第13話 不愉快な王子

「ようこそお越し下さいました」


そう言って、私達を出迎えてくれたのは、驚くべきことにシャルル様だった。


訳が分からない私は、カージナス様とシャルル様との間を往復しそうになる瞳を堪えて、愛想笑いを浮かべるのが精一杯である。


そんな私の動揺は計算の内だったのか、カージナス様は王子然たるにこやかな笑みを浮かべ、私をエスコートしながら説明し始めた。


「ここは、オルフォード家が管理しているワイナリーの一つなんだ。領地内だけでなく、他領地にもワイナリーをいくつか所有しているんだ」

「……そうなのですか」


説明してくれるのは嬉しいけれど、こんなに寄り添う必要、あります?

私の左腕とカージナス様の右腕が完全にピッタリとくっ付いてしまっている。


貼り付けた笑顔が、ピクピクと引き攣りそうになる。

それでなくとも、先ほどの馬車でのやり取りを私はまだ許していないというのに。


本日の私の立場は、あくまでもミレーヌの代わりであり、ただの婚約者候補でしかないのに、この距離感は有り得ない。


馬車の中とは違って、勝手ができない状況が歯がゆい。今なら油断しているであろう脇腹に、思い切り肘鉄を食らわせたくなる。


「……私は、オルフォード領のワインがとても好きなので、とても楽しみにしていました。本日は、どうぞよろしくお願いいたします」


カージナス様から自己紹介された私が、そう付け加えながらにこやかに微笑むと、ワイナリー関係者の方々から、ほうっという吐息の様な音が聞こえてきた。


……皆さんの気持ち、すごーく分かります。

ローズは妖精のように愛らしくて儚げだから、そうなっちゃいますよね。

斯くいう私もその一人でした。

まさか人外の可愛らしさを持つローズに生まれ変われるだなんて、思ってもみませんでした。

ええ、分かります。分かります。


カージナス様に触れられるのが、想像以上に不愉快だったせいで、思わず現実逃避してしまった。

今は離れられたお陰で、逃避することなく落ち着いている。


カージナス様、ワイナリー責任者のロイさん、シャルル様の三人が、横並びで歩いているその少し後ろを令嬢スマイルを浮かべながら、黙って着いて行く。


ここが興味のない場所であったら、――果たして、私はこの場に必要な存在?とか、思わなくもないけれど、貴族社会ではが普通である。


この世界も同じ。

気の強い女性よりも、お淑やかで控え目な女性が好まれ、政治に口を出すなんて以ての外だ。


男尊女卑とまでは言わないが、女性の社会的地位は低い。……というよりも、脳内花畑の女性達の知識は、男性の足元にも及ばないと思っているのだ。


……失礼な話である。


日本で生まれた記憶がある私からすれば、貴族社会は時代錯誤で滑稽だ。

……まあ、日本も男女平等とは言えないことがまだまだ沢山あるけれど。それは置いておく。


男性には男性の、女性には女性の素晴らしいところがある。それぞれがより良い社会を作るための意見を出し合いながら話を進めれば、色んな案が出て、今よりもずっと素晴らしい国になるであろうに。

それをしない、考えられないなんて……勿体ない。


その点においては、カージナス様のことを高く評価している。

カージナス様は『女だから』とか『女のくせに』という言葉は、絶対に使わない。

優秀な人材は、性別を問わずに丁重に扱ってくれる人だから、彼が王になった時には、女性の官僚が増えていることだろう。


幸か不幸か、私も使分類枠に含めてもらえているらしい。弱みを握られている私からすれば複雑だけれど……。


そして、カージナス様は、未来の王妃になる相手にも、自分と同じ志であることを求めていた。

故に、ミレーヌとの会話を重要視している。


転生者として、この世界に生きる女性として、ミレーヌはとても羨ましいと思う。彼女は自分を決して卑下することのない、互いを尊重し合える相手と結ばれるのだから。


そんなカージナス様とミレーヌは、私を側妃として望んでいるのだと言う。……冗談なのは分かっているが、日本人的感覚を持っている私としては、カージナス様のように、性別で差別をしない人の側にいた方が、幸せになれるのかもしれないな――と、ほんの少しだけ考えてしまった。


勿論、側妃になるつもりなんて全くない。

カージナス様にも言ったが、私は好きになった人の唯一の女性でありたいと願う。

ただひたすら訪れを待つような愁傷な女性にはなれない。


私は前を歩くシャルル様の顔をチラリと盗み見る。


私の知りうる限りの情報では、シャルル様は男女差別をするような人ではないと分かっているし。

愛した女性を尊重し、大事にしてくれる人だと、思っている。


……シャルル様に愛される幸せな女性は、どんな人なのだろう。

あの笑みを自分だけに向けてもらえたら、どんなには嬉しいことか。


そんな余計なことを考えながら歩いていたせいで、先頭を歩いていた三人が立ち止まっていたことに気付くのに、少しだけ遅れてしまった。



カージナス様の背中に突っ込む寸前に、異変に気付いたシャルル様が私を止めてくれた。


「大丈夫ですか?」

「……申し訳ありません。ありがとうございました」


恥ずかしさのあまりに染まった頬を押さえながらお礼を言うと、シャーロット様は「いえ」と素っ気ない返事だけをして、さっさと私から離れてしまった。


「ふふっ。私の顔に見惚れていたのかな?」

「いえ、そんなことはありません」

「そこは嘘でも『はい』って答えるべきところじゃないの?」

恐縮する私に向かって、カージナス様は意地の悪い笑みを浮かべる。


『冗談でもお断りです!』――と、馬車の中ならきっぱりと言えるのに、人目のあるここでは言えない。

「……私、素直なものですから」

せめてもの抵抗として頬を膨らませると、カージナス様はわざわざ私の耳元に顔を寄せてきた。


「そんな可愛い顔で拗ねられたら、その唇を塞いでしまいたくなるよ?」



はあああーー!?

ドスの利いた声を上げながら、睨み付けそうになる自分を、理性が必死に押さえつける。


「……寝言は寝てから言って下さい」

「つれないなぁ」

カージナス様は規格外の美形であるが、私の心は全く動かされない。

寧ろ…………イラッとする。


私の気持ちなんて、すっかりお見通しのカージナス様は、悪ノリをするかのように更に続ける。


……そういうところが嫌なんですけど!?


「ほら。拗ねてないで、その小さくて可愛らしい唇を開けて?」

採りたての瑞々しい紫色の果実を摘んだ指が、私の唇に無理矢理に果実を押し当ててくる。


軽いノリとは逆に、半ば強引に果実を口の中に押し込まれた私は、非難の声を上げることもできず、黙って咀嚼するという選択をするしかなかった。


口の中に食べ物が入っている状態で話すのは、淑女としてだけでなく、人としてのマナーにも反する。



「カ、カージナス様……!」

口の中に何もなくなったタイミングで、非難の声を上げようとするが、次から次へと口の中に果実を押し込まれてしまう。


「美味しい?」

……不本意だが果実に罪はない。

そして、この果実は文句なしにとても美味しい。


私はカージナス様を睨みつけながら素直に頷いた。


「ふふ、ローズは素直で可愛いな」

フッと笑みを漏らしたカージナス様の顔が近付いてきたと、思った瞬間。

フニッと私の右の頬に柔らかいが触れた。


…………これって、まさか。

私は愕然としながら右頬を押さえた。


「おや?その反応……私が初めてだったのかな?」

私の右頬から少し遠のいたカージナス様が、にやりと笑う。


頬とはいえ、初めてだった。

こんな風にふざけながら、ましてや公衆の面前でされる予定なんかなかった。


ジワリと涙が滲んでくる。


婚約者候補としては、喜ぶ演技をした方が都合が良いということを頭では理解している。

婚約者候補が、王子に好意を持っていないことを知られるのは良くないことであるとも。

逆に好意があると匂わせていた方が、ミレーヌのためになる。

私が他の令嬢を退ける虫除けになれるのだから。


……分かっている。

だけど、理性に感情がついていかない。

泣かないように唇を噛み締めながら俯くと、ふと私の頭上に影が降りた。


……カージナス様だったら、どうしよう。

ビクリと身体を強張らせると、視界に入ってきたのは黒色だった。黄金のような色でも、サファイアのような青でもない。

恐る恐る顔を上げると、目の前にはシャルル様の顔があった。


「シャルル……さま?」

「ローズ嬢。失礼します」


呆然とする私の肩にそっと手を置いたシャルル様は、中性的で綺麗な顔を微かに傾けた。


――それは一瞬のことだった。


「え……?」

優しい香水の香りと共に、柔らかい感触が右頬に触れたと気付いた時には、シャルル様はバツの悪そうな顔で私を見つめていた。

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