[11]

 千歳市の繁華街。

 駅前交番の裏手に「北酒場」はある。岸元が千歳基地に出張する際に必ず通っている居酒屋だった。岸元はちょうどテレビの前にある空いたテーブルに腰を下ろした。注文を取りに来た女性店員にひとまず生ビールを注文した。先に生ビールと柿の種を入れた小皿が運ばれてくる。ひとまず生ビールのジョッキを傾ける。

 岸元は数時間前の情景を思い出していた。

 三雲の聴取を終えて司令部棟の玄関先で防衛書記官を送り出した時だった。千歳空港の方角から制服姿の男が3人歩いている姿が見えた。一番後ろの1人は自分の身一つを持て余すような様子で少しうつむき、長身を飄々と風にたなびかせていた。岸元がアッと思った瞬間、向こうも岸元に眼を向けるやいなやニッと笑ってみせた。隣の岡田が岸元の変化に訝しげな眼を向ける。岸元は足早に司令部棟の裏に立ち去る相手の背中を追いかけた。

 設楽祐輔は司令部棟の裏でタバコを吸っていた。足元に吸い殻を捨てるバケツが置かれただけの喫煙所。岸元に気づいた設楽が声をかける。

「今日はご苦労さん」

「何をしに、ここに?」岸元は言った。

「俺が観光してる風に見えるか?じゃなければ、仕事だ」

「何の?」

「お前に言う義理があるか?」

 設楽とは航空学生の同期だった。階級は岸元と同じ二等空佐。以前に小松基地で同じ飛行隊に勤務したこともある。今は市谷の防衛省で情報本部に勤務している。

「それもそうだな」

 設楽は紫煙をふかした。

「お互い、宮仕えで訳の分からん情報に振り回されるのは辛いな」

「お互い?」

「お前もタレ込みの件でここに来たんだろう」

 設楽は岸元の顔に浮かんだ表情に戸惑いを見せる。

「知らないって顔をしてるな。ここの飛行隊の渉外室長は知ってたが・・・」

 岸元は非常口になっている金属製の重いドアを引き開けて司令部棟に戻った。一階の渉外室に真っ直ぐ向かう。岸元が部屋のドアを開けた瞬間、渉外室長は真っ青な顔をして立ち上がった。渉外室から人払いをした後、岸元が近くの机にある椅子を引き寄せて渉外室長の隣に座る。渉外室長の名札に一瞥する。

「矢代・三佐、もう話は分かってますね?」

 矢代はうなづいた。

「タレ込みの件について話していただけますか?」

 矢代は震える声で答えた。

「ここでは、話したくはありません。『北酒場』という居酒屋で待ち合わせましょう」

 岸元は腕時計に眼を落とす。午後8時5分前。矢代との約束の時間だった。

 ガラガラと音を立てて入口のガラス戸が開かれる。岸元は顔を上げる。矢代だった。眼の前の椅子に座り、店員にビールを注文する。それから震える手で矢代がコートから取り出したのは、ICレコーダーだった。

 矢代が抑えた声で説明を始める。篠崎・一尉のF-15が失踪した翌日、第201飛行隊司令部に1本の電話が入った。ICレコーダーにその時の音声が収録されていた。岸元は矢代から手渡されたイヤホンを耳に差す。

 音声の再生を始める。耳朶を若い男の声がうつ、声音が少し固い感じを受ける。抑揚も訛りもない。手元に持っているメモか何かを読み上げているような雰囲気だった。密告者は五分近く話していた。その内容は「三雲が篠崎を撃墜した」というものだった。

《これが、防衛書記官が三雲・二尉の聴取に乗り出した理由か》岸元はそう思った。

 密告者は証拠も提示していた。基地に帰還した三雲が搭乗していたF-15からは中射程ミサイルが2発無くなっている。音声の再生が終わった後、岸元は口を開いた。

「ミサイル紛失の件はウラが取れてるんですか?整備記録にこの話は載っていなかった」

「密告があったその日、整備小隊から飛行隊にそのような報告が」

「三雲・二尉はアンノウンから攻撃を受けて、それに対処するためにミサイルを使ったと言ってます。その話も調書に載ってなかった。これはどういうことです?」

 岸元は矢代の眼を見つめる。矢代は手元に視線を落としていた。

「隠蔽ですか?」

 岸元は耳をすませる。テレビの音声が遠くから聞こえてくる。テーブルの周囲で宙に浮かんだ時間が過ぎる。矢代は力なくうなづいた。岸元は一つ息を吐き出した。

「密告者の特定は?動機は分かってますか?」

「現時点では、いっさい不明です」

「この件を把握している人物は?」

「第201飛行隊長、第2航空団司令、自分の3名だけです」

「隠蔽を指示したのは?」

「第2航空団司令です」

 岸元はうなづいた。

「分かりました。後はこちらでやりますので、今日はお帰り下さい」

 矢代は手早く手荷物をまとめた後、うつむき加減に居酒屋を出て行った。岸元は思考を勧める。第2航空団司令はタレ込みの内容をイタズラだと思わなかった。だからこそ、事態の隠蔽に動いた。岸元はそう思った。

 密告者は電話で話した内容からして、千歳基地に勤務する自衛官かそれに近い関係者だろう。この音声を聞いた者なら誰でも容易に想像できる。密告者の思惑は不明だが、こんな話が外部に漏れたらどういう事態になるのか。その点を想像するだけでおぞましい。千歳基地のみならず市谷がマスコミの集中砲火に晒される。戦闘機を凶器にした殺人などワイドショーが飛びつく格好のネタになるだけだ。密告者はそのことに考えが及ばなかっただろうか。

 岸元は会計を済ませて居酒屋を出る。宿泊先のビジネスホテルに戻らず、JR千歳駅に向かった。個人的に聞かれたくない電話を掛けるためだった。ホテルの部屋にある電話も携帯電話も危ないだろうと踏んでいた。1階の待合所の近くにある公衆電話に北部航空方面隊司令官官舎のダイヤルを押す。

 岸元は事態の顛末を銘苅に報告する。銘苅は唸り声を出してから言った。

「その密告者は突き止めなくてはならん。やり方は君に任せる」

「市谷にはすでに、この件が漏れてるようです」

「何だって?」

「防衛書記官は本気で『殺人説』を取ろうとしてます。三雲・二尉は基地内で警務隊に拘束中です」

 受話器の向こうで銘苅が絶句した。岸元は通話を切る。胸の奥でやるべき問題が山積していた。三雲の無罪証明。篠崎と三雲を襲ったアンノウンの正体。市谷の情報本部から派遣された設楽の目的。ひとつ欠伸をした後、岸元はホテルに帰った。

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