第16話 始まり

 オリジナルは死んだ。

 あとに残ったのは一人だ。

「アリシア」

 俺は彼女の向けて一歩を踏み出した。前の前にいるが話をするには遠すぎる距離だ。

 拳も届かない距離でどうして本心を話すことが出来るというのだろうか。

 だから、俺はまず近づこうとして。

「来ないで!」

 彼女の言葉に俺は足を止める。

 明確な拒絶。

 アリシアは両肩を抱いて、全身で拒絶を示していた。それでも俺はアリシアの前に向かう。

 俺たちは話をしなくちゃいけない。

「来ないで……」

「いいや、それは聞けない」

「来ないでよぉ……」

「何もしない。話をするだけだ」

「なんで、なんで何もしないのよ…………なんでよ……」

「…………」

「なんで、いつも……」

 それはアリシアは絞り出すように、掠れた声を紡ぐ。

 ボロボロで今にも消え入りそうな声で、彼女は己の本心を語った。

「なんでよ、私は、あなたにそんな顔も、あいつにあんな顔も、させたくなかったのに!」

 強く、自分を突き刺すような叱責だった。

「私は誰かの為にしてたのに! 私を馬鹿にしてたやつらに見返してやりたくてやったことなのに! 誰も殺したくなんてなかった。思うはずないじゃない!」

「知ってる」

「知らない! 私がどんな気持ちで、あなたについてきたのかも、あいつに従っていたのかも! 全部、私が悪いのに! 償おうとやりたくないこともやってあの子たちを守るために誰かを犠牲にして! なんで、なんでよ、誰も、誰も!」

 ――私を殺してくれないの赦してくれないの

 流れ出す言葉はとめどなく。

 降りしきる雨水に溶けて流れ出すように。

 けれど絞り出された言葉は重く、ただそこに残り続ける。

 年上のくせして、これじゃまるで泣きじゃくる子供だ。体が小さいせいで、本当にそう見える。

 あるいは本当に子供なのかもしれない。ずっとずっと気を張って来た。その下にあった本当の彼女が出て来ただけなのかもしれない。

 俺はそんな彼女に優しくするつもりなんてなかった。

殺す赦すわけないだろ」

 俺の言葉は自分で思っていたよりも鋭く厳しく聞こえた。

 びくりと彼女の方が跳ねる。震えているのは寒いからでも、怯えているからではないだろう。

 いやいやと首を振る様はもう本当に怒られたくない子供のようだ。

「何度でも言ってやるぞ。俺は何があろうとお前を殺さない赦さない殺す赦すわけないだろ」

 アリシアは死にたがっている。そんな相手を殺すほど俺はお人好しじゃない。

 現世は辛いだろう苦しいだろう。

 罪の意識に苛まれ、後悔が降り積もり、もう身動きが取れなくなっているのだ。

 だから彼女が望むのは死だ。

 死こそが救い。

 もう何も考えず、何も聞こえず、何も見ず、何もやらずに済む。

 例え地獄の業火に焼かれるのだとしても、この現世苦界よりはマシだろうという逃げの思考。

 どうして、そんな望みを俺が叶えてやらなくちゃいけないんだ。

「…………どう、して……」

 どうして? 本当にわからないのか?

 俺ですらわかるというのに。

 こんな人間ですらないコピーされたアンドロイドにもわかるのだからアリシアがわからないはずがない。

 わからないフリをしているだけだ。甘えているだけだ。

「一人だけ楽になろうとか甘ったれてんだよ。償うって言ったのは嘘か?」

 アリシアは言った。

 償いをすると。

 それはオリジナルに言われたから方便で言ったわけじゃなはずだ。涙を流し助けてといったのは本心のはずだ。

 いや、俺が本心だと信じたいだけだろう。

 少なくともこの一か月見てきた彼女の姿は、そう信じるに足るだけの行動を示していたのだから。

「…………嘘じゃない……」

 そうだろう。知っている。

 彼女は償うといって、俺の世話を焼いた。

 料理の用意をして、家を借りるときの交渉や様々な面倒くさいことを全部こなしていた。

 本当に俺を切り刻んだ研究者と同一人物とは思えないほどに彼女は優しく、お人好しで、世話好きの女の子だった。

「おまえの過去に何があったのか知らない。俺が知ってるのは、お前が俺を改造した最低の女だってことと、償うと言ったら甲斐甲斐しく世話してくれるようなやつくらいだ」

 そして、それだけでもよかったのだ。

 だが、彼女はそうではなかったのだろう。彼女は、自分で思う以上に責任感が強かった。誠実だった。

 潰れてしまうまで、全て抱え続けていた。

「……でも、もう、辛いのよ……限界、なのよ……」

 ぽつりと、呟きが漏れる。

 それが契機となり、ダムが放流するように言葉が流れ出す。

 心に沈んだ澱が、ここに浮かび上がってくる。

「もう、私はずっと……休みたかった……ずっと頑張って来て、ずっとずっと頑張って。一番になって、それでも頑張って。その結果が、これで……」

 彼女の事情なんて知らない俺でも、きっと血のにじむような努力をしてきたのだろうことはよくわかる。

 そうでなければ国の首席研究者になんてなれないだろう。

 彼女が俺にしたことは到底許せることじゃない。それは前にも言った。けれどそれを差し置いても、彼女がやったことはきっと無駄じゃなかったはずだ。

 ただそれを差し引いて、彼女の望む通りにしてやることは出来ない。それほどまでに彼女は罪深い。

「だから、もう楽になりたい。あなたに酷いことをしたのに、あなたは全然、私を殺そうとしなかった。酷いこともなにもしなかった」

「…………」

「それが苦しくて、辛くて……温かくて、悲しいのに、嬉しくて、もうわけがわからなくて……私は何もしなかった。ずっと、あいつの命令を無視して、ずっとこのままでいいかなんて思って」

 でも、過去オリジナルは赦してはくれなかった。

 生ぬるい保留現状維持など、絶対に許すはずがない。それは俺だからこそわかる。

 俺がオリジナルと同じ立場でも同じことをしただろう。

「でもお、殺してくれない。痛めつけるだけ、痛めつけて、私に罪を自覚させるだけさせて、そこで終わり……」

「当然だろ」

 殺して終わりだなんてぬるいことをなんでやらなければいけないのだろう。

 殺したらそこで終わりだ。もう何も出来ない。気が済むはずなんてないだろう。

 ただ一度復讐したくらいで、なんで気が済むと思っているのだろう。

 そんなはずがないだろう。何度でも、何度だって、刺し続けるに決まっている。一度されたことは二度と気がすむということはない。

 ただ沈んでいくだけなのだ。沈んで思い出になって忘れて、思い出す。それが嫌な記憶というものだ。

 終わりというものはない。復讐に終わりはないのだ。

「だから、甘えるなよ。俺はお前を絶対に殺さない赦さないし、お前は一生その辛さと苦しさと痛みを抱えて生きていくしかないんだよ」

「…………酷い人ね……」

「お前ほどじゃないだろ」

「……そうね、本当に酷いわね。私……自業自得なんだものね……」

 それが、アリシアが選んだことなのだ。

 その責任は自分で背負っていくしかない。

「お前は、一生、誰かの為に償いをして生きなきゃいけない」

「ええ……わかってる……誰かに言われたと言ってもやったのは私だもんね……」

「死ぬことは許さないからな。いつまでも俺が見てやる」

「え……」

「だって、お前、誰か見てないとすぐ死のうとするだろ」

「…………そうね」

「それくらいメンタル弱いんだから、誰か見てる必要があるだろ。俺ならまあ、ずっと見てられるだろ壊れるまで。それが俺の復讐だ、わかってるだろ? 楽になんてしてやるかよ」

「……ぐす……ひっ……」

 ぽろぽろと彼女の瞳から涙がこぼれだした。

 どれだけ拭ってもぬぐい切れないほどの大粒の涙が、頬を伝い、雨粒の一つにまじって地面へと落ちていく。

「あー、泣くなよ」

「な、泣いてない」

「泣いてるだろ」

「あ、雨だから、これは雨なの!」

「いや、泣いてるから」

 降りしきる雨の中、アリシアは泣いていた。

 これからも彼女は辛く苦しい人生を歩むだろう。何かを成し遂げることはない。彼女は一生かけて苦しみ抜いて、償い続けるのだろう。

 その果て、悲しみの中で死ぬだろう。

 俺の復讐はそのときに終わる。それくらいしてやらないとオリジナルに悪い。

 この世界には復讐できないが、少女くらいになら復讐できる。

『酷い男ですね』

「聞こえないね――さて、帰るか」

「ねえ……私はこれからどうすれば良いのかしら……」

「知らん。俺に聞くなよ。償いで他人に頼るなよ」

「そうね……」

『その前にけじめをつけましょう。これだけのことをした元凶なのですから』

「そうだな。ケジメはつけてもらった方が良いか」

「……そうね、ケジメはつけないと……前に進めない、進んじゃいけないわよね……」

「んじゃ、一発で」

「うん、いいよ……」

 もとより何もなしに許されるつもりなどなかったのだろう。アリシアは、無防備に立っている。

「んじゃ、行くぞ」

 俺は躊躇いなく、彼女に拳を振るった。

 顔面に。

 流石に全力だと死ぬから相応に手加減をしたが、それでも彼女の体は宙を回転し地面へとゴミのように落ちた。

「……う、げ、がゅは……いたぃ……」

「俺はもっと痛かったぞ。生きながら切り刻まれたんだ。それくらいで済んで良かったと思ってほしいもんだ」

「……うぅ…………」

 こう言ってしまえば彼女は文句の一つも言えない。というか、俺だって女を殴るというのにはそれなりに罪悪感があるのだ。

 それならばやらない方がいいのにと言われそうだが、やらないと引っ込みがつかないのだ。

 俺にとってもアリシアにとっても。

 だから、清算のための一発だ。一発にしては高くついたかもしれないが、そこは我慢してもらおう。

 こちとらこっちに来てから我慢しっぱなしなところもある。ただ、もう二度と御免だ。

「はぁ、人なんて殴りたくねえなぁ」

 精神的に、どっと疲れた。

 女の子を殴るっていう罪悪感も酷い。

 仇にもこれなんだから、俺にはそういう才能がない。

 そりゃオリジナルも失敗するだろう。本気で滅ぼすなんてことが出来ないのだ俺という生き物は。

 どかっとアリシアの隣にでも座りこむ。

 丁度雨は小降りになってきている。そのうち止むだろう。

 と思っている間に病んできた。

「はぁ。それにしても信じられないよな。俺コピーなんだぜ?」

「…………でも」

 大の字になったまま、アリシアは俺に言った。

 上を見上げている。

 光が降りてきた。

 天使の通り道のように、光がそっと降り注ぐ。

「でも……私を叱ってくれたのも、私を助けてくれたのも、殴ってくれたのも、あなたよ、哲也……」

「なんか、すごい不名誉な気がするなそれ」

「なによ、事実、じゃない……」

「事実だが、名誉的には微妙だろ、それ。男としては不名誉極まりない」

「名誉よ、だって、悪の科学者をぶん殴って倒したのよ」

「そいつはそうだが、見た目女の子とか、最悪すぎるわ。どうせならもっとでかい悪の女帝とかそれくらいになってればよかったのに」

「言いたい放題ね……言われても仕方ないけど……ごめんなさい」

「謝罪はいらない」

「それでも、酷いことした……謝って済ませられないけれど、謝りたいの」

「…………」

「…………ねえ、これからも……私、あなたについていっていい? あいつは、もういないから、今度は自分の意志で、あなたについていきたいの……」

 それはいつかのようで。

「……そうだな。なら、一緒に行くか。……その代わりこき使うからな」

「……ええ、もちろんよ。奴隷の契約でもなんでもするわ。もう二度と裏切らない……信用はないかもしれないけど、見ててくれるんでしょう?」

「……ああ、永久に等しく。永劫に短く。那由他まで。アリシア・ビロードへの復讐として久遠に見届けてやるよ」

「……うん……それなら私、きっと頑張れる。だから、よろしくお願いします……私の御主人様……」

 雨は上がった。

 いつかと同じように、共に征く。

 今度は自分自身の意思で。

 後悔するだろう。

 辛い道のりだろう。

 それでも確かに選んだのだとアリシアは胸を張るのだろう。

 すっと意識を手放した彼女を見て頭をかく。

「まったく、世話の焼ける」

 どっちが年上かわかったものじゃない。

『そうですね。やはり人間はまだまだ幼い』

「それは俺もか、シーズナル」

『マスターは特に、ですよ』

「そうだなぁ」

 なにせ記憶があるとはいえ、俺はまだ二か月と数日しかこの世にいないのだから。

 生後二か月。

 記憶があるからそうは言えないが身体はそれくらいだ。

 だからなんだという話だが。

 俺は甲野哲也であることに変わりはない。記憶がそう言っているし意識だ。

 いや、俺は甲野哲也でなければいけない。そうでなければ何のためにオリジナルと戦ったのだという話だ。

「ともあれ――これからもよろしく頼むよ、シーズナル」

『永久に等しく。永劫に短く。那由他の果てまで。誓いは違えず此処に在ります。マスター、貴方の人生は始まったばかりです――』

 そうだ。

 俺の人生を此処から始めよう。

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