第9話 カーテンの向こう

 その後、ユリウスは再び仕事に行った。不定期な勤務時間に疑問を抱いた周が仕事内容を聞いたら、彼は「運送業」とだけ答えた。

「運送業って、何を運ぶんだ?」

「んー物だよ。色々……」

「仕事の時間バラバラじゃねえか。なんでだよ」

「そんなもんだろ。時間が固定してるとこなんて、家庭教師ぐらいじゃないか?」

 周が色々と聞きたげにしていたが、ユリウスはそれを振り切って行ってしまった。そのため周はずっと不満げな様子だった。

「あいつ、昔はあんな風に誤魔化すようなことしなかったのに、何なんだよあの態度は……先生にしろ、あいつにしろ、俺の周りは言葉が少ない奴が多すぎる!」

 周の機嫌がどんどん急降下している。ずっと貧乏ゆすりをする彼を見ながら、和葉はどうにか気分を変える話題を考えついた。

「そういえば、周さん、ずっとここにいて大丈夫なんですか? 学校の授業とかあるんでしょう?」

「あるけど、この間大学に休学届出してきたんだよ。先生と一緒にヘレニウム病のことが書いてある『ヘレンの書』を探すためにな。まあ、その先生も今『1週間待ってくれ』なんて言ったっきり、ずっとあっちこっち出歩いているようだがな……だから俺は1週間ここに居れるってわけ」

 背が少し低めで顔もやや幼いので、高校生1年生ぐらいだと思っていたが、彼はどうやら大学生のようだ。こんなことを彼本人に言ったら、更に貧乏ゆすりの回数が増えることは分かっていたので、和葉は黙っておくことにした。

 しかしずっと黙っておくわけにもいかないと思った和葉は、簡単な質問をすることに決めた。

「先生って、この間大学で会ったあの人ですよね? 周さんの先生なんですか?」

「ああ、そうだ。俺が14歳の時からずっと一緒に暮らして。先生と学生っていう立場になったのは最近からだけど、俺はずっと出会ったときから『先生』って呼んでるな。昔からずっと俺に色々教えてくれてたから……。スラム街でボロボロだった俺を助けてくれて、その上自分が教授として働く大学にも通わせてくれる、一応、命の恩人なんだ」

「優しい人だったんですね」

 和葉は彼らへ苦手意識を抱いていたことに罪悪感をもった。

「まあ、基本だらしねえけどな。それで、先生はずっと『ヘレンの書』について研究してるんだが、あの本の信憑性は低いし、全く科学的じゃない。だから周りの教授や国の役人から軽んじられてるんだ。役に立たない娯楽の学問に金を払うくらいなら、薬品開発の方に資金を回そうっていう話になっている。このままじゃ先生はクビになるかもしれねえし、何より『ヘレンの書』が世間から忘れ去られてしまうかもしれねえ。だから、俺と先生であの本を探しに行くんだ」

 周の瞳は爛々と輝いていた。前を向いて進む彼の希望ある瞳は、和葉にとってはあまりにまぶしかった。心の苦しさを誤魔化すように「意外と喋るんですね」と言ったら、彼の機嫌はまた急降下してしまうことになった。

 

 翌朝、和葉は再び三雲と会って話をしようとした。周は単発のアルバイトのために外出し、筒音は炊き出しの列に並びに行った。そのため、家の中には三雲と和葉の二人だけである。

「三雲さん、声綺麗ですよね。うらやましいな」

「歌声もきっと綺麗ですよ」

 このように何度も話しかけるが、返事がない。しんとした家の中に、和葉の声だけが広がる。周から「何か共通点を見つけて話すといいんじゃないか」とアドバイスをもらったが、なかなか実践できない。ただ褒めるだけなんて、会話にならないということは、いくら世間知らずの和葉にだって分かっている。

 一方的に話すのが辛いと感じてきたころ、筒音が帰ってきた。着ているワンピースは、相変わらず汚れている。

 彼女は和葉を見ると、あからさまに嫌な顔をした。綺麗に配置された顔のパーツを、一瞬で中央に寄せる。そして「どいて」と言いながら和葉の肩を足で追いやった。

「お姉ちゃん、今日の炊き出しはおかゆだよ。置いとくね」

 明るい声でそう言って、カーテンの中にお椀を差し入れた。しかしカーテンの向こうで物音が聞こえたものの、三雲がそのお椀に手を付けることはななかった。

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