第10話①「壁の中へ 前」

「……は?」

「いや、だからね」

 上半身がプール用タオルと下半身はステテコの父は、タオルで顔を覆い隠しながらソファに座った。

「明日から用事のー、あれだろ。でこの人がその人で、お迎えついでに一晩泊まるって言ってたんだよ」

「えー……」

 理屈ではわかるんだけども、そういう流れで決まってたのか。

 当日にアポなしでやって来てビジュアルに度肝を抜かれるより、前日からアプローチをかけて少しでも親睦を深めておけばとでと考えているのか。

「いいけどさ……どこで寝るの」

「え?」

 訊いたら父は「わかるだろ」と言わんばかりにきょとんとした。

「カオリの部屋ではだめか?」

「………… 」

 それしかない。父とは論外だし、母の部屋もそういう人用ではないし。

 反対するほとじゃないし、じゃあどうぞと手は引かずに案内すると、後ろを黙って付いて来る。そしてマイルームに招き入れた。

「私が床で寝るので、月野さんはベッドにどうぞ」

 定番の提案を放り投げた。ダブルでもなければ上下に分かれてるタイプでもないから、客人を快適な方で寝させるのは当然だ。

 しかし首をかしげられた。

「二人で寝ればいいではないか?」

「…………」

 嘘でしょ。

「じゃあお風呂は」

「二人で入ればいい。効率的だと思うが」

 嘘でしょ。

「もしかして嫌なのか。思春期と反抗期も過ぎただろう?」

「まだ何も言ってないですよね。つか様子がおかしい、もしかしてお酒呑みました?」

「メモの通りに作ったジュースなら」

 それはカクテルだ。

 でも顔は赤くないし寄ってるフウでもない。

「……お風呂はもう入りました、よね?」

「まだだな。ところで広さはどれくらいだね」

「二人で入る気満々じゃないですか……。一人でお願いします」

 身体のサイズからして二人で入るのはかえって非効率だ。

「先に入るので、待っててください」

「む……」

 ベッドのチェストから着替えを引っ張り出し、月野さんは部屋に置き去りにする。化物で警戒してるのではない。この歳なのだから、子供を世話するみたいな目は向けないでほしかった。

「まったく……」

 湯船に浸かって、ドアを見た。

 人影があった。

「入るぞ」

「入るな!!!」

 あまりにも油断ならないせいで、頭も洗うのに警戒を解きたくない。勝手に開けなかっただけマシだから、内側からロックを掛けるだけに留めておこう。

「……まったく」洗面所前からは立ち去ったらしい。

 そんなに距離を詰めたいのなら全身を母にでもなってみろだ。母ならまだいいけど、そもそもあの人では代わりになんかなれやしない。いくらシンカーが情報を食らい姿を変えられるとしても、生まれが違えば本物になりたがるだけの存在だ。

 その人はその人だけなんだ。テセウスのパラドックスじゃないけど、形は同じでも中身はどうあがいても別物なんだから。

「……何を考えてるんだろ」

 息継ぎもできないくらいに顔が沈んだ。

 今でも母が生きていたらと考えなくもない。けど死んだ人は戻らないから、こんな事を夢見るだけ時間が無駄に過ぎていく。

 この歳になってからの母との思い出は多くはない。

 一つだけ、音楽プレイヤーという繋がりは、今もどこに在るのかわからないまま。あれから連絡は一切来ないし、私も思い出さなければならないくらいには頭の隅に放置していた。

 あれが唯一私と母を繋ぎ止めていた物。

 バイトのため父を説得し、母にはバイトを始めた事とその初任給で買い物をした事を報告した。一時間以上は電話をしたと思う。何でもない出来事だったけど、母の声を聞いたのはそれで最後だった。

 実は生きている、なんて可能性はまあ無いだろう。でももし母の顔をしたシンカーがいるとしたら、私の手で抹殺しなければならない。

「…………」

 浴場を出て髪を乾かし始めた。目だけで洗面所内を警戒したけど、さすがに出待ちはされていない。いたらいたで身体的には、同性でも気色悪いけど。

「出ましたよ」

 部屋に戻ったら、月野さんは寝ていた。それもベッドの上などではなく、私の机の前で。

「仕事に疲れきった社会人かよ……」

 地球の形をしたパズルを組み立てながら待っていたらしい。南半球まで組み上がった時点で寝落ちしていたようだ。

 ハルの修復作業に徹夜するくらいだったし、知らないところで疲れを溜めていたのかもしれない。宇宙人とはいえこういうとこは人間以上に人間だと思った。

「…………」

 特に起こしたくはなくてそのままに、布団に入らせてもらった。何となく触らない方がいいと思った。

 そのまま。

 まどろみの

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