第18話 工場の町(2)

 声の主は背の高い、人の好さそうな笑みを浮かべた金髪の青年だった。顎髭を生やしているが、アーネストのように無造作ではない。きちんと整えられて、彼のチャームポイントとなっているようだ。清潔感はあるはずなのだが、どこか気取っていて胡散臭い印象を与える。態度も芝居がかっていて、まるで舞台上の役者のようだ。

「『うちの会社』ってことは、お前さんがこの工場の社長さんかい? 随分若いように見えるが……」

 アーネストが自身の顎髭を撫で、軽い調子で聞いた。それでもどこか彼を訝し気に見ている。

「ああ! そうだよ。僕はこう見えて社長だ。この工場で衣服類だけじゃなく、色々作っていてね。ここらでは結構有名で有力な会社の代表だから、知られてると思ったんだけど……。遠方から来たの?」

「ああ、そうだ。俺らは中央地区から来たんだが……。この排水を流してんのはあんたの工場か? 有名だか有力だか知らねえが、川の様子を見たことないのかよ。よく住民から苦情来ねえよな」

 周がそう言った瞬間、彼の保っていた笑みが固まり、冷ややかな表情になった。口角は上がっているが、目の奥から怒気を発している。

「君、急に不躾なことを言うんだね。年上に対して敬語も使わないし。そんなんじゃ社会でやっていけないよ? それに、排水を流しているのはうちだけじゃない。他にもいろんな工場が排水を流している。いい品物を低コストで作るには、こうするしかないんだ。うちの工場だけ排水を流すのをやめたところで、他の工場は排水を流し続けるんだから、川の状況は変わらないだろ? うちだけが損にならないように考えた結果だよ。分かったかな? あと、うちの工場の従業員は皆ここの地区の住民だよ。僕が工場にとって不利なことをしたら、従業員も路頭に迷う。そういうことをちゃあんと考慮してんの。世間知らずの君と違ってね」

 男は早口でそう言うと、勝ち誇ったように笑みを浮かべた。成熟した大人のように見せたいのか。しかし和葉の目には、おもちゃを友人から取り上げることに成功した子どものようにしか見えなかった。

(っていうか、この人も先生に向かってため口じゃん)

 周は不服そうに、というより呆れたようだった。そして何か言い返そうとして、すぐに口を閉じた。アーネストは曖昧な笑みを浮かべ、後頭部を掻いている。彼らの沈黙を自分の勝利と感じたのか、男は上機嫌になった。

「君たち、中央地区から来たと言っていたけど、何しに来たの? まさか苦情じゃないだろうね」

「いやいや、苦情じゃないさ。何しろ、今さっき初めてこの川の状況を見たんだからね。俺は大学で研究をしているアーネストってもんだ。こっちは周と和葉。ここには研究している書物の後編を探しに来た。今、あっちこっちで探す旅に出てるところでね……。『ヘレンの書』って聞いたことないかい?」

「いや、聞いたことないな……。何しろ僕は昔から貧乏で、ろくに学校に通ってなかったから、文字が読めないんだよ。父親も社長だったけど会社は赤字続きだった……。最近の戦争のおかげで、工場が大きくなって今じゃすっかり裕福層になっちゃったけどね。戦争が終わった今でも、軌道に乗り続けていて、僕の工場で作る品物は色々な場所で役立っている。特に貧しい西部地区が発展したのは、僕の工場で作る部品があったからだよ。……おっと、話がそれたね。その本は知らないから君の研究の役には立たないけど、宿は貸してあげるよ。ちょうど社宅の部屋が余ってるんだ」

 意外といい人なのかもしれないと和葉は思った。瞳を明るくさせて周とアーネストを見ると、アーネストは嬉しそうに喜んでいたが、周は不服そうな表情で髪の毛を指にクルクルと絡めていた。

「なんか、たくらんでることでもあるのか? まさか、無償ってわけでもねえだろ」

 周がそう言いながら目を細めると、男は眉尻を下げてバツが悪そうに笑った。

「君、可愛い顔してなかなか鋭いね! 実はちょっと、人を探していてね。協力してほしいんだよ。どこにいるかは分からないけど、この国のどこかにはいるはずなんだ。電話でしか話したことがなくて、顔は分からない……。でも、彼女が言うにはブロンドの髪に青い瞳だ。きっと美女に違いない!」

 大きな身振りを和葉たちに見せつけている。周は呆れたようにため息をついた。

「はあ? そんだけしか情報ねえのかよ。顔も分からないなら探しようがねえし」

「いや、まだ情報はあるよ。彼女の出身地は西部地区だ。彼女はおっちょこちょいでね。出会ったきっかけも、彼女の間違い電話だったんだ。その時の慌てた様子に胸を掴まれて、連絡先を交換してもらった。それと、名前はアントワーヌ。きっとこの名前にふさわしい、美しい女性なんだろうな……」

 彼はうっとりと頬を染めて、宙を眺めている。なるほど、彼はその彼女に恋をしているのだろう、と和葉は気づき、彼に質問をした。

「あの、そこまで知っているのに、なんで彼女の居場所が分からないんですか? 電話で聞けばいいのに……」

 すると彼は心底残念そうに首を振って、ため息をついた。

「それが、連絡がつかなくなったんだよ。電話をしていたのがちょうど前回の戦争中で、戦争が終わったら会おうって約束していたんだよ。僕は自宅の住所を伝えて、そこに彼女が戦争が終わってすぐに来ることになっていたんだけど……」

「全然姿を現さないのか。連絡もつかない。それってお前捨てられたんじゃね?」

 周があまりに率直に言うので、アーネストは「こらこら」と諫めていた。和葉も正直、彼はアントワーヌという女性に一方的に恋をしているように思えた。下手すればストーカーの片棒を担いでしまうことになる。

「本当に君は口が悪いね。実際、彼女も僕を愛していたと思うよ。僕の瞳が緑だと聞いて、僕と会うまではエメラルドのネックレスを僕だと思って大切にする、って言うぐらいだからね。まあ、いい。女の子もいることだし、追い出したりはしないよ。それじゃあ、早速部屋を紹介するからついて来て。ちゃんとアントワーヌのこと探してよ? じゃないと家賃とるからね!」

 彼は眉間に皺を寄せ、にっこりと笑いながら言った。


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