[6]
岸元は正面に座っている戦闘機パイロットを見つめた。
犬飼恭介。第201飛行隊では最も若手に当たる三等空尉。岸元は机の上に置かれた人事考課に眼を落とす。すでに飛行隊に配属された段階の資格であるTRから昇格して、
場所は今まで三雲を聴取していた会議室だった。まず岸元は三雲が飛行隊の錬成訓練で篠崎に一度も勝てなかった件を切り出した。
「《ミッツ》さんがそんなことを言ったんですか?」犬飼は言った。「そんなの嘘ですよ。自分で飛行隊に一緒になってから、《ミッツ》さんは《シン》さんに1回勝ったことがありましたから」
「それはいつの話?」
「2か月ぐらい前ですかね。去年の暮れにやった訓練で」
あの日、千歳基地は曇天の下で陰気によどんでいた。
三雲は滑走路の西端に機体を止める。
《クラウン
《クラウン0・1、待機する》
クラウン0・1は編隊長機、クラウン
《風向きよし。滑走路上に障害物なし》
三雲は胸の中で管制官に毒づいた。やけにもったいぶってのんびり話す野郎だ。
《クラウン0・1、クラウン0・2、離陸を許可する》
三雲はジッパーコマンドで応答する。ちらりとバックミラーで後席を見る。犬飼は自分の言いつけ通りにしている。身体を拘束しているハーネスを外して身を乗り出し、後方を見ている。
三雲はスロットルレバーを前に押し出した。アフターバーナーに点火する。最大で五段階まであるアフターバーナーだが、三雲はわざと三段階までしか入れなかった。編隊長機と歩調を合わせるためだ。
2機の《イーグル》は蹴飛ばされたように加速を開始した。
「来ました」犬飼が叫んだ。三雲の読み通り後方に敵機を発見したのだ。「6時の方向、高度は約240メートル」
篠崎が駆るF-15は滑走路を半分過ぎた三雲機に向かって接近した。兵装セレクタースイッチは
500、480、450、400、370、330、300―。
篠崎は操縦桿のトリガーを絞った。20ミリ機関砲が吠える。その時、三雲機がかき消すように見えなくなった。
「《ミッツ》、行ってください」犬飼が怒鳴った。
三雲は一気にアフターバーナーを最大出力に放り込む。滑走路上で機体が加速し、編隊長機を瞬時に引き離した。軽い機体はすぐに浮き上がる。三雲は高度が3メートルもないうちに強引に脚を上げた。《イーグル》は低い高度で水平飛行したまま、3本の脚を翼と機首の下部に引き込む。さらに加速する。
篠崎が撃った模擬弾が滑走路上に爆ぜた。赤いインクの霧がたちまち三雲機のジェット排気に吹き飛ばされる。
《クソッ、被弾した!》
イヤレシーバーの中で成瀬が喚いている。成瀬は篠崎の
三雲は機首を水平に保つ。高度10メートルで基地の東側に駆け抜ける。
篠崎は舌打ちをする。操縦桿のトリガーから指を離した。イヤレシーバーに
《目標を撃破した》
「了解、こっちは《ミッツ》を追う」
篠崎は三雲機を上空から伸しかかるように追跡を続ける。速度計の針はマッハ1に近づいている。眼下に視線を向ける。標準色で塗装された《イーグル》はみるみる速度を増していった。その時になって三雲機が増槽タンクも空対空ミサイルも搭載していないことに気づいた。
「あの野郎、燃料も満足に入れてないな」
篠崎は低い声で呟いた。胸奥で自分の間抜けさを罵る。演習は通常のインターセプトミッションを想定した内容だった。相手がフル装備のまま離陸するはずだと思い込んでいたが、今日の三雲は一味違うようだった。篠崎は思わず舌なめずりする。
「機体を軽くしたのは、2人で相談して決めたのかい?」岸元は言った。
「《ミッツ》さんが独りで決めたんです。訓練前に、整備の安土・一曹に何か話しかけてましたから。そういうチューンアップは出来るかって相談してたんでしょう」
「勝つためには手段を惜しまずといったところかな」
犬飼はうなづいた。
「あの時の訓練は2人とも、かなりアツくなってましたね」
犬飼は訓練後に入った千歳基地の大浴場を思い返した。犬飼は成瀬、三雲と並んで身体を洗っていた。2人とも内出血を起こしている。犬飼は三雲に「今日はかなりキツい機動をやったんじゃないですか」とぼやいたが、相手は「そうかな」と呟くだけだった。しばらく経ってから篠崎が大浴場に姿を見せる。全身が真っ赤になっている。ああ、この人も普通の人間なんだ。犬飼は妙に納得した。岸元は尋ねる。
「なぜ2人がそんなにアツくなってたと思う?通常の訓練だったんだろう?」
「噂ですけどね」犬飼は言った。「どっちが先に好きな女性にプロポーズするか、それを訓練で競ってたみたいな話がありましたけど」
「へえ」
「まあ2人とも、そんな噂は言わせとけって感じで気にしてませんでしたが」
「その意中の女性っていうのは、誰なのかな?」
犬飼は首を横に振った。
「ぼくは知りませんが、大方の予想は『絵麻』っていうスナックに勤めてる茉優ちゃんっていう女のコだそうです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます