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 まだ暗かった。ゴラン・ゴゾール、カール、ルパ、リタは、ヴェンゼに連れられて、伐採場の北端、隠者の森の木々の影に隠れられる所まで来ていた。

 皆で口々に危険だと言ったが、ツコの一人娘は強情で、どうしてもついてきたがった。

「商人のお付きの者の格好をすればいいわ。そうして、正面から堂々と王宮に入るのよ、そうしたら怪しまれないわ。その為にツコの名が……私が必要でしょう。そうね……新たな取引先を見付けたとでも、お父様には言っておいて頂戴、テモネーロ監督官」

 正論ではあるが、父親と娘で違いがあるのではないか、などとゴラン・ゴゾールは思うわけである。だが、それ意外にいい方法を思い付かない。カールを見れば、それが妥当だとでも言いたげな表情をしていたから、ここは彼女の言う通りにしておくのがよさそうだ。

 さかさまのグラダはこの場にいなかった。何か気になることでもあるのだろうか、彼はまだ伐採場に留まるらしい。

 ヴェンゼは、ゴラン・ゴゾールに向かって、何か含みのある顔でこんなことを言った。

「あの男については、どうも、只者ではないと思うのだがね。なめてかかってはいけない。まあとにかく、気を付けたまえ。場合によっては、我輩はカストーノ王子の死を悼む一味として、ここの者を全て率いても構わない。優秀な部下もいるから、数人後をつけさせよう。誰かの気配がしたら、おそらくそれは我輩が寄越した者だと思っておいて欲しい」

 監督官は頼もしい笑みを甘い顔立ちに浮かべる。

 朝の気配が地平から立ち昇り、東の空が徐々に白み始めていた。天藍が艶のない光沢を帯びて、世界が明るさを増していく。隠者の森は風に撫でられ、騒めきながら目覚めようとしていた。

「荒れ地には軍がうろうろしているが、隠者の森は一本道で安全だ。だがね、決して余所見をしてはならない。呑まれるぞ」

 ヴェンゼは、ゴラン・ゴゾールとカールとルパに商人の従僕らしい服一式と丈の長い外套をくれた後、最後にそう忠告した。

 そうして踏み入れた隠者の森の一本道は、道とは到底呼べそうにない有様であった。

 下草が踏まれて固められているのが辛うじて見えるが、それも、生えてくる草で覆われようとしている。絡み合う蔦、岩や根を覆う地衣類。立ち並ぶ木々の洞と瘤は、まるで人面のよう。悠久の時を見守ってきたかのような表情は、今にも両目を開き、何かを語りかけてくるかのように思えた。

心なしか大きい気がする茸の傘が開ききっていて、そこからは、何やら光る粉のようなものがふわりふわりと舞っている。胞子だろう。ゴラン・ゴゾールは、人に貼り付いて苗床としてしまう恐ろしい茸のことを思い出した――軍学校で学んだのだ、命を助けるには、貼り付いてしまった箇所を切り取るしかない――何かが光るという特徴はなかったからおそらく問題はないだろうが、警戒するに越したことはない。

 四人は折れて寝ている草の痕を探しながらひたすら進んでいった。光る胞子を追ってしまいそうになる己の意識を逸らす為だろうか、カールはひたすら喋り続けた。

「カストーノは地下牢の最深奥にいる筈です。ヴォプロ宰相はその地位につく際、己の政敵を皆地下牢の一番奥に隔離して、残った者に、その者達は最早存在しないに等しい、という意識を徹底的に植え付けてから、伐採場や砂漠や送った者ですから。カストーノも、同じように扱われているかもしれません」

 ゴラン・ゴゾールは、カールが第二王子に敬称をつけずに呼んでいるのを少し不思議に思いながら、黙って頷いておいた。余程親しくしていたのだろうか。

 茸に吸い寄せられそうになるルパの首根っこを捕まえてそっと歩かせながら、四人は、リタの計画との擦り合わせも行った。

「私は王宮に入る時にツコの名で通せるわ。おそらく宰相への謁見も通るでしょう……けれど、どういった理由で行くかよね」

「ゴランどのが砂漠の秘宝を持ってきたということにしましょうか?」

 長い髪をぐいぐい引っ張りながらせかせかと歩を進めるリタに応えるのは、己の腕を常につねりながら足音を立てて大股で行くカールである。その視線はちらちらと茸の方に向いていた。まるでその生態を調べてみたいとでも言いたげだ。

 ゴラン・ゴゾールは、服を大量に詰め込んだ背嚢の帯で腕を締め付けたり緩めたりしながら、思わず零した。

「何でおればっかりが大役なんだ」

「リタどのは商人の娘さんですし……私はこの顔なので目立ちます。ルパは、存在が砂漠の秘宝めいていると思いませんか? あなたは王子殺しの大罪を犯したということになって、秘宝を手に入れるべく、砂漠の真ん中に放逐されました。どういうわけか、偶然が重なり、大変な幸運に見舞われ、あなたはルパという存在を連れてくることによって、砂漠の秘宝探しに成功したんですよ」

 カールは腕を赤くしながらにっこりした。大きな噓をついている筈なのだが、真実が混ざっているあたり、笑えないものである。

 森の木々の間から僅かに差し込んでくる陽光が紅に染まり、空の色がすっかり変わって星が瞬き始める頃、唐突に森は開けた。

「王都だ……ジョルマ・フォーツの」

 ゴラン・ゴゾールは、思わず言った。

 石造りの街並み、白い外壁は残照を受けて、紺碧の空の下、ぼんやりと幻想的に浮かび上がっている。夜の匂いが濃い。王宮の方は既に暗く影を抱いていた。

 己がこの王都から遠ざけられたのは、燭台の谷へ派遣されていた時よりも短い期間であったが、やっと在るべき場所へ帰ってきたという気持ちになった。

 リタの視界を美しく保つために、男三人は森の中で各々腕や脚をつねりながら必死に服を着替えた。ヴェンゼが渡してくれた従者の服の外套についているフードは目元まで隠れるくらいに深く、防塵用の覆いが口元についていて、少々怪しい印象を与えはするが、人相や表情を隠すのにはうってつけだった。ややあって出てきた三人を見た彼女は非常に満足そうに頷いたから、おそらくこれで大丈夫だろう。召し物を替えるだけで立派な従者の出来上がりである。

 それまで着ていた服は、襤褸は捨て、それ以外は丁寧に畳んでまた背嚢に入れた。

 ここまで来れば、もう、元近衛騎士ゴラン・ゴゾールの知らないところはない。存分に力を振るう時が来たのだ。

「外壁にある門で、見張りが手薄なところなら知っている。このまま行くか?」

「……非常に頼もしいですが、王都中を逃げ回る羽目になるのは得策ではありません。リタどのに仲介もお願いするのなら、その手は使えません。砂漠の秘宝を持ち帰った者を保護した正規の商人ですからね……寧ろ、知りたいのは検閲の緩い門がどこなのか、です」

 カールが、まるで諫めるかのように言った。腐っても第二王子付きの近衛騎士だった男である。ゴラン・ゴゾールは王都のことなら何でも把握しておくように日頃から努めていた。

「今はどうか知らんが、八つあるうちの、二番目に大きい門だな」

「……南東の?」

「そうだ。軍は使わんし、交易路に直結していないから、商人がわざわざ使うこともない。盗賊は大体荒れ地やら隠者の森方面、つまり王都の南西、南の方から来る」

 カールは暫し顎に手を当てて何かを考えていた。ゴラン・ゴゾールは待った。リタもルパも待った。

 やがて青年は暗闇が王者となった世界の中で顔を上げた。

「一番大きい門から行きましょう」

 一番大きい門は南、軍も使うし、商人もひっきりなしに出入りするし、検閲は厳しい。あっけにとられたゴラン・ゴゾールの目の前で、リタが、にやりと笑った。

「……そうね」


「ぼく、やっぱりぼくの服を着るよ! ぼくが砂漠の秘宝なら、そうするのがいいでしょう!」

 ルパは笑ってそう言い、出会った時に来ていた膝丈の胴着と足首で絞られたズボンに着替えた。ジョルマ・フォーツの民は白い肌をしており、それを引き締め、また魅せる為に、襟ぐりが深く、濃い色の服を着ている。詰襟のせいで首元まで隠れるアルタン族の生成りの衣装と褐色の肌は非常に目立つ。

 一行は南門で話題になることにした。衛兵に取り囲まれるのは一瞬だった。

 南門から、リタが砂漠の秘宝を発見した者を保護したという話が王都中に広まり、王宮から異例のお呼びがかかって最高級の宿に案内されて休息を取るまで、一日もかからなかった。

 その翌日だ。たらふく食べてたっぷり眠った後、一行は王宮へ通された。

 ここから離れてまだ十日も経っていない筈だったが、ゴラン・ゴゾールにとっては、随分久し振りに思える王宮だ。

 白い石材の壁、取り付けられている鉄製の燭台、王国の紋章である双頭の細長い竜が金糸で縫い取られた、光沢のある重々しい真紅のタペストリー……見慣れた筈の景色が新鮮に見える。いつも、宿舎から近衛騎士の衣装を身に付けて登城していたからだろうか。常に第二王子カストーノの傍に控えていた己にとって、このような形で城門をくぐり、世にも不思議な避けるチーズと服の入った背嚢を背負い、外套のフードを深く被ったまま衛兵四名に囲まれ、己の右側に白亜の噴水と上品な庭園を眺めながら壮麗な列柱回廊を行き、宮殿へ入り、廊下を進むのは不思議な気持ちだった。

 そのせいだろうか、緊張したゴラン・ゴゾールは便意を催し、厠へ行きたいと申し出た後、ラモ翁から貰った薬入りの小瓶を開けて中の下剤をほんの一舐めし、これ以上腹が痛くならないように、出そうだったものを全て出した。小瓶は、胴着の胸の内側にある衣嚢に仕舞った。いつでも使えるようにしておきたかったのだ。

「リタ・ツコどの。ここが謁見の間にございます。宰相ネーロ・ヴォプロ様がいらっしゃるまで、中でお待ちを」

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