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「訓練の話を続けようか。三雲・二尉はどうやって篠崎・一尉を墜としたんだい?」

 岡田は岸元の話しぶりが意外に思えた。以前は偵察パイロットを務めていたとはいえ、戦闘機の機動には興味津々という感じだった。犬飼は訓練の様子を話し続ける。口ぶりはキビキビしており、数値や天候などの状況も正確に把握していた。

 三雲は速度を落とさずに右のラダーペダルを蹴る。操縦桿を倒して鋭く旋回した。風防の外側で地平線が立ち上がる。白い雪に覆われた畑や道路がカーブを描いて右肩の下に吸い込まれて消える。

 篠崎も右のラダーペダルを踏み込んで三雲機を追う。機体に重力がかかり、口元が大きく歪む。機体が右に急旋回を切る。遠心力で左眼が飛び出しそうになる。篠崎は唸り声をあげる。敵機と同じ高度まで降下して、スロットルを全開にする。ヘッド・アップ・ディスプレイを通して《イーグル》を一瞥する。その主翼が垂直に立ち上がる。敵機よりも大きな旋回半径を取った篠崎の機動は膨らむ。篠崎は一瞬早く機体を立て直して、ぴったり後ろにつける。

《ミッツ》とは今まで何度も対戦してきた。多少手こずることはあったが、篠崎には自分の真後ろにつけても全く心配ない相手だと思っていた。だが、その考えを今日から改めようと思った。万全を期して背後から不意打ちをかけ、一瞬後には互角の空戦にもつれ込んだのは初めてだった。

 手強い相手ほど撃墜できる喜びは大きい。

 篠崎はヘッド・アップ・ディスプレイを確認する。照準環がゆっくりとコンテナに重なる。操縦桿のトリガーを切る。再び機関砲ガンが吠える。三雲がわずかに躱して差で上昇に転じる。弾丸は虚しく空を切った。篠崎も操縦桿を引きつける。

 相手はすぐに雲に飛び込んで姿を消した。自機のレーダーは敵機を捉えている。太陽に向かっている。篠崎はそう思った。

「《シン》は?」三雲は言った。

《ま、まだ後ろに尾けてます》

 犬飼の苦しげな声が聞こえる。レーダー警戒装置は警報を発し続けている。三雲はまだ篠崎が執拗に追いかけてきていることは分かっていた。《シン》は決して諦めない。三雲はインターコムで犬飼のタックネームを呼ぶ。

「《ドッグ》、《シン》が俺たちのケツをつけて雲から飛び出すまでにあと何秒ある?」

 犬飼はニーボードを一瞥する。あらかじめ今日の雲の高さをそこに記入していた。素早く時間を計算して答える。

《5秒》

 三雲はスロットルレバーを握る手に力を込めた。

「数えろ」

 篠崎は焦らなかった。敵機を追尾して上昇を開始しながら、兵装セレクタースイッチをSRM(短射程ミサイル)に切り替える。操縦桿のトリガーに指をかける。それほど長い時間、上昇を続けるつもりは無かった。敵機が雲を飛び出した瞬間を狙う。その機影を確認した瞬間に赤外線追尾式ミサイルAAM-5で撃墜する。

《4、3―》

 犬飼がカウントダウンを続ける間に《イーグル》は陽光が照りつける空間に飛び出した。三雲は眩しさに眼を閉じる。サンバイザーを下ろしていたものの、一瞬視力を失った。

 篠崎は上昇を続けた。視界が次第に明るくなってくる。あみだに被っていたヘルメットに手をかけ、濃色のサンバイザーを下げた。AAM-5の感知部は完璧に敵機をロックオンしている。イヤレシーバーから聞こえるオーラルトーンが耳に心地よい。

《2、1―》

 カウントダウンが終わる。刹那、三雲は叫んだ。

「《ドッグ》、気合を入れろ!」

 すかさずアフターバーナーをカットする。同時にエアブレーキを開いた。見えない壁に激突したように《イーグル》が急減速する。ハーネスが身体に食い込んで両肩に痛みを感じる。操縦桿を左に倒してラダーペダルを深く踏み込む。

《いったい何が起きてるんだ?》

 犬飼はバイザーの内側で眼をみはった。胃袋が底からぐいっと持ち上げられるような感覚に襲われる。機首を上に向けたまま、機体が落下する。

 篠崎も敵機に続いて雲間を飛び出した。すぐに《イーグル》の黒い影を見つけた。機影が太陽光線と重なって一瞬、視界から消滅する。その時、篠崎は自分の耳を疑った。ロックオンを告げていたオーラルトーンが止んだ。視界が回復する。篠崎は眼をみはった。

 眼の前から敵機が姿を消していた。

 三雲は操縦桿を股間に引きつけていた。急激なG変化に耐えきれず、頚椎が湿った嫌な音を立てる。機首を上に向けた《イーグル》は落下しながら、テイルスライドに入る。コクピットのすぐ脇を篠崎機が轟音とともに擦過する。ヘッド・アップ・ディスプレイにコンテナが出現する。兵装セレクタースイッチは機関砲ガンに入っている。

発射フォックス・スリー

 三雲は操縦桿のトリガーを切った。

 機体の下部から突き上げるような衝撃を受ける。弾着だ。篠崎はそう思った。

 千歳基地に帰還して《イーグル》を駐機場エプロンに停める。三雲が酸素マスクとGスーツのホースを外している間にコクピットの縁に梯子ラダーが掛けられる。機付長の安土が顔を覗かせた。

「ついに一矢を報いたか」

 三雲は黙ってうなづいた。《シン》が乗っていた《イーグル》の周りでざわめきが起こっている。機体を降りた犬飼は近づいて様子を見る。整備隊員が《イーグル》の翼下を指して口々に言い合っている。後脚の周辺に赤いインクが付着していた。

 犬飼は首を傾げる。あの一瞬に《ミッツ》さんはどういう機動をしかけたのか。岸元は口を開いた。

「それは木の葉落としだね」

 木の葉落としとは、旧日本帝国海軍の零戦パイロットが得意とした操縦法である。機体を垂直に横転させ、揚力を失った機体を横向きのまま急降下させる技である。現代の戦闘機は零戦よりも重量がはるかに重いから落下速度も大きくなる。《イーグル》で行うには、かなりの荒業になるだろう。岸元はそう思った。

 篠崎と三雲も翼下の赤いインクを確認した。訓練飛行フライトを終えたばかりで誰もが髪が汗に濡れ、顔に鼻と口元を覆う酸素マスクの跡が三角形になって残っている。

 2人は何も言わなかった。篠崎は分かっていた。三雲は篠崎が雲を飛び出して視力を失う一瞬に賭けたのだ。フライトスーツからパイロットグラスを取り出してから口を開いた。

「《ミッツ》、とにかくお前の勝ちだ」

 パイロットグラスをかけた篠崎は格納庫を出て行った。

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