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 岸元は正面に座っている戦闘機パイロットを見つめた。

 犬飼恭介。第201飛行隊では最も若手に当たる三等空尉。岸元は机の上に置かれた人事考課に眼を落とす。すでに飛行隊に配属された段階の資格であるTRから昇格して、警戒待機任務アラートに就ける資格であるARになっている。

 場所は今まで三雲を聴取していた会議室だった。まず岸元は三雲が飛行隊の錬成訓練で篠崎に一度も勝てなかった件を切り出した。

「《ミッツ》さんがそんなことを言ったんですか?」犬飼は言った。「そんなの嘘ですよ。自分で飛行隊に一緒になってから、《ミッツ》さんは《シン》さんに1回勝ったことがありましたから」

「それはいつの話?」

「2か月ぐらい前ですかね。去年の暮れにやった訓練で」

 あの日、千歳基地は曇天の下で陰気によどんでいた。

 三雲は滑走路の西端に機体を止める。編隊長リーダーを務める成瀬征哉・一等空尉が管制塔に離陸許可を求めている。離陸前は大抵、待たされることになる。基地に襲いかかってくる相手が本物のロシア空軍機だったとしても、管制官は同じ台詞を言うつもりだろうか。

《クラウン0・1ゼロ・ワン離陸待機スタンバイ

《クラウン0・1、待機する》

 クラウン0・1は編隊長機、クラウン0・2ゼロ・ツーが三雲の乗機だった。2機のF-15がエンジンをアイドリングポジションで回転させたまま、滑走路上で停止した。《イーグル》は複座のD型で前席に三雲、後席に犬飼が座っていた。

《風向きよし。滑走路上に障害物なし》

 三雲は胸の中で管制官に毒づいた。やけにもったいぶってのんびり話す野郎だ。

《クラウン0・1、クラウン0・2、離陸を許可する》

 三雲はジッパーコマンドで応答する。ちらりとバックミラーで後席を見る。犬飼は自分の言いつけ通りにしている。身体を拘束しているハーネスを外して身を乗り出し、後方を見ている。仮想敵機アグレッサーを務める篠崎機を撃墜するためには、誰よりも早く敵機を視認するしかない。三雲はそう考えていた。

 三雲はスロットルレバーを前に押し出した。アフターバーナーに点火する。最大で五段階まであるアフターバーナーだが、三雲はわざと三段階までしか入れなかった。編隊長機と歩調を合わせるためだ。

 2機の《イーグル》は蹴飛ばされたように加速を開始した。

「来ました」犬飼が叫んだ。三雲の読み通り後方に敵機を発見したのだ。「6時の方向、高度は約240メートル」

 篠崎が駆るF-15は滑走路を半分過ぎた三雲機に向かって接近した。兵装セレクタースイッチは機関砲ガンに入れている。距離300メートルで機関砲を撃つことにする。今日の訓練では、IM50という模擬弾を使用することになっていた。命中すれば機体に赤いインクが付着する仕組みになっている。三雲機にも同じ砲弾が搭載されていた。

 敵機視認タリホー。篠崎はみるみる大きくなる敵機に眼をやりながら、同時にヘッド・アップ・ディスプレイを一瞥する。目標までの距離データを読む。

 500、480、450、400、370、330、300―。

 篠崎は操縦桿のトリガーを絞った。20ミリ機関砲が吠える。その時、三雲機がかき消すように見えなくなった。

「《ミッツ》、行ってください」犬飼が怒鳴った。

 三雲は一気にアフターバーナーを最大出力に放り込む。滑走路上で機体が加速し、編隊長機を瞬時に引き離した。軽い機体はすぐに浮き上がる。三雲は高度が3メートルもないうちに強引に脚を上げた。《イーグル》は低い高度で水平飛行したまま、3本の脚を翼と機首の下部に引き込む。さらに加速する。

 篠崎が撃った模擬弾が滑走路上に爆ぜた。赤いインクの霧がたちまち三雲機のジェット排気に吹き飛ばされる。

《クソッ、被弾した!》

 イヤレシーバーの中で成瀬が喚いている。成瀬は篠崎の編隊僚機ウィングマンに襲われていた。機体に赤い斑点が出来ている。

 三雲は機首を水平に保つ。高度10メートルで基地の東側に駆け抜ける。

 篠崎は舌打ちをする。操縦桿のトリガーから指を離した。イヤレシーバーに編隊僚機ウィングマンを飛ばしている谷口雅史・一等空尉から交信が入る。

《目標を撃破した》

「了解、こっちは《ミッツ》を追う」

 篠崎は三雲機を上空から伸しかかるように追跡を続ける。速度計の針はマッハ1に近づいている。眼下に視線を向ける。標準色で塗装された《イーグル》はみるみる速度を増していった。その時になって三雲機が増槽タンクも空対空ミサイルも搭載していないことに気づいた。

「あの野郎、燃料も満足に入れてないな」

 篠崎は低い声で呟いた。胸奥で自分の間抜けさを罵る。演習は通常のインターセプトミッションを想定した内容だった。相手がフル装備のまま離陸するはずだと思い込んでいたが、今日の三雲は一味違うようだった。篠崎は思わず舌なめずりする。

「機体を軽くしたのは、2人で相談して決めたのかい?」岸元は言った。

「《ミッツ》さんが独りで決めたんです。訓練前に、整備の安土・一曹に何か話しかけてましたから。そういうチューンアップは出来るかって相談してたんでしょう」

「勝つためには手段を惜しまずといったところかな」

 犬飼はうなづいた。

「あの時の訓練は2人とも、かなりアツくなってましたね」

 犬飼は訓練後に入った千歳基地の大浴場を思い返した。犬飼は成瀬、三雲と並んで身体を洗っていた。2人とも内出血を起こしている。犬飼は三雲に「今日はかなりキツい機動をやったんじゃないですか」とぼやいたが、相手は「そうかな」と呟くだけだった。しばらく経ってから篠崎が大浴場に姿を見せる。全身が真っ赤になっている。ああ、この人も普通の人間なんだ。犬飼は妙に納得した。岸元は尋ねる。

「なぜ2人がそんなにアツくなってたと思う?通常の訓練だったんだろう?」

「噂ですけどね」犬飼は言った。「どっちが先に好きな女性にプロポーズするか、それを訓練で競ってたみたいな話がありましたけど」

「へえ」

「まあ2人とも、そんな噂は言わせとけって感じで気にしてませんでしたが」

「その意中の女性っていうのは、誰なのかな?」

 犬飼は首を横に振った。

「ぼくは知りませんが、大方の予想は『絵麻』っていうスナックに勤めてる茉優ちゃんっていう女のコだそうです」

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