第4話 町長アンドリュー、クロードの旅立ちを祝福する。


 数日前、私の元に冒険者養成学校とその周辺がモンスターによって襲撃されたという一報が入った。

 その後次々入ってくる情報は想像以上に深刻さを増していく。

 学校近くの町に住む娘マリーと婿のロブ、そして孫のレスターのことを思えば、生きた心地がしなかった。

 本当はすぐにでも駆けつけたかった。

 戦う力もない私に、出来ることなど何一つないというのに。

 そもそも軽々しく町を空ける訳にはいかない。

 町長としてやらなくてはいけないことは山積みだったのだ。



 まず急いで仮の宿舎建設の指示を出さないといけない。

 当然その為の土地、建設資材の手配も抜かりなく。

 身体一つで逃げて来た人々の為に医療品、食料品、衣類などをかき集めるのも忘れてはいけない。

 町に近付くモンスターの排除もギルドに依頼しておく。

 王都にもこの惨事の情報は届いているだろうが、町長として正式にマインズへの援助要請もしておかなければならない。

 私はただひたすらに自分の役目を果たしていた。

 ……その間、どれだけ待っていても、娘一家の無事を知らせる連絡は来なかった。

 私は正直諦めていた。

 気を抜けば牙をむいて襲い掛かってくる辛い現実から逃げる為だけに、積まれていく仕事をこなし続けていた。


 

 私は仕事を無理やり一段落ひとだんらくさせ、かつて愛娘まなむすめが使っていた部屋をノックした。

 出迎えてくれたのはクロード君。――可愛い孫の命の恩人だ。

 その孫はかつて娘が使っていたベッドでスヤスヤと眠っていた。

 こうやって見ると本当に小さかった頃の娘によく似ている。

 私は起こさぬよう、音を立てずにそっとベッドに近寄り頬を撫でた。

 指に伝わる確かなぬくもり。それだけで胸が熱くなった。

 この子だけでも生きていてくれてよかった。 

 このままずっとここに居たかったが、その為にここへ来た訳ではない。


「……クロード君、気晴らしに一杯付き合ってくれんかね」


 レスターが無事だったことの祝い酒なのか愛娘と婿の弔い酒なのか。

 それとも、その両方なのだろうか。

 よく分からなかったが、何故か無性に彼と一緒にお酒を飲みたかった。

 クロード君は理由も聞かず、笑顔で私の申し出を快諾してくれた。

 

 

 改めて見ると本当に足の踏み場もないという表現がぴったりの部屋だ。

 きっとこの屋敷で一番散らかっているに違いない。

 私はクロード君を執務室に招き入れた。

 

「いやー、ヒドイありさまだね。全くもってお恥ずかしい」


 私は急いでソファの上に散乱した書類やら何やらを片付けて二人分の場所を作った。


「いえいえ、これらがゴミではないことぐらい誰でも見れば分かることです。……本当に頭が下がります」


 彼の言うとおり、これらは決してゴミなどではない。

 全て重要書類だ。

 クロード君はそれを即座に理解し、私に礼を尽くしてくれた。

 

「大変ですね。僕に何かお手伝いできることありますか?」


 その上こういった心遣いまでしてくれる。

 本当にいい青年だ。


「いやいや、それならば是非気晴らしに付き合ってくれたまえ」


 向かい合わせに座り、いつか婿と一緒に飲もうと思っていた秘蔵のワインを奥から引っ張り出して空ける。

 そして二人分グラスに注ぎ、無言のまま乾杯した。 


「――綺麗で立派な部屋使わせて頂いて感謝します」


「……あの部屋は娘の部屋でね。娘一家が無事に逃げ帰って来られたら使わせるつもりだったのだが」


 酒に弱い私はほんの数杯で早くも酔いが回ってきた。

 聞き上手なクロード君を相手にワインをちびりちびりと飲みながら、私はゆっくりと思うままに話し始めた。

 幼い娘を残して妻が流行病で亡くなったこと。

 町長としての仕事が忙しく、父親としては失格だったが、それでも私を慕ってくれた娘。

 その立派に真っ直ぐに育った娘が、年頃になって王都の商人の家に嫁ぐと言いだしたこと。

 婿が冒険者養成学校の近くで支店を出して大繁盛したこと。

 孫が生まれたと手紙を貰い、おもちゃをどっさり購入して顔を見に行ったこと。

 まだ赤ん坊のレスターの顔に亡き妻の面影が残っていて号泣したこと。

 ……もうその後のことは何も覚えていない。

 ただ、ありがとう、孫を助けてくれてありがとう、という言葉しかでなかったことだけはうっすらと覚えている。

 

 

 翌朝、私は久しぶりにベッドの上で体を起こした。

 そう言えば身体を横にして眠ったのは何日振りだろうか。

 ……昨晩は、クロード君と。

 そう思い出そうとした瞬間、ズキリと頭が痛む。

 完全な二日酔いだった。

 きっと彼が酔い潰れてしまった私をベッドまで運んでくれたのだろう。

 彼を探してちゃんと礼を言っておかねば。

 ……それと一つ頼み事をしなければならない。

 大変だろうが、彼ならばきっと成し遂げてくれるはずだ。

 

 

 やや重たい足取りで一階の食堂に降りると、レスターとクロード君が朝食を食べているところに出くわした。

 丁度いい。探す手間が省けた。

 

「昨日は申し訳なかったね。ベッドにまで運んでもらって。……レスターと違って重かったろう?」


「おじいちゃん、お兄ちゃんにおんぶしてもらったの?」


 子供みたいだね、と笑うレスターと一緒にみんなで笑った。

 その賑やかな中で私はかたわらで控えていた手伝いさんに目配せする。

 勝手知ったる彼女は笑顔でレスターに声をかけた。

 

「ご飯を食べ終わったら、お医者さんが本当に元気になったのか診せて欲しいって言ってたよ?」


 レスターは「もう元気になったのに」と言いながらも、ご飯を食べ終えるとクロード君と私に手を振り、医者の待つ部屋に向かった。


「さて、少し堅苦しい話をしてもいいかな。……実は君にお願いしたいことがある」


 改まった声の響きに何かを察してくれたのか、クロード君は背筋を伸ばして私と向きあった。

 よく考えれば、町長のアンドリューとして接するのは初めてだなと今更ながらに気付く。

 

「現在、この町の置かれている状況は非常にかんばしくない。そこで君に連絡役を担ってもらいたいのだ。……どうか北の洞窟を抜けて王都へこの状況を伝えてほしい。こちらとしては、出来るだけ早い援助が欲しいのだ」


 王都とこの町を繋ぐ道は北の自然洞窟だけだった。

 人間だけなら山を越える方法もあるが、大量の援助物資を移動させるには洞窟が一番安全で効率の良いルートだ。

 しかし現在、そこには強いモンスターが巣食っている。

 これは先日の学校襲撃前からのことだ。

 緊急性を感じなかったので放っておいたのが完全に裏目に出てしまった。




「襲撃があってすぐ、この町のギルドにも依頼を出していたのだが……、中々いい返事が来なくてね。君にすがらせてもらいたい。巣食ったモンスターの駆除も一緒にお願いしたいのだが、どうか我々を助けて頂けないだろうか?」


 私は丁寧に頭を下げた。

 これにはマインズの将来がかかっている。

 マインズに住む人たちの生命、健康に比べれば、私の頭なんて軽いものだ。


「もちろんうけたまりました。……僕を頼って頂いて感謝致します」


 クロード君は即答してくれた。

 顔を上げれば、彼はどこか誇らしげな笑顔でこちらを見つめている。


「なんと!……君のような素晴らしい青年に出会えた事を本当に神に感謝しないといけないな」


 そう言うと、私は準備していた袋を懐から取り出した。


「とりあえずここに1000G用意してある。お礼と軍資金を兼ねてだ。どうか受け取ってもらいたい。これぐらいじゃ到底感謝の気持ちには足りないが、町の状況を鑑みるに色々と入り用なんでね、すまない」


 未曾有みぞうの災害で町の財政に余裕はない。

 援助が届くまで当面は私の個人資産を吐き出さなければならないだろう。

 

「……ありがたく使わせていただきます」 


「あと、ギルドで冒険者登録しておいてもらえないだろうか? この仕事はギルドで受けて貰えると助かる。先にあちらに依頼を出した手前、彼らにもメンツがあるだろうしね。……ついでにそこで仲間を集めるといい。ギルドの宿舎へは私の名前で一部屋取っておこう。標準の4人部屋でいいかな? この町に滞在中は好きなだけ使うといい」


「……流石は町長さん。手際がいいですね」


「……伊達に長い間町長をやってないからね」


 そう言いながら二人で笑い合った。



 やがてクロード君の旅立ちのときがやってきた。

 そこで思わぬ事態が起きる。

 屋敷の玄関ではまだ一緒にいたいとレスターが駄々をこねたのだ。

 この子は過酷な状況でも気丈に、不満を言うことなく我慢をしてきたという。

 そんな孫が泣きじゃくっていた。

 クロード君はレスターに目線を合わせ、力強く抱きしめる。

 

「僕もキミと離れるのは寂しい。短い間だったが一緒に過ごせて良かった。どうかお爺ちゃんと仲良く幸せに暮らしてほしい」


「……クロード君は大きなことを成し遂げる人間だよ。ここではなくもっと広いセカイが相手なんだ。これからもっともっとたくさんの人たちを救う。そんな大きな男になるんだよ」


 私の諭すような言葉にレスターは涙を拭いながらゆっくり顔を上げた。


「……クロードお兄ちゃんは勇者様なんだね? あのお話に出てくる勇者様なんだね!?」


 クロード君はそんな大層なものではないと恐縮するが、私は大きく頷いた。


「あぁ、そうだ! クロード君は勇者だ! ……少なくともレスターと私の勇者だ。そしていつの日か、もっとたくさんの人にそう思われるようになる。……クロード君。どうかその清い心を持ち続けて、思う道を真っ直ぐに進みなさい。もし迷うことがあったら、どうか私たちを思い出して欲しい」

 

 私とレスター、お手伝いさん、見送りに顔を出した人々の熱い想いを一身に浴び、クロード君は力強く頷く。 


「ボク、大きくなったらお兄ちゃんみたいな立派な聖騎士になるよ!」


 レスターの元気な声に彼は笑顔で手を挙げくるりと背を向ける。

 そして勇者として力強く一歩目を踏み出した。

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