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第二〇一飛行隊にい・まる・いちに行ってきます」

 庶務担当の女性職員だけが「行ってらっしゃい」と答える。岡田は入口の脇に掛けてある制帽を取って司令部棟を出た。話を聞く相手はすでに把握していた。3日前の事故当夜に三雲が乗っていた《イーグル》―846号機の機付長を務めていた安土啓介・一曹。

 司令部棟から第201飛行隊の建物まで歩いて5分ほどあった。岡田は建物に入って制帽を取り、入口の脇に掛ける。まっすぐ整備小隊の部屋まで行った。ドアをノックしてから開いた。

「失礼します」

 整備小隊の部屋と言っても他の事務室と特に変わったところは無い。パソコンを置いた机がいくつか島になっている。壁の一面を占めるホワイトボードに飛行隊に配備されているF-15、T-4全ての機番と現状が細かく記されている。

 岡田は近くにいた隊員に声をかけた。

「すみません。安土・一曹はいらっしゃいますか?」

「安土さん?今日、居たかな?藤原に聞けば分かるかも」

「藤原さん、ですか?」

「安土さんの下についてる空士長。整備格納庫にいるよ」

 岡田は礼を言って部屋を出た。整備格納庫は飛行隊の建物の後ろに建っていた。広々とした格納庫にはF-15がたった1機あるだけだった。数名の整備隊員が周囲に立っている。ジャッキアップされた機体の操縦席に乗っている整備隊員が声を張り上げる。

脚上げギアアップ

 クレーン車がアームを持ち上げる時のような音が響いた。胴体の下部では、まず機首ノーズとメイン3本のギアの格納庫扉が開いた。次いでギアが持ち上がる。ノーズギアは前方に向かって上がるだけだが、メインギアはもう少し複雑な動作をする。前方に持ちあがる点はノーズギアと同じだが、たたみこむ工程の半ばでタイヤが4分の1ひねりを加え、胴体下部の格納庫に収まった。ドアが閉じて胴体下部が平らになった。普段の勤務では飛行機の整備を見る機会が少ないので、メカニカルな動きに見とれてしまった。

「ギアダウン」

 機体を下から覗きこんでいる整備隊員が命じた。操縦席の隊員が告げる。

「こっちは異常ありません」

「よし、下ろそう」

 再びギアが下ろされる。格納庫が静かになったところで岡田は声をかけた。

「すみません。藤原・空士長はいらっしゃいますか?」

 整備隊員が振り返る。

「わたしですが」

「お取込み中、すみません。岡田と言います。安土・一曹についてお聞きしたいことがありまして」

 藤原はうなづいた。近くにいた隊員に声をかけてから2人は格納庫の隅に行った。

「大したことはありません。すぐに終わりますから」

「気にしないでください。私の担当機は警戒待機任務アラートに就くのが伸びましたから」

「何かあったんですか」

「あれなんですが」

 藤原は肩越しにジャッキアップされたF-15を親指で指した。

「脚の上げ下げに違和感があるって言われて調整したんです。本当は明日がアラートだったんですけど、明後日になりました」

 岡田はF-15に眼をやった。機首に757と記されている。

「それで、お話というのは?」

 岡田が説明を始める。

「3日前に起きた事故についてです。その際、スクランブルで発進した三雲・二尉がミサイルの安全ピンが抜き忘れていることに気づいたとおっしゃいってます。その事実確認を」

 藤原はうなづいた。

「ああ、それで安土・一曹をね」

「安土・一曹はいらっしゃいますか?」

「昨日から休みなんですよ。何でも親族に不幸があったとかで」

「では、他に当日のことを分かる人はいますか?」

「自分は当日、非番だったんですが同僚からそういう話を」

 藤原が話をし始める。

 問題が発覚したのは、スクランブル待機していた2機の《イーグル》―ジェリコ編隊フライトを送り出した後だった。安土が格納庫の隅で呆然と立ち尽くしている隊員に眼を止めた。F-15の武装担当アーミングを担当している高岡だった。安土はまだニキビが遺る顔をした若い隊員に声をかけた。

「どうした?何かあったのか?」

 高岡は泣き出しそうな顔つきで言った。

「これが落ちていたんです」

 高岡は長さ30センチ、幅5センチの赤い布を差し出した。整備班員にとっては見慣れた物である。戦闘機が搭載している武器の安全ピンについているリボンだった。

 戦闘機が胴体や翼下にぶら下げているミサイルや燃料タンクは戦闘機が地上に置いてある間、ラックから外れないように安全ピンが打ってある。ピンの長さは武器やタンクによって異なるが、安全ピンが装着されていることが一目でわかるように先端に赤いリボンがつけられていた。過去に百里基地で地上にある《イーグル》から空対空ミサイルが誤発射され、あやうく民家に飛び込みそうになった事件があった。それ以来、空自基地内の安全基準が引き上げられ、武装した戦闘機は滑走路に出る直前になってから安全ピンを引き抜くことが出来るようになった。

「至急、安全ピンを全部持ってこさせろ」

 安土は泣き顔の高岡に命じる。隊員たちが安全ピンを全て回収するまで3分とかからなかった。その間に安土は事務所にあるPCを操作し、今日発進した戦闘機の全武装リストを表示させる。リストの照合に15分ほどかかった。安全ピンが1本足りない。

 パイロットは空中で罵り声を上げるだろう。システムはオールグリーンだが、肝心のミサイルが何の反応も示さない。安土は足りないピンを特定するために、基地の整備格納庫に残っていた安全ピンを並べさせた。ピンは赤外線追尾式ミサイルAAM-5の物であることが分かった。藤原が話を続ける。

「その時はジェリコ編隊のどっちの《イーグル》でミサイルが撃てなくなってたか分からなかったそうです。三雲・二尉だけが基地に帰還した時、《イーグル》から降りた二尉が安土さんに掴みかかったので、それで二尉がババを引いたって分かったと」

 岡田はうなづいた。

「事情は分かりました。その話が整備記録に載ってないのが不自然ですが」

 藤原が声を低くして口を寄せる。

「ここだけの話、安土さんが整備小隊長に気ぃ使ったんじゃないかっていう評判ですよ。小隊長は定年間近で安土さんとは長い付き合いですし、もう最後ですから汚点を残させたくなかったってことで」

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