第10話②「壁の中へ 中」

 目が覚めると、背中の上にいた。

 いや。

 まだ夢の中なんじゃないか。妙にふわっとしているような、雲を掴むような浮遊感があった。

 それに懐かしい匂い。

 何年も前に。

 感じたような。

 そんな。

「…………」

 今度ははっきり。

 ゆれて、それに、あたたかい。

「は…………」

 背中だ。

 誰かに背負われている。黒くて黄色い髪が。

「…………」

 複雑に気持ちの良い目覚めだ。私は遠い昔の懐かしさを、どこの馬の骨ともわからない人に感じていたなんて。

「起きたようだね」

 月野さんが声を私に向けていた。

 サチは何事もなかったかのように笑っている。

 いけない。出会って数日の人にこんな寝起きを見せる訳にはいかないが、両手がくっついたみたいに動かせない。疲れてる訳でもないのに、不思議だ。

「お父さんには話しておいたよ。これからだから、少しの間だけ預かると」

「それは……どうも。降りても?」

「そうだったな」

 ゆっくりと、地に足が着いた。

 そういえばだ。

 今更突っ込むのも野暮だけれど、いつの間にか見た事のない服に着替えていた。

 いや着替えさせられていた。上も下も指先まで、黒のインナーに締め付けられている。その上から真っ白なジャケットを羽織っていた。

 これが月野さんの趣味って事はないだろうな。突っ込みたいのはそこじゃないんだけども。

「それと、一つ忘れてた事が……」

「何です?」

「壁の中への進入方法だ」

 確かにそうだ。進入どころか様子さえ窺えないような場所だ。今まで敵がどのように出て来ていたのか。

「それはそれで知りたいんですけど、そもそも敵はどうやって外に出てたんですか」

「それがわからない。わたしだけでなくリュウ君ですら、一度も現場に出くわしてすらいない。壁を越えて初めて気配を察知できるからな」

 それもそうだ。脱出方法がわかってしまえば、今まで一度も町に危害を加える事なんてなかった。

「ただひとつ、君がいれば壁の中へ入ることは容易いのは確かだ」

「何を根拠に……」

「約束だからだ」

「約束?」

「君の母との、再開の約束だ」

 私は――私達は、巨大な壁の前にいた。この町に影を落とす元凶。シンカーを生み出し続ける悪魔の領域に、今踏み込もうとしている。

 壁に福井が寄りかかっていた。同族の彼でも能動的な進入はできていないという訳だ。本当に私がいるかいないかで変わるというのだろうか。

「あの……」

「……これは君の母と交わした事だ。この約束は果たされなければならない」

「………」

を一度倒したのはわたしじゃない、彼女だ。彼女がを倒し、それからもずっとこの町を守れる限り守ってきた」

「この町を…………」

 今日まで?

 お母さんが押し付けの強い人じゃないとする。

「つまり……」

 月野さんでも福井でもハルでもない。

 私でもサチでもない。

 だとしたら他にシンカーと戦ってる人はただ一人。

 いやいやそれはあり得ない。だって月野さんが母の死亡を明言したんだ。

「この壁は事件の後に発生した。何故か……。必殺技のエネルギーが余波となり、地面を抉り隆起させ、ムーゾンにより何倍何十倍にも膨れ上がり……」

「それがこの壁の正体?」

「と考える他ない」

「何だか曖昧な言い方ですね。でも壁を作る事でシンカーの侵略をある程度は抑えていた……という事なんですか」

「あれが君の母の選択だった……」

「…………」

「わたしと別れる最後の時に彼女はこう言った。『もしも』と」

 それだと私の必要性はますます薄くなる。

「これは戦いの再開でもあり、再会でもある」

「…………」

「もう一つ約束をしたんだ。『必ず君と君の娘を会わせる』と……」

「……………………」

 月野さんはゆっくりと壁まで歩いて私に振り返った。

 無言で優しく見つめられ、どうやら私が行かなければいけないみたいだった。

 もしかするとと思い、その眼差しに従った。

 壁に触れた。

 私と母の再会でもあり、戦いの再開でもある。この瞬間に中への進入が許されるというのは。

 つまり母の意識はまだ生きていて。

 壁から無数のが、私を抱き抱えるように伸びて絡め取って。


 それはようやく会えるという喜びであり、同時に戦いの坩堝を開く鍵でもあった。

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