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 案内をしてくれた衛兵のうちひとりが、リタに向かって丁寧な礼をしてから、謁見の間の扉を屈強な腕で押し開けた。

 中には大勢の人がいた。

 フードのせいで狭い視界の中に、ゴラン・ゴゾールの見知った顔が、幾つもあった。いつも顔を合わせていた近衛騎士の同僚たち、父や兄の付き添いで出会った王宮の役人たち、軍を束ねる将軍、宰相の補佐……皆が一様に期待の眼差しをリタに向けているのがわかった。その前で顔を晒した時、どのような視線を向けられるのだろう、と思った時だ。

 ゴラン・ゴゾールの腰の左のあたりで、息を呑む音が聞こえた。

「レミ」

 低い位置から聞こえてくるのは、大抵がルパの声である。思わず見た少年は、フードを取って、一点に釘付けになっていた。ゴラン・ゴゾールも、その方向を見た。

「ルパ!」

 ジョルマ・フォーツの王と王妃は三年前に既に亡い。二つ並んだ玉座は、今、二人の王子のものだ。その左横にいる子供の姿に目を奪われた。背中に垂らした銀色の三つ編み、詰襟のある生成りの胴着、裾を絞った服。砂漠で会った時よりも心なしか綺麗に整えられているような気がするが、間違いない。レミだ。少女は半身の姿を目に留めて一歩踏み出した。だが、すぐに伸びてくるのは、褐色の手。

「動くなと言っただろう」

「そうだった、ととさま。ごめんなさい」

 レミの言葉に、ゴラン・ゴゾールは、ラモ翁の言ったことを思い出した――父親が子を放って、どこかへ行ってしもうての――命よりも大切なものがある、必ず返さねばならぬ、とか言って、消えよった――タオモ氏族の者ということしか覚えておらぬのじゃ――名乗りもせずに謝るだけ謝って、すぐに走っていったあやつを見送って、それっきりじゃ――彼を助けて、返さなきゃいけないものを返せばいい、と、ラモ翁に言ったことも。

 短く刈り上げられた銀色の髪、褐色の肌。ととさまと呼ばれたその男は、ジョルマ・フォーツの王宮の、官吏の衣装を着ていた。ゴラン・ゴゾールが一切接触することのなかった宰相付きの者である証。

「もしや、あなたは、タオモ族の」

 これだけ沢山のことを思い出して、すぐに答えに結びつけられたのは、我ながら良い頭の働きだったと感じながら、ゴラン・ゴゾールは言った。男も、はっとした表情で顔を上げる。

 しかし、ふたりが言葉を交わす前に叫んだのは、ルパだ。

「お前、誰だ! レミを離せよ!」

「ルパ、大丈夫だよ! 優しい人だから!」

 少女が慌てて言うが、ルパは飛び出そうとする。その襟首を、ゴラン・ゴゾールは咄嗟に掴んだ。

「レミをさらったのはお前だろ! 優しいのかもしれないけど、ぼくは騙されないぞ! 離せよゴラン、レミを助けなきゃ!」

「よせ、ルパ、ここは謁見の間だ――」

 ゴラン、ゴラン、ゴゾール、近衛騎士、第二王子殺し、暗殺、という単語が周囲で囁かれるのが聞こえた。リタが、まずい、と呟くのも聞こえた。砂漠の秘宝を持ち帰ったということを先に公表する筈だったのだ。それがどうだろう、王宮には既にレミがいる。レミが父と呼び、ラモ翁が探していたタオモ族の者は、官吏の服に身を包んでいるではないか。

「レミはそいつにさらわれたんだ!」

「確かに、ととさまに連れてこられたけど、さらわれたんじゃない――」

 レミがそう叫んだその時だった。

「ジョルマ・フォーツ第一王子マローノ・ノーリ・ペコ殿下及び、宰相ネーロ・ヴォプロどのの御成りである」

 ゴラン・ゴゾールはその時、謁見の間に入ってくる背の高いふたりを、見た。

 何度か見たことのある宰相は、高さのある四角い緋色の帽子を被り、濃い色の毛をさっぱりと短く整え、髭をたたえ、どこかいけ好かない緋色の長い衣装を身に纏い、きっちりとブーツを履いていた。これまた何度か見たことのある第一王子マローノは、濃い菫色の膝丈の胴着を着ていて、ぴったりとしたズボンにブーツを身に付け、王族らしい厚みのあるマントを羽織っている。双子なだけあって、第二王子のカストーノによく似た風貌。だが、そこにいる王子の、晴れた空によく似た色の双眸は、世界を拒絶しているかのように凍てついて、濁っていた。

 ゴラン・ゴゾールは違和感を覚えた。第二王子と第一王子の目の色は違っていた筈だ。空色の目はカストーノの色だ、と、記憶が己に告げている。目の前にいるのはマローノだというが、一体誰だ?

 氷のようなその視線が、ゴラン・ゴゾールをふと見た瞬間、濁った目が、光を得て、見開かれた。ゴラン・ゴゾールも、相手が誰であるのかに気付いた。

 ふたりは互いに互いの名を呟いた。

「ゴラン」

「カストーノ殿下」

 唇の動きが、互いだけに届いた。

 生きていたのだ。カールの言った事は半分本当で、半分嘘だった。牢になど繋がれていなかったのだ。ゴラン・ゴゾールは、己の主君が無事であったことに安心した。だが、新たに、小さな疑問が、腹の底から喉のあたりまで、ふわりと浮きあがってきた。

 カストーノ王子は、マローノ王子としてこの場に現れた。

 だったら、本物のマローノ王子はどこにいるのだろう?

「カール」

 ゴラン・ゴゾールは、カールを振り返った。従者であり替え玉でもあった彼ならどういうことなのか知っていると思ったのだ。だが、青年は何も言わない、ただ無表情で、下を向いていた。その目の色を覗き込む。カストーノよりも濃い、それは碧。

 そこに響くのは、宰相ネーロ・ヴォプロの無慈悲な声。

「近衛、そこに立っておるのは詐欺師と王族殺しである。捕らえよ」

 その時、ゴラン・ゴゾールは気付いた。宰相が身に纏っている豪奢でいけ好かない緋色の衣装の胸元に、鎖に繋がれた小瓶のようなものが掛かっていることに。その中で、何かが激しく飛び跳ねていた。目を凝らしてみれば、それは、小さな小さな白い塊。

 ともすれば何の変哲もない石ころに見えるそれを、宰相が大事そうに首から掛けているのは何故だろう、と思って、注視した。近衛騎士に抜擢される程の実力を持っていた騎士であったのだから、ゴラン・ゴゾールは当然目がいい。

 そう、激しく跳ねるそれは、口に入れることが叶わなかった、芳醇な香りを放つ塊にそっくりだ。

 伝説のチーズ。

「ちょっと、触らないで、放しなさいよ!」

「痛い!」

「やだ、下ろして、下ろしてよ!」

 だから、伸びてくる腕に反応するのが遅れた。リタとカールは既に捕らえられて呻き声を上げ、ルパは抱え上げられ、ゴラン・ゴゾールは、あっという間に拘束された。

 一縷の期待を抱いて見たカストーノは、無表情だった。

 そうして、宰相の冷たい声は、謁見の間に響き渡る。

「牢に繋げ。砂漠の秘宝は既に献上されている。そこにいる私の側近ジン・タオモの娘だ」

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