[10]

「ううう」

 三雲は呻き声を漏らした。寝ていたソファから身体を起こし、腕と背筋をぐっと伸ばした。固くなった筋肉が悲鳴を上げている。自宅のマンションに帰ることを許されず、第201飛行隊司令部棟2階の応接室で警務隊に拘禁されてから2日が経っていた。

 聴取が始まる10分前、同じ階の会議室に入った。今朝は岸元と岡田の他にもう1人、新しい顔が部屋にいた。部屋にほんのりとコーヒーの香りが漂っている。どの顔も血色が悪そうに見える。寝不足らしい。岸元の後ろ髪もほんの少し逆立っていた。

 岸元は三雲に新顔を紹介する。市谷の情報本部に所属する設楽という二佐だった。設楽が最初に話を切り出した。

「貴官は篠崎・一尉の《イーグル》が消失したのは墜落ではなく、何某かに撃墜されたんじゃないかと証言したそうだな。オホーツク海上の空域に侵入した第2の敵味方識別不明機アンノウンがやったと」

「ええ」

「そして、第2のアンノウンは最初に発見されたアンノウンを攻撃したのではないかと」

 三雲はうなづいた。

「実を言うと、私も貴官と同じ考えを持ってるんだ」

 初めて聞く話だった。岸元は耳を疑った。設楽はノートPCのディスプレイを三雲に向けた。

「篠崎・一尉が失踪した日・・・16日だな。当夜、稚内の第18警戒群が捉えたレーダー情報を今から見せる。レーダーサイトは〈キーホール〉」

「〈キーホール〉?自分は・・・」

 設楽は三雲の言葉を遮った。

「ああ、貴官が緊急発進時に交信したのは〈クイックサンド〉だよな。当別の第45警戒群。だが、そのレーダーサイトについては後で言及しよう。じゃあ、動画を再生するぞ」

 ディスプレイに3つの光点フリップが映し出された。2つはディスプレイ下方から上昇しており、残り1つは上方を右から左に移動している。設楽は上昇する光点を指差す。

「この2つが千歳基地を発進した貴官のジェリコ編隊フライト。画面の上を移動する光点が1つ目のアンノウン。三雲・二尉、貴官はこれを目視確認ヴィジュアルアイディできたのか?」

「いえ、レーダーで反射を確認できただけです」

「それで、アンノウンがロシア空軍機のTu-95《ベア》じゃないかと」

 三雲はうなづいた。

 ディスプレイに中央から左上にかけて白い影も映っていた。影は弧を描き、一定の幅を持った何本もの筋になっている。当夜はオホーツク海の上空に発達した低気圧が広がっていた。その低気圧が作り出す雲がレーダー波を反射している。アンノウンのレーダー機影エコーが時おり低気圧のエコーと重なり、見分けがつきにくい。もっともF-15のコクピットに収まっていた自分も同じ状況に陥っていた。設楽は口を開いた。

「某所の話では、このアンノウンがロシア空軍機じゃない可能性があるそうだ」

 三雲は訝しげに眼を向ける。

「この時、アメリカの貨物機が近くの空域を飛んでいた。フライングタイガー航空192便。機体はB767」

 そろそろだな。三雲は無意識のうちに唇を舐めていた。

 ヘッド・アップ・ディスプレイの直下で点滅する主警告灯マスターコーションランプの赤い光と耳障りな警報が脳裏に甦っていた。編隊長リーダー機の篠崎が無線で散開ブレイクを命じる。自分も操縦桿を引いて《イーグル》を急上昇させた。

 次の瞬間、ディスプレイ中央が白濁する。ジェリコ編隊フライト、貨物機、低気圧のレーダーエコーも全て呑み込まれてしまった。

 三雲は眼をしばたたいた。ほどなくディスプレイは元に戻る。ディスプレイ上を移動している光点は1つしか残っていない。

「192便はこの時、撃墜されたと思われる」

 撃墜されたということは機体や主翼がバラバラに分解しながら海に落下したはずだが、レーダーにそれらしい破片が1つも映っていない。ディスプレイで唯一動いていた光点が停止する。再生が終了した。

「証拠はあるんですか?」三雲は言った。

 設楽は再度、ディスプレイ中央が白濁する瞬間を再生する。

「これは電子妨害ジャミングだ。ジェリコ編隊フライトでも192便でもない。第2のアンノウンがこれを仕掛けた。目的は192便の撃墜だ。状況証拠になるが、哨戒飛行中だった第601飛行隊のE2-Cも攻撃を受けてる。この件は貴官が証言した通りだ。篠崎・一尉もこの攻撃に巻き込まれた可能性が高い」

「地上のレーダーで第2のアンノウンを捉えてないんですか?例えば《ラミネート》は?」

 三雲が言及した《ラミネート》は奥尻島分屯基地にある第29警戒群のレーダーサイトを示すコールサインである。当別と奥尻島のレーダーに幅域が重なっている部分がある。

「192便が落ちた位置は北に寄り過ぎてるからな。《ラミネート》では捉えてない」

「では、自分たちが交信した〈クイックサンド〉はどうです?」

「〈クイックサンド〉からは本省が当夜のレーダー情報を回収してるんだ」

 三雲は顔をしかめる。

「本省が?」

「翌日、17日の朝に市谷から防衛書記官がやって来て回収したそうだ。レーダーを監視してた隊員も聴取してる。要撃管制幹部は不思議そうに首を捻ってたよ。その幹部は編隊長リーダー機―篠崎・一尉が海に墜落しただけと思ってたそうだから」

「墜落の瞬間がレーダーに映ってたのか?」岸元は言った。

 設楽はうなづいた。

「なら、どうして防衛書記官は三雲・二尉が撃墜したと思ったんだろうか?」

「そのきっかけは、おそらくこれだ」

 設楽は1枚のA4用紙を三雲に手渡した。

「これも17日、国防総省から市谷に正式なルートを通じて送られてきた文書だ」

 A4用紙にタイプ打ちされた文字が並んでいる。発信者の欄にアメリカ合衆国海軍作戦部長の署名が記されていた。

「事件当夜、第7艦隊所属の空母『ロナルドレーガン』が根室沖を航行してた。当日午後に小樽を出港し、津軽海峡を経由して横須賀に戻る途中だった。ちょうどアンノウン騒ぎが起こった頃、夜間発着訓練をやってたそうだ」

「午前2時ごろに?」

「その文書には電子線機が1機、離艦直後に電子機器が故障して妨害電波を発射してしまったと書かれてる。海軍作戦部長がその点について遺憾の意を表明してる。もうお分かりだと思うが、第2のアンノウンは空母所属の戦闘機だ」

「その可能性は、すぐに確証が得られるかと」三雲は言った。

 岡田は三雲に眼を向ける。

「どうやって、ですか?」

「自分が乗ってたF-15のオンボードコンピュータを解析するんです。レーダー波は波長だけじゃなく、さまざまな成分を含んでます。それが全て記録されてます。おそらく撃墜に使ったのは、レーダーホーミングの中射程ミサイルでしょう。海軍の制空戦闘機ならどれも積んでます」

「貴官の無罪は早晩、証明されることになるだろうな」

 三雲は設楽の言葉に顔をしかめた。殊勝に「ありがとうございます」とでも答えればよかったのだろうが、戦闘機パイロットが操縦以外のことで振り回された不快さが募った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

敵対空域 伊藤 薫 @tayki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ