第19話 変調

 部屋を案内しながら、彼は自分を「ジャン」と名乗った。彼は顔こそ平凡であったが、背がすらりと高くモデルのような体型をしていた。そのため歩くのが早く、周は「嫌味かよ」と不快そうだった。

 与えられた部屋は大きくはないものの、十分休める部屋だ。しかも一人一部屋で、こんな好条件でいいのかと和葉は感動した。一方周は疑っていたが、ジャン曰く「その部屋に見合うくらい本気でアントワーヌを探してほしいってこと」らしい。

 彼は一通り部屋と食堂の説明をした後、自分の仕事に戻って行った。それぞれの部屋で一息ついたのち、3人は食堂へと向かった。食堂は工場の従業員でごった返しており、タバコの煙も相まって和葉は息苦しさを感じた。

 息苦しさを感じる原因はそれだけではない。周りからの奇異なものを見るような視線だ。特に彼らは和葉を見ている。

 「なんでここに女が?」や「作業服じゃないってことは、視察の連中か?」などの声が聞こえる。3人が席に座ると、待ってましたとばかりに一人の中年の男が話しかけてきた。周りの反応からして、この工場の従業員の中でも力がある方なのだろう。

「よお、あんたら何者だ? 見る限りここらの出身じゃなさそうだが……」

「ああ、初めまして。俺らは中央地区から来た者です。この工場の社宅でしばらくお世話になります。大学で研究をしていて、ある本を探しにこの国を旅してるんですが……。『ヘレンの書』ってご存知ないですか?」

「ああ、大学の先生かい! そりゃあいい! 俺は少しなら文字が読めるんだが、この工場の若いもんはあんまり文字が読めなくてね。教えてやってくれねえか? その『ナントカの書』ってやつもここの連中に聞けばいい。皆南部地区の色んな所から来てるからな」

 そう言うと彼は垢で汚れた顔を得意げに掻いた。周りを見ると、興味津々な様子の若い男たちが集まっている。

 結局アーネストはその申し出を快諾した。勉強を教えるのは得意らしい。大学の教師をしているからかと和葉は思った。

 一方周はアントワーヌを探すことになった。和葉も一緒に探そうか迷ったが、足手まといになることを危惧し、アーネストと共に文字を教えることになった。日本人なんだから日本語を教えることぐらい簡単だろうと、和葉は高をくくっていた。


 勉強会とアントワーヌ探しは、翌日から始まった。周はアントワーヌがいると思われる西部地区に電車で向かい、そこで彼女と「ヘレンの書」を探して、夕方に帰ってくるという生活を送ることになった。和葉とアーネストは、工場の従業員に対して勉強会をした。従業員たちは朝から晩まで働き詰めで、昼ご飯の時間も満足に与えられていなかったため、勉強会は夜から始めることになった。

 60人ほどいる従業員をまとめて教えることはできないため、1日当たり30人ほどと決め、分けて教えることになった。人数が多いのは二人にとって負担が大きいが、その分「ヘレンの書」の情報をたくさん得ることができる。そう思っていたが、実際は全く有力な情報を得ることはできなかった。皆口を揃えて「知らない」「聞いたことない」と言うのだ。彼らは文字が読めないため「見たことない」だったら納得するが、「聞いたことない」なら彼らの身の回りにはなかったのだろう。従業員たちが働いている間に役場や図書館などに行っても、「ヘレンの書」が存在した形跡はなかった。

 「ヘレンの書」探しは難航したものの、勉強会は順調だった。不慣れで戸惑う和葉はともかく、アーネストは教え方が上手く、従業員たちからも好評だった。

「教えるのって意外と難しい……。先生って、教えるの本当に上手いですよね。何かコツとかあるんですか?」

「『知ってる』と『教える』はまた違うからなあ。うーん……あんまり気にしたことなかったけど、一応昔家庭教師のバイトしてたんだよなあ。俺の父親が放任主義で、金がなくてさ。いつか俺たちが行くかもしれない『北部地区』の有力貴族に『東野家』ってのがあるんだけど、そこにいた男の子に勉強教えてたんだ。14年前のことだから、20歳くらいの時かなあ。色々あって結局1年しか教えてないんだけどね。その経験が、今役に立ってるのかもしれないな。ってことで、強いて言うなら、コツは『何事も経験』ってことで! 場数を踏んでいけば、いつか慣れるさ。お前さんはまだ若いんだから、俺みたいなおっさんよりも、素直に色々なことを吸収できる。あ、あと俺が家庭教師してたことは、周には内緒で……」

 彼は唇に人差し指を当て、困ったように笑った。もう既に部屋の窓には、夕方の景色が映っている。工場からぞろぞろと食堂に向かう足音が聞こえた。


 この工場で暮らし始めてから、3日が経った。相変わらず「ヘレンの書」は見つからず、アントワーヌの消息も不明だ。唯一順調だったのは工場の従業員たちとの人間関係だったが、彼らについて和葉は少し違和感を持つようになった。どんどん人数が減ってきているのである。

「この工場は他の工場と比べても、仕事がきついんじゃないか? 人数が減ってきているのは辞めてるからじゃねえのか? ほら、最初にこの地区に来た時、出稼ぎの奴らを見ただろ。中央地区の方が労働環境が整ってるから、そっちに流れてんだろ」

 周は地図に印をつけながらそう言った。彼の方も捜索が難航しているようで、うんうん唸りながら地図とにらめっこをしている。

「でも、突然辞めるなんて……。普通は何か言ってから辞めるもんじゃないんですか? お別れ会とかもしてないし……」

「お別れ会? ガキじゃあるめぇし、そんなもんするわけねえだろ! どんだけの人数がこの職場に出入りすると思ってんだ。なあ、先生」

 彼は、酒をちびちびと飲みながら船を漕いでいたアーネストに問いかけた。アーネストは「んあ?」と間抜けな声を出し、腕を組んだ。

「でもなあ、確かにこの人の出入りの速さは異常だよなあ。そう思って、昨日従業員の人に聞いてみたんだよ。そしたら、いなくなった人たち、みんな入院してんだって言ってたよ」

「入院? もしかして、ここの川の魚食ってんのか?」

「もしかしたらそれもあるかもしれないけど、どうやらヘレニウム病の患者もいるみたいなんだよなあ。この工場でも流行っているらしい」

「ここでも流行ってんのかよ……。やっぱりこの病気は感染性のものだろうな。1人が罹れば一気に広まる。西部地区でも流行っていて、何人か死んでいるみたいだ。最近あそこの死者が異常に多い。死因はヘレニウム病だけではないらしいが……」

 彼は何か引っかかるような物言いをした。訝し気に和葉が彼を見ると、軽く息を吐いて口を開いた。

「西部地区の連中、死因を教えてくれない奴が多いんだ。ヘレニウム病や老衰とかで死んだ人の遺族は死因をあっさりと教えてくれるんだが、それ以外で死んだ人の遺族の中には、頑なに死因を教えてくれない奴もいる。まあ、別にアントワーヌさんを探すのに、他人の死因なんて知る必要がないからいいんだけどよ」

 彼はそう言うと地図を閉じ、もう寝ると言って和葉とアーネストを部屋から追い出した。





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