エピローグ

ザァ……ーーーーー。



ハナとのお別れの式が終わった日。


僕はひとり、夕暮れ時の海にやってきた。


ひと気のない岩場に近い砂浜。


僕はそっと目を閉じた。



「……ハナ。ありがとう……。大好きだよ」



僕はそう言いながら、持っていた向日葵の花束をそっと海に浮かべた。


27歳の誕生日に、ハナの絵と一緒に渡そうと思っていた向日葵。


プロポーズの言葉も、僕の胸にしまったまま。


ハナの元へ届くことはなかった。



誕生日の4日前に逝ってしまったハナ。


もう、ハナの姿はどこにもない。


夕暮れのオレンジがかった海に、黄色い向日葵がゆらゆらと流れていく。


結局、ハナを描いたあの絵は、ハナに見せることすらできなかった。


僕は、あの絵をハナの両親に渡した。


そうした方がいいと思ったからだ。


ハナのお父さんとお母さんは、あの絵を見て泣いて喜んでくれた。


描いてよかったと心から思った。


きっとハナも喜んでくれていると思う。



太陽に向かって咲く向日葵ように笑う、ハナ。


僕は、いつでもハナを感じることができる。


目を閉じると、すぐに浮かぶハナの笑顔。


僕は、海の向こうに流れていく向日葵をいつまでも見つめていた。




ーーーーーーーーーーー



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





そして、あれから3年後ーーーーー。



今僕は、この蒸し暑い部屋に上がってもらった栄橋さんにひとまず冷たい麦茶を出した。


「すみません。なんだかクーラーの調子が悪くって」


僕が笑いながら言うと、栄橋さんも笑って言った。


「いえ。僕は扇風機の方が好きなんです。なんせ古い人間ですので。だからちょうどよかったです」


「そう言ってもらえると助かります」


少しの間ふたりで談笑したあと、栄橋さんが僕の部屋のいたるところに置いてある絵を見て言った。


「これ、全部あなたがお描きになった絵ですか?」


「ええ、まぁ」


「はぁ……。ホントだ。ハナちゃんの言ったとおりだ。素晴らしい絵ですね」


「そうですか?ありがとうございます」



僕は、1年前から絵を描くことを仕事としている。


運試しに自分の作品をコンテストに応募してみたところ、驚くことに最優秀賞を取ってしまったのだ。


その後、『絵描き』という僕にとっては願ってもない嬉しい限りの仕事につくことができた。


来月には、小さな個展も開くことになっている。


「栄橋さん。もしよかったら、今度僕の個展に遊びに来て下さい」


僕は、机の引き出しにしまっておいた個展のチケットを1枚取り出した。


「どうぞ」


「え。いいんですか?うわぁ。嬉しいな。どうもありがとうございます。しかし、個展とは……。すごいです。必ず観に行きます」


「是非。お待ちしております」


僕が笑顔でそう言うと、嬉しそうにチケットを見ていた栄橋さんが、ふと尋ねてきた。


「チャリティー、の個展なんですか?」


「はい。この収益金は、全て病気で苦しむ子ども達に寄付しようと思いまして……」


「え……?」


栄橋さんが顔を上げた。


僕も静かに顔を上げた。



「ーーーハナがいなくなってから、ずっと考えていたんです。偶然同じ誕生日で、同じ歳で。そして、ふたり一緒にいるだけでこんなにも幸せな気持ちになれて。……けれど、こんなにも早く別れてしまった僕らの出会った意味というか……。なんていうか……。僕は、運命とかそういう類いのことにはあまり興味がなかった人間なのですが。ハナとの出会いは、もしかしたらホントに運命なのかなって思ってしまうほど、奇跡的というか……ーーー。なんというか……。もし、この世に神様がいたとしたら。もしかすると、見えない絆で結ばれた僕とハナを出会わせてくれたのかなって……。


そして、もしそうだったとしたら。


僕らが出会って、そしてハナがこの世を去ったことに、なにか大切な意味があるのかもしれない。なにか……やれること、できることがあるのではないかと………」



「それで。この個展を………?」


「はい。これから毎年夏に開くことに決めたんです。ありがたいことに、僕の絵を見たいとたくさんの方々が足を運んで下さるようになりました。それで、いろいろ考えまして……」


栄橋さんが、優しく深くうなずいた。


「少しでも……ひとりでも多く、病に苦しんでいる子ども達を救う手助けができれば……。僕はなによりです」


僕は、静かに窓の外を見た。



ハナが教えてくれた、夢見ることの素晴らしさ。


人を愛することの素晴らしさ。


どんな子ども達にも、それらが詰まった明るい未来が待っているのだ。



ハナの死が。


生きることの尊さを、僕に教えてくれたのだ。


だから生きてほしい。


僕ができる方法で、少しでも子ども達の医療の役に立てるならば。


ひとりでも多くの命を救ってほしい。


今も病院のベッドの上で病と闘っている子ども達のために、少しでも力になりたい。


僕は、心の底からそう思ったのだ。



「……そうですか。ハナちゃんも、あなたのその素晴らしい行動にきっと喜んでいると思いますよ」


そうほほ笑みながら、栄橋さんがそっと例の物を僕に差し出した。



白い布に包まれた四角い箱ーーーー。



そう、僕が『僕の彼女』だと言った、このある物。


僕は静かに布を取った。


「うわぁ……」


柔らかな優しい黄色が目に飛び込んできた。


「栄橋さん、これは……」


「イーゼルをしまっておくケースです。しまう必要はないだろうと思ったのですが、トオルさんの大切なモノなので、ケースを作らせていただきました。そして、できればどこかに向日葵の模様をあしらってほしいとのハナちゃんからの要望だったので、このケースに向日葵を少し飾らせてもらいました。トオルさんが描く向日葵のように美しくはないかもしれませんが……」



栄橋さんが、頭をかきながら笑った。


僕は慌てて首を振った。


「いえ……素敵です」


木製の箱に描かれた、小さな2本の向日葵。


柔らかな黄色のあたたかい向日葵。


僕はまじまじと見つめた。


そして、そっとケースを開けた。


ケースから顔を出したのは、新しい木の香りが漂う素敵なイーゼルだった。


左脚のところに、小さく『H』のイニシャルが刻まれていた。


そうしてほしいと、僕が栄橋さんにお願いしておいたのだ。


ハナの『H』。


僕はぐっと胸が込み上げた。


言葉が出なかった。


そして、涙が少しこぼれた。



「栄橋さん、なにからなにまで本当にありがとうございます。僕はもちろん、ハナもきっと喜んでます」


ハナの植えた木を切る時も、栄橋さんが知り合いの業者を手配してくれ、当日は栄橋さん自身も一緒に立ち会ってくれた。


「喜んでいただけてなによりです。しかし……3年で、小さいながらもあんなしっかりした木が育っていて。驚きました」


「僕もです」




僕はハナの最後の願いを……夢を叶えた。


そして、ハナのおかげで僕は大好きな『絵を描く仕事』につけたのだ。


僕の夢も叶ったんだ。



ハナが旅立ってから3年後。


正確には2年と11ヶ月。


僕はあえて1ヶ月早く、約束どおり、あの想い出のポプラの木の場所へと行った。


すると。


ハナのメッセージどおりに、小さいながらもしっかり空に向かって真っ直ぐに伸びている1本のポプラの木が立っていたんだ。


ハナの想いが込められた、夢と希望の木。


この木で作ってもらうイーゼルは、世界でたったひとつの特別なイーゼル。


僕は、その大切な木を栄橋さんに託したのだ。



そして1ヶ月後の今日。


ハナの願いどおり、僕の部屋にこのイーゼルがやってきた。


ハナ……。


ついにできたね。


僕はさっそく、このイーゼルに真っ白なキャンバスを立てかけた。


「素敵ですね」


笑顔の栄橋さん。


「はい。すごく……すごく素敵です」


僕も笑顔で答えた。



「では、僕はそろそろ失礼します。……あなたの絵は素晴らしい。これから描き上がるその絵も、いつかまた見せて下さい。あ、それと……。明日、お誕生日でしたよね。1日早いですが。おめでとうございます」


「ありがとうございます」


僕が笑顔で言うと、栄橋さんはにっこりほほ笑んで僕の家をあとにした。



再びひとりになった僕は、胸の中でハナに話しかけた。



ハナ、ありがとう。


僕は、このイーゼルでこれからもずっと絵を描き続けるよ。


明日は、僕とハナの30歳の誕生日だよ。


最高の誕生日プレゼントだ。



僕は、そっとイスに座り、真っ白なキャンバスに向かった。


今日から描き出す新しい絵はもう決まっている。


それは、ハナに捧げる30本の向日葵に囲まれて、優しくほほ笑むハナの肖像画。



タイトルは。



『向日葵な彼女』ーーーーーーー。



僕は、静かに鉛筆を取った。









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向日葵な彼女 花奈よりこ @happy1023

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