもんならね。実際難しいから。働く時間が伸びて給料は少し増えたけど、彼女と会う時間が減っちゃったんだよな。何かを犠牲にしてまで、働く必要ってあんのかなあ……」

 彼の言葉を聞いて、和葉はジャンの顔を思い浮かべていた。


 あまり集中できなかった勉強会を終え、和葉たち3人はジャンのもとへ向かった。アントワーヌの死を伝えた瞬間、上ずった声で「嘘だ、嘘だ」と言いながら、頭を抱えて泣き出した。アーネストは事前に和葉から預かっていたハンカチで、彼の涙を優しく拭いた。和葉はこんな状況でも涙を集めることを忘れないアーネストに内心驚き、その冷静さに少しだけ恐怖心を抱いた。ジャンはそんな彼の行動を咎めることなく、一心不乱に床のタイルに額を擦り付けている。

 この世の終わりのように泣く彼は、まるで舞台上の俳優だった。観客は和葉たち。愛する人を亡くした悲劇の主人公である彼には、どこか「見られている」という演技がかった態度が残っている。その様子を見ていると最初は同情していた和葉も、冷静になったアーネストの気持ちが少し分かったような気がした。

 それでも悲しいという気持ちは本当なのだろう。飽きることなく泣き続けている。そして泣き声が収まったころ、周の胸倉を掴んだ。

「本当に、本当に彼女は死んだのか? どうして死んだんだ。死亡証明書はないのか? 自分の目で見ないと信じられない」

「あ、ああ。死因はヘレニウム病だ。死亡証明書は彼女の母親が持っていたが、失くしてしまったそうだ。彼女の家は忙しいみたいだから、訪問したりすんなよ」

 周がそう言うと、ジャンは少し冷静さを取り戻した表情で「もちろんだよ」と返事した。

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