[9]

 三雲は口を開いた。

「ミサイルは撃てませんでした」

「撃てなかった?」岸元は言った。「どういうことだ?」

「ミサイルの安全装置は解除され、電気回路は正常でした。考えられるのは1つだけ。整備班の誰かがスクランブルで飛び立つ前に、ミサイルに差し込まれてる安全ピンを抜くのを忘れたんです」

 岸元は岡田に尋ねる。

「三雲機の整備記録に、その点は?」

 岡田が整備記録のファイルを再び検める。

「そのような記載はありません」

「確認する必要があるな。岡田・一曹、整備小隊に行ってこの点の確認を」

「わかりました」

 岡田は会議室を出て行った。岸元は続ける。

「その後はどうなった?」

「無線に防空指揮所が編隊長リーダー機を呼び続ける声が入りました。こっちは針路を変えて敵から離れましたが、相手は反撃せずにそのまま東に逃げていきました。その後の経緯は第2航空団の聴取に答えた通りです」

「篠崎・一尉は君が撃ち漏らした敵のミサイルで撃墜されたというわけだね」

 三雲はうなづいた。岸元が続ける。

「しかし敵が誰であるにせよ、そう簡単に戦争を始めようとはしないだろう」

「こちらはミサイルを撃たれたのです。戦争を始めるのは何も国家元首ではありません。前線で最初にトリガーを引く人間です」

 岸元はボールペンのペン先で机をコツコツと叩き始める。

「君の言いたいことは分かるが、何しろ今日まで空自機が撃たれたという記録はない」

「はっきりとは分かりません。これはあくまでも自分の想像ですが・・・」

 三雲は慎重に言葉を選びながら言った。

「2つ目のアンノウンがレーダーホーミングの中射程ミサイルを発射した時、こちらの編隊を直接眼にしていないはずです。昼間だったとしてもおよそ100キロも離れたところから機体を読み取れるはずはありませんから。ましてや当日は夜間で、固有識別はしていないと思います。ひょっとしたら・・・」

「どうかしたんだい?」岸元が訊きかえした。「何でもいいから言ってください」

「いえ、敵は編隊長リーダー機―空自機ではなくて、当初から自分たちが追ってたアンノウンを狙ったのかと思ったのです。その諸元は自分たちがレーダーサイトとの交信でさんざん話してました。無線を傍受すれば、それを狙うのは容易だったのかなと」

「ふぅむ」

 岸元は顎に手を添える。まっすぐに三雲を見つめている。三雲の言葉を吟味するような仕草だった。

「全く話にならないぞ、三雲・二尉」

 湯島は憤懣を露わにして言いつのった。

「自己弁護も甚だしい。議論の余地は無い。ありもしない敵を勝手に作り出して、僚機をミサイルで撃墜したことを認めようとしないとは」

 岸元は湯島の態度を奇異に感じた。前線に立つ戦闘機パイロットの証言を頭ごなしに否定するのはどういう性分なのか。市谷の内部部局に勤める背広組と自衛官は伝統的に水と油の関係であることは織り込み済みだが、それでも岸元は防衛書記官の態度が異常であるように思えた。また、なぜ空自機が狙われたという三雲の証言が第以前に作成された調書に記載されていないのか。岸元は手元の書類を遠くに押しやった。

 三雲が低い声で答えている。

「何度でも繰り返しますが、こちらは攻撃を受けたのです」

「ならば、その攻撃をしかけた人間は誰だ?」湯島は言った。「貴官の《イーグル》が積んだガンカメラには何も映ってないのだぞ」

 岸元が後をひき取る。

「三雲・二尉、機体の大きさや機体番号、マークなどから敵の見当はつくか?」

 三雲は墨汁を流したような闇の中に一瞬だけ浮かび上がった敵を説明する。

 機体は《イーグル》と同じぐらいの大きさがあった。だが、一度も見たことが無い奇妙な形状をしていた。主翼が前傾している。いわゆる前進翼で水平尾翼がない。主翼後縁が前進しているので、三角翼ではない。翼自体は台形をしている。

 湯島が岸元にちらりと眼をやる。

「岸元・二佐、今の話から推測される敵は何だ?」

「三雲・二尉が話した限り、敵はレーダーホーミングの中射程ミサイルを使ってスタンドオフ攻撃を仕掛けたようです。そういうミサイルを発射できるとなると、それなりに高性能の戦闘機になります。まっ先に考えられるのは、ロシア空軍機でしょう」

 三雲が口を開いた。

「ただ、その可能性は状況から考えて、かなり低いです」

 三雲は説明を続ける。そもそも最初に発見されたアンノウンはロシア空軍の〈トウキョウ・エクスプレス〉である可能性が高い。もし2つ目のアンノウンもロシア空軍機だった場合、日本の領空ギリギリで訓練飛行していたことになる。そういう危険な訓練を行うメリットが考えられない。

 岸元はうなづいた。三雲の説明に同意を示したのだ。三雲はその後に続くだろう言葉を喉元で飲み込んだ。

《残る可能性は、ロシア以外の第三国の戦闘機による攻撃を受けた。米軍機か?》

「では、何もわからないではないか」湯島が言った。

編隊長リーダー機の残骸が見つかれば、話はハッキリします」三雲は言った。「敵のレーダーに叩かれたはずなので脅威信号が採れてると思います。スレッドを調べれば、2つ目のアンノウンがどこの国の戦闘機かは分かります。こんなバカげた話で聴取をいつまでも続ける意味なんかありません」

 湯島は机から身を乗り出してくる。

「今の発言は聞き捨てならんな、三雲・二尉。バカげたと言ったな?」

 三雲は低い声を出した。

「残骸を調査すれば、ぼくが編隊長リーダー機を撃ち落としたなんてバカげた話で聴取する必要は最初から無かったはずです」

 湯島が怒鳴る。

「貴官が人殺しであることが判明しないよう祈るばかりだ」

「お言葉ですが、自衛官という職業は本質的に人を殺すことです」

 三雲は岸元に顔を向けた。

「拳銃を一丁貸していただけませんか。もちろん本物で実弾入りを」

 湯島と岸元がぎょっとしたような表情を顔に浮かべる。

「その拳銃を、ぼくは湯島さんに向けます。安全装置セイフティを外して、トリガーに指をかけて。ですが、安心してください。『湯島さんを撃て』と命じられない限り、トリガーを引くなんてことはあり得ませんから」

「なるほど」岸元は言った。「だが貴官は命じられれば、相手がどんな人間でも殺すことは出来るか?人を殺して平気でいられるか?」

 三雲はうなづいた。

「苦しみは背負っていくしかないと思います」

 岸元は三雲の表情に浮かんだ変化に気づいた。身体の奥深くに宿る痛みを耐えているような顔つきになっている。岸元は言葉に詰まった。

 湯島が隣で怒鳴り声を上げる。

「それで済む問題か。君は人を死なせたんだぞ。警務隊に貴官を拘束させる」

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