パンプキン・クッキー・モンスター! ⑤

 シーパラに行った翌々日の月曜日、朝から俺は不機嫌が最高潮だった。

 普段通りの早めの電車、まだ朝練の生徒しかいない校内。部活棟の入口で管理箱から鍵を取り出し、一階の最奥にある我らが城へゆく。

 廊下を歩きながらスマホを確認して、何の通知も届いていないことに改めて落胆する。

 あれ以来、ユズカがメッセを送って来なくなった。

 俺の方から送っても、既読は付くけど返事は来ない。

 週末の夜はハロウィンナイトで、兄ちゃんたちと遊んでたんだろうし、俺に構ってる場合じゃなかったんだろうけど……日曜も、今朝になっても、まるっきり音沙汰なしだ。

 いつしか当然に思えていたメッセのやり取り、週末の夜に少しだけ期待した通話。いきなり放り出されると、何かイライラする。こっちは好きだと自覚したばかりで、しかも恋なんか初めてで……自分の感情をどう扱っていいのか、わからない。

 とりあえず、今は会長のお仕事だ。学園祭が近いこの時期は、とにかく学園側へ提出する資料が多い。おまけに今日は月末で、本日締め切りの申請書類も山積みだ。授業が始まるまでに少しは片付けておきたい。

 ふと気付くと、俺たちの城である執行部室の前に、一人の女子生徒が立っているのが見えた。こんな時間に登校しているのは運動部の連中くらいで、みんな体育館かグラウンドにいる頃なのに。

 長い黒髪、規定通りに着ている制服。その小さな後姿が、俺にはユズカに見えてしまう。もし登校して来たとしても、アイツがこんなところにいるわけはないのに、期待する気持ちが止められない――。

 足音に気付いたのか、女の子はゆっくりと振り返った。


「あっ……コガケン!」


 俺の名前を呼んだのは、ずっと会いたかった女の子。

 誰よりも顔を見たくて、誰よりも声を聞きたかった女の子。

 大好きなユズカが、一直線に俺のところへ駆け寄って来る。


「ずっと連絡できなくてっ、ごめんね……!」


 嬉しさで動けなくなった俺に、ユズカは思いっきり抱き付いた。その勢いを受け止めきれず、二人で廊下に転がっても、ユズカは全くお構いなしだ。


「学校行くよって、本当は言いたかったの! だけど行けないかも、嘘になっちゃうかもって……ずっと迷ってて、結局言えなくて、メッセの返事もできなくて……っ!」

「いいって、俺のことは何も気にするな」

「ヒロちゃんがねっ、他の人がいない時間なら、電車に乗れるかもよって……この時間なら、ここにコガケンがいるよって!」

「そうか……頑張ったんだな、えらいぞ」

「教室で苦しくなったら、コガケンにくっついてればいいって、そう言ってくれたからっ!」

「ああ、それでいいんだよ、ユズカ」


 俺が頭を撫でてやると、ユズカは俺の胸元に顔を埋めた。細い身体が小刻みに震えて、長い髪が肩口をさらりと流れていく。


「わ……わたし、いいの? コガケン、頼りにして、いい?」

「当たり前だ。友達だろ、俺たち」


 ユズカの口から、うう、と嗚咽が漏れた。

 いつもヘラヘラ笑って、アホなことばっかり言って……自分の感情を隠してばかりのユズカが、俺の胸の上で、何ひとつ隠さないまま泣いていた。

 嬉しかった。俺にだったら、そんな自分を見せてもいいんだって――この子にそう思われたことが、叫びだしたいくらいに誇らしかった。


「でも、す、好きな人とか……誤解されて、困ったり、しない……?」

「友達を助けて嫌な顔をするようなヤツに、俺は惚れたりしないから」


 俺が好きなのはお前だ、とは言えなかった。

 ユズカを抱きかかえながら起き上がり、二人で廊下の床に座り込む。目も鼻も真っ赤になったユズカは、それでも凄く綺麗だった。


「じゃあ、先にお礼、渡しちゃうね」

「お礼?」

「うん……ちょっとだけ、目を瞑っててくれる?」


 俯いたユズカが、とても意味ありげなことを言う。この展開、お礼のキスとかしてくる気じゃないだろうな。こんな場所でまさか、とは思うが……ユズカならありえるから、怖い。

 他の女子なら、それとなく止めたと思う。だけど相手がユズカだから、俺はもう何も言えない。むしろ来い、そんなお礼ならいくらだって歓迎してやる――妄想を悟られないようにしつつ、平静を保っているフリをしながら目を閉じた。

 平常心、と心の奥で念仏のように唱え続ける。そんな俺の気も知らずに、ユズカは何かをゴソゴソ言わせていて……微かに甘い香りがして、俺の唇に、何かが触れた。


「えへへへ、ハッピーハロウィン!」


 異物の感触に目を開けると、ユズカは俺の唇に何か甘いものを押し当てていた。素直に受け入れて齧ると、それはカボチャの味がするクッキーだった。

 ユズカの手には、ジャックランタンの描かれたクッキーの袋。そっか、今日が本当のハロウィンだったな……つまり、ユズカの言う「お礼」って、このクッキー?


「お前ねぇ、変な期待させんじゃねーよ!」

「ぷぷぷ、ヒロちゃんが言った通りだぁ~! いやーん、コガケンのえっち~!」


 ユズカはさっきまでの泣き顔が嘘みたいに、ケラケラと大声で笑い出した。

 チキショー、これも全部ヒロの入れ知恵かよ。後で絶対に何か奢らせてやる……そう言えば、ハロウィンナイトの時も結局、俺が奢らされたままじゃないか。女難の相でも出てるのか、今月の俺は。


「ふざけんなよマジでお前ら、男の純情をもてあそびやがって」 

「まあまあ、このクッキーで許してくだされ! いちおうユズカの手作りですぞー!」

「クッキーぐらいでごまかされないからな? あっさり豹変しやがって、この気分屋モンスターがっ!」

「ひゃあっ、ごめんコガケン怒っちゃった!? お願い許してぇ! ユズカはじめてだから下手だけどっ、コガケンに喜んでほしいなぁって思って、すっごくすっごく頑張ったからぁー!」


 慌てたユズカがクッキーの袋を俺に押し付けながら、完全に誤解を受けそうなセリフを叫んでいる。つい色々と連想してしまって、脳裏に浮かびあがる光景を必死で追い出した。妄想しすぎと言われれば否定できない……なんてことだ、確かにユズカが絡んだ時の俺は、ありえない思考回路をしている。

 ユズカは全く気付いてなくて、よりによって「ユズカのはじめてを貰ってくだされー」なんて、誰かに聞かれたら俺が怒られそうなセリフを連発していた。

 そういうとこが浮いてんだぞ、とは言わないでおく。

 天然だのアホの子だの言われまくってるユズカのことが、俺は可愛くてたまらないから。


「クッキーだけじゃ、許さない。ユズカをくれなきゃイタズラするぞ?」

「……ひゃっ!?」

「訂正。ユズカの本気の笑顔をくれなきゃ、笑うまでイタズラするからな」


 意味ありげな言葉選びで、カウンター攻撃を決めてやった。あれだけヤキモキさせられたんだ、このくらいの逆襲は許されるよな?

 俺がほっぺたを軽くつまむと、ユズカは俺を見つめたあと、くすぐったそうに目を伏せた。それがまるで、キスをせがんでいるように見えたから――俺も、ユズカの唇にクッキーを押し当ててやる。ここで本当にキスをしてしまう度胸は、俺にはない。


「ハッピーハロウィン、ユズカ」


 驚いた顔で目を開けたユズカは、素直にぽりぽりとクッキーを齧ったあと、えへへ、と照れ臭そうに笑った。

 そんなユズカもやっぱり綺麗で、そして最高に可愛かった。


(了)

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パンプキン・クッキー・モンスター! 水城しほ @mizukishiho

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