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JR横須賀駅にほど近い「フラッグシップ」は深夜営業の飲食店である。
巨大な倉庫を改装した店は広い。いたる所にバーカウンターやビリヤード台、ピンボールマシン、ボーリング用のレーンなどが置かれている。内装はアメリカン・ポップカルチャー風の艶やかな原色の色彩と丸みを帯びたデザインが多用され、年代物のジュークボックスがブルースを大音量で流し続けている。英語の怒鳴り声がにぎやかに飛び交う中、海上自衛隊の制服姿もチラホラ見かける。
ホッジスはストールの上で尻をもぞもぞと動かした。今は周囲の楽しげな雰囲気から切り離されたような状態だった。隣にいるグレンヴィルは黙っている。その沈黙に耐え難い苦痛を感じている。手元のグラスに注がれたブランデーは少しも減っていない。氷が溶けて薄まり、水っぽくなっている。
グレンヴィルはホッジスの心労をまるで意に介していない。ウォッカを水のように喉に流し込んでは、すぐにウェイターにグラスを突き返してお代わりを要求する。その動作を飽きることなく繰り返している。強い酒を浴びるように飲んでいても、グレンヴィルの顔色は一向に変わらない。相棒の酒の強さには普段から慣れているが、それにしてもこんなに速いペースでウォッカを飲み続けるとは。ロシア人でもこんな酒豪はいないだろう。ホッジスは堪りかねてグレンヴィルに声をかけた。時刻は午後11時も過ぎている。
「それぐらいにしておいた方が良いんじゃないですか。待機任務のローテーションを飛ばしたと言っても、次の任務がいつ命じられるか分からないんですよ」
「うるせえ」
グレンヴィルはグラスを口に運んで一気に呷った。
「任務なんて関係ねえ。俺はもう空母に戻らない」
さすがに呂律が回らなくなっている。見た目に現れていないだけで、さすがに深酒には変わりない。ホッジスは冗談めかして言った。
「そんなこと言って、明日になったらケロリと忘れ・・・」
「そんなことあるわけねえだろ」
グレンヴィルは据わった眼つきでホッジスを見た。
「何でもかんでも酒のせいにして、忘れたって言えばそれで済む。オレがそんな風に考えると思うか?見損なうなよ」
任務を完遂したとはいえ、グレンヴィルは航空自衛隊機に虚仮にされたことに苛立っていた。グレンヴィル家は代々、戦闘機パイロットを輩出してきた。父親のエドはマークと同じ海軍でF-14《トムキャット》に乗り、湾岸戦争やアフガニスタンに従軍した。兄のノーマンは空軍でF-16《ファイティング・ファルコン》を駆っている。空中戦で
「とにかく帰りましょう」ホッジスは言った。「ここに居ても何にもなりませんよ」
「俺に指図すんな」グレンヴィルは怒鳴った。「だいたいお前こそ帰ったらどうなんだよ。待機に就かなきゃなんねえだろ」
「とっくにマイルズとゴードンの組に代わってもらいましたよ。飛行長に貴官のことを報告したら急にコンビを変えるのも好ましくないと言われて、ぼくも今回限りローテーションから外されましたよ」
グレンヴィルは鼻を鳴らした。再びグラスを取り上げた。
「良かったじゃねえか。俺のお陰でお前も休みが取れたな」
ホッジスは思わず語気を強めた。
「複座に乗るコンビは2人で1人だという自覚を持て。飛行長が・・・」
「飛行長のオヤジがどう言おうが関係ねえ」
グレンヴィルは言葉を遮った。ホッジスが呆れたという風に肩をすくめた。
「ひでえもんだ」
いきなり背中から声をかけられる。ホッジスは振り返った。
鼻の大きな男がグレンヴィルの隣に腰かける。整備兵のシモンズ二等軍曹だった。グレンヴィルたちの乗機を担当する機付長であるシモンズは2人が生まれるはるか前から空母に乗り込んでいる。
グレンヴィルは顔をしかめる。息の臭さで相手がかなり酔っていることが分かる。
「何がひどいんですか?」
ホッジスがグレンヴィルの肩越しに声をかけた。
「おい、止めろ」
グレンヴィルはホッジスの言葉を遮った。酔いが回ったシモンズは話し上戸でいつもの口上を言い始めた。
「昔はな、整備と言えば、俺たち整備兵の勘が頼りだった。計器の1つ1つを眼で見てな。ちゃんと動いてるか確認したもんだ。それと臭いだ」
シモンズは酒焼けした丸い鼻を蠢かせる。グレンヴィルは苦笑を浮かべる。
「どっかで配線が焦げ付いちゃいないか。鼻をひくひくさせるんだ。まるで盛りのついた犬っころみたいだったが、実際にそれで故障が見つかったからな。格好悪いなんて思いもよらねえ。何といっても頼りになるのは指先だ。スパナを握る手にビビッと来たもんだ。その感覚が分からねえ奴は整備兵なんかになるんじゃねえて言われた」
複雑で巨大なシステムになっている現代戦闘機に人間の感性が入りこむ余地はほとんど無い。最新の機体は
「時代が変わったんだよ」
グレンヴィルはシモンズの肩をやさしく叩いた。すっかり毒気を抜かれた気分だった。シモンズはグレンヴィルの父親であるエドが「ロナルド・レーガン」に乗り込んでいた頃に乗機の機付長をしていたという。
シモンズは首を振りながら訊いた。
「お前さん、あんな飛行機を飛ばしていて虚しくないのか?」
グレンヴィルは首を横に振った。
「飛べりゃあ、最高に幸せさ」
「ふん」シモンズは鼻に皺を寄せた。「親父と同じこと言いやがる」
明日は兄貴に連絡を取ろう。あの日の夜、オホーツク海上でグレンヴィルたちを追い詰めたF-15は航空自衛隊の三沢基地か千歳基地に所属しているはずだった。三沢の米軍基地に勤務するノーマンなら北に展開する航空自衛隊機について何か知っているはずだ。グレンヴィルはそんなことを考え続けていた。
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