帰還

 仰向けになって眺める空はとても青かった。

 うつ伏せに倒れずに済んだのは、少し運が良かったのかもしれない。……自分の作った血だまりと地面は、眺めても楽しい気分にはしてくれないからだ。

 すでに物音はしなくなっている。何とかして様子を見てみたいところだが、あいにく指一本動かせない。諦めるしかないだろう……俺は死んでいるのだから。

 視界の真ん中に「あなたは死にました。リスタートまで……」とアナウンスが浮かび上がっていて、その下で数字がカウントダウンもしている。

「どうなった?」

 試してみたら声は出た。このシステムでも、死亡中に話ができるようだ。

「……負けちゃったよー」

「エンドっす」

「私もですね」

「わ、私もやられちゃったんですけど……その……それで……身体が動かないんですけど……」

 みんなから返事があった。俺と同じように倒れているのだろう。まあ、立て続けに四回の悲鳴があったものな。

 ネリウムがアリサエマへ死亡について説明しているのが聞こえる。

 それを何とはなしに聞きながら俺は「最後にエンド喰らったのいつだっけかなー」だとか「あ! 良くみたら鳥が飛んでるな。細かいところに凝ってんなぁ」などと、くだらないことを考えていた。

「あの……巻き添えにしちゃって……その……」

 申し訳無さそうな声が聞こえてきた。

 声からして、ここへ逃げ込んできた迷惑男だろう。

 思えばこいつが大量のゴブリンを引き回していたから、俺たちはほとんどゴブリンと遭遇することも無く、ホブゴブリンがいるような奥までこれたのだろう。

「ちょっ……なんなんだよ、あんた! 迷惑にもほどがあんだろ!」

 リルフィーの怒鳴り声が聞こえる。

 気持ちは解かるし、俺も同じ気持ちだが……罵り合う死体たちというシュールな光景を想像したら、なんだかとても可笑しな気分になってしまった。……さすがに、いま笑いだしたら変な奴だ。我慢しなくては!

「それなんですけど……あっ……時間が!」

「おいっ! 何とか言えよ! おいっ!」

 リルフィーがなおも言い募るが……それっきり迷惑男の声は聞こえなくなってしまった。リスタートになったのだろう。

「……リスタートになったんだろ。どうなるか判らんし……はぐれたら噴水広場な」

 みんなから了承の声が返った。

 そろそろ俺のカウントが零になる。これが無くなったらリスタートになるのだろう。

「じゃ、先にいってるな」

 カウント零と共に視界は真っ白な光に埋め尽くされ、一瞬だけどこにいるのか解からなくなり……気がついたら俺は街に戻されていた。


 やや遠くにだが、噴水広場が見える。

 ここで待ってれば、みんなもリスタートしてくるはずだ。個々で違うリスタート場所だったとしても、しばらくしたら噴水広場へ行けば良いだろう。

 MMOで死亡状態になると、手近な安全地帯で復活するのが一般的だ。ほとんどのシステムで死亡場所での復活はしない。

 そんな仕様だと詰むことがあるからだ。例えばあの森で復活したら……その場でゴブリンに殺されるだけだろう。

 待つ間が暇なので、メニューウィンドウを呼び出して死亡ペナルティの確認をしておく。経験点、アイテム、所持金……これらが減るのはよくあるペナルティだ。

 しかし、とくに何も減っていない。所持金は記憶だよりであやふやだが……大きく減った数字ではなかった。

 これはまだ初心者扱いされているレベルで、死亡時のペナルティが免除されているのだろう。

 MMOはゲームであるし、発生する損害もゲーム内のものだ。今回は全く被害が無いとも考えれるが、俺はそうは思わない。

 人はゲームに……MMOの世界に遊びに来るのだ。

 ゲームデータが減ったり増えたりよりも……愉快か不愉快かの方が重要なことに思える。

 迷惑行為で死亡なんていうのは、凄く不愉快な気分にさせられることだ。

 こんな目にあったら怒り心頭になりそうなものだが……不思議と心は穏やかだった。いや、もちろん、カエデやネリウム、アリサエマの分は別にしてだ。それは許せそうもない。怒ってもいる。しかし、それを除けばむしろ、スッキリした気分と言えた。

 できる限りの努力はしたからなのか、攻略が目的ではないからなのか……理由は自分でも良く解からない。我ながら謎だ。

 そんな俺へ――

「くぅ……ゴブリンが強くて驚きました!」

 先ほどの迷惑男が話しかけてきた。

 なんだろう? こいつ……ちょっとおかしくないか?

 ここで待っていれば俺たちを見つけられる。一言あってしかるべきだし、こいつが待っていたのは理解できた。

 でも、この第一声は……どんなもんだろう?

「うーん……まあ、俺は良いんだけど……パーティメンバーがな……そっちには謝って――」

「あっ! タケルさん! リスタ地点近かったんすね。みんなも同じかな? ……あれ? そいつは――おい、お前! なに考えてんだよ! MPKか!」

 リスタートしたリルフィーが俺たちを見つけたのか――途中から怒鳴りながら――近寄ってきた。

 リルフィーは凄い剣幕だが……迷惑男はへらへらしてやがる。

 MPKとはモンスタープレイヤーキルの略語で、モンスターを利用してプレイヤーを殺す方法のことだ。ほとんどのゲームで重大なマナー違反、迷惑行為とされている。以後、警告なしで攻撃されても文句は言えない。過失であっても、きちんと和解しておかねば報復されることもある。

「ちょっ……まっ……いきなりMPK呼ばわりなんて止してくださいよ! まるでワザとやったみたいじゃないですか!」

「ワザとかどうかなんて関係ないんだよ! お前のせいで俺たちは全滅だぞ! どう責任取るんだよ!」

 リルフィーはなおも迷惑男を責め立てる。

 これはリルフィーが怒りっぽいとか、心が狭いとかの――多少、その通りではあるが――問題ではない。必要なことでもある。

 迷惑行為などをされたら必ず抗議をする。これはMMOでは自衛のために必要なことだ。

 いちど舐められてしまったら、評判を取り戻すのは難しい。ここでは「あいつらと揉めると厄介だ」くらいに思われるのがベストではある。

「いやー……ゴブリンが一匹いたんですけど……斬りかかったら近くの茂みに何匹か隠れてたんですよ! それでいきなり三匹相手ですよ? そんなの無理に決まってるじゃないですか。それで逃げ出したんですけど……逃げ切れないし、どんどんゴブリンは増えるしで……。もう、笑っちゃいますよね。あはは……」

「ならっ! その場で死ねば良いだろ! 逃げて何が変わるんだよ!」

 迷惑男の無責任な発言に怒鳴り返すリルフィー。

 MMOに慣れていない人には、リルフィーが怒りのあまり無茶苦茶なことを言っているように聞こえるだろうが……これは全面的に正しい言い分だ。

 自分が助かるために、他人を危険に晒すのは重大なマナー違反とされている。

 下手をすると今回の俺たちの様に、ただ不愉快な目にあう犠牲者が増えるだけだ。ごちゃごちゃ言い訳するくらいなら、最初から実力に見合ってない狩場へ行かなければいい。手に負えないピンチでも、下手に拡大させなければ被害は自分だけで済む。

 これはプレイヤー同士の交友だとか、助け合いの精神とは別次元の基本的なマナーだ。

 どうしたものか。迷惑男の言動は不愉快ではあるが……それ以上に不可解な点が多すぎる。

 迷惑男の名前を記憶しておくべく、さりげなく調べた。こいつが要注意の問題プレイヤーなら今後は警戒するべきだし、それなりの対処をしておかねばならない。

 しかし、名前より所属ギルドの方に見覚えがあった。迷惑男の所属ギルドは『RSS騎士団』だったのだ。

 色々なことがおかしく思えてきた。

 結束の強いギルドほど、その所属ギルドメンバー達のマナーは良くなる。結束の強いギルドは揉め事に一丸となって対応するからだ。細かなマナー違反でちょくちょく揉め事を抱えてしまっては、ギルド全体が身動きが取れなくなってしまう。

 ギルド移住を試みるようなギルドだ。結束が悪いわけがない。

 また、この迷惑男はなんらかのMMO経験者ということだ。

 それなのに基本的なマナーを心得ていなかったり、『引き』を理解してなかったり……あからさまに怪しい。

 ここは事情が判るまで決定的なことはしない方が良いだろう。

「……そこら辺にしとけ。リルフィーが怒るのは解かるが……みんなを待たせてる。先に合流しよう」

「……よろしいので?」

 リルフィーを宥めようとしたら、いきなり後ろから声をかけられた!

 ……誰かと思えばネリウムだ。

 ネリウムも近くにリスタートしていて……おそらく、リルフィーが揉めているのを見物していたのだろう。……それなりに楽しみながら。まだ顔が緩んでたし。

 なぜか穏やかな気分だったから俺は冷静だったが……俺もリルフィーのように怒鳴り散らしていた可能性はある。……下手したらカエデの目の前でだ。助かった……のか?

 慌てて周りを見渡すが、カエデとアリサエマの姿は見当たらない。

「カエデさんとアリサはこの辺では無かったようですね。噴水広場にいきますか」

「そうっすね! こんな奴を相手にしてもしょうがないし……二人と合流しますか!」

 ネリウムに気がつくと、リルフィーはとたんに機嫌が良くなりやがった。

 ……それなりに相棒の狩りは順調……なのか?

「……あとで説明します」

 小声でネリウムに伝えた後――

「じゃ、合流しよう。今回は見逃すけど……名前は控えさせてもらったから」

 軽く迷惑男に釘を刺しておく。

 なおも何か言いたそうなのを振り払うように、俺たちは噴水広場へ向かった。


「遅いよ! 三人ともー!」

 噴水広場に到着した俺たちの顔を見るなり、カエデは文句を言った。ふくれっ面だが……とても可愛い!

 それになぜかアリサエマは安堵のため息を吐いた。

「……何かあったのか?」

「うんとね……ボクたちは同じリスタート?の場所だったんだけど……」

「そこで男の人たちが喧嘩になってまして……」

 俺の問いに二人が答える。

「凄かったんだよ。連れの女の子は泣いちゃってるし……」

「それで……みんなのことが心配になって……さっきの男の人と会いました?」

 そこで二人は俺たちを窺うように見た。

 まあ、オープンβ初日だ。廃人達が必死に攻略中だろうから……多少の揉め事が起きてもおかしくない。二人はそれに鉢合わせたのだろう。

「大丈夫です! 喧嘩になんてなりませんでしたよ! 俺がばしっと言ってやりましたからね! ばしっと!」

 リルフィーは自慢げに報告するが……むしろ不安的中、ぐだぐだの口喧嘩に……それも劣勢だったはずだが……それは言わないのが武士の情けか。そんなリルフィーをホクホク顔で鑑賞するネリウムもいることだし。

「まあ、不愉快なことは忘れて……とりあえず分配でもするか!」

「そうですね! まずは狩りの成果を喜ぶということで!」

 空気を変えようとした俺の言葉に、すぐにネリウムが被せてくる。

 選択肢として再開もあるが……ちょうど街に戻ってきたのだ。いよいよ本命の狩りに着手するべきだろう。

 さくさく終わらすべく、てきぱきと仕切ってドロップを集める。

 内訳は金貨が四百枚強、『基本溶液』が五十個強、『善行貨』二枚、『みどり草』が一つだ。

 これを均等に分けるのだが……価値が判らないと分配が難しい。これも未踏の地での狩りで困ることの一つだ。

 だいたい、こんなに細かい数字のドロップなんて久し振りすぎて……逆に新鮮ですらある。

「まあ、適当にやるぞ。回復薬系統はさっき配ったのをそのまんまで良いだろうしな」

「そうですね。おそらく貴重なものは無いでしょうし」

 すかさずネリウムのフォローが入る。

 こんな雑事にかける時間が惜しい! 可能な限りサクッと終わらせねば!

「あの……私……そんなに役に立ってないし……分配は無しでも……」

 しかし、遠慮がちにアリサエマがそんなことを言い出す。

「いや、そういうのは良くない。きちんと平等に分けよう。それにアリサさんは活躍してた」

「そうっすよ! 今日はみんなでワイワイ楽しくできたんですから……それで良いんっすよ!」

 リルフィーが柄でもないことを言いだす。

 しかし、内心照れてしまうが……奴の言い分は俺にも理解できた。

 効率とか儲けとかで考えたら、今日の狩りは散々だろう。

 でも……まあ……こういう遊び方も悪くないと思ったのは事実だ。初めてMMOをした時の楽しさがあった。……こんな恥ずかしいことは絶対に口にしないが。

「そうだよ! ボクたちは仲間なんだから……細かいことは言いっこなしだよ! ボクも下手っぴいだったし!」

 そんな風にとりなすカエデも楽しかったようだ。

「そうですね……また、このメンバーで狩りに行きたいものです」

 ネリウムもフォローを入れてくれるが……なんだかフォローというより、素直な感想にも思える。

 和やかな空気のまま分配は終わった。

 ……こんなのも悪くない。

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