第12話 視察の準備は万全に

今日は、待ちに待ったワイナリーの視察の日。


昨夜は、楽しみ過ぎて眠れなくなりそうだったので、ホットミルクに度数の高いお酒を数滴入れもらって飲んだところ、朝までぐっすりでした。

お酒は百薬の長。質の良いお酒を適量ならば、身体には響かないのです。


――つまり、今日は体調万全なのです!

浴びるほどに飲むぞーー! おーー!!


……あ、失礼。、我を失ってしまいました。


ただ、その前に私には、やらなくてはいけないことがある。


ミレーヌの代理として、カージナス様の視察に同行することになった私は、長年培ってきた完璧な令嬢モードで、任務をこなさなければならない。


カージナス様に、恥をかかせることになんかなったら、我が家は終わりです。お取り潰しです。


……ええ、決して冗談ではなく。

良くて、一族郎党の一生飼い殺しルートですね。


恋愛対象としてカージナス様が好きならば、どんなことでも頑張れるのだろうけど、寧ろ関わりたくない相手との視察だなんて、ワイナリーの視察でなければ絶対に無理だった。


そして、二番目候補に選ばれて無ければ、ミレーヌの用事が入っていなければ――ワイナリーには来れなかった。

そこがまた複雑微妙なところである。


――因みに。この世界の貴族は、馬車で移動するのが基本である。そのため、今日の私達も安定の馬車移動です。


乗っているだけとはいえ、舗装されていない道はガタガタで、腰は痛くなるし、馬車酔いすることもある。


王宮の超高級馬車は、負荷が掛かりにくいとはいえ、現代の車に慣れていた悠夏わたしからすれば、我が家の馬車も王宮の馬車もどんぐりの背比べである。


行く場所が分かれば、まだ心構えが違うものの……未だにどこに向っているのか、私は知らされていなかった。

こんな状態で、更に寝不足だったりなんかしたら、目も当てられない結果になることだけは、想像にしやすい。


出来たてのワインが味わえるかもしれない貴重な日に、馬車酔いごときのせいで、台無しになるのだけは、絶対にご免だった。

だからこそ、今日の私は万全を期した。

万全を期して、お気に入りのクッションも持参している。


「変わった形のクッションだね。それはワイングラスかな?」


ただのワイングラス型のクッションと、侮ることなかれ。

ステファニー領内で、たまたま発見された低反発のモチモチ素材を、贅沢にもふんだんに使用した逸品なのである。


お尻の下に敷くも良し、背もたれと腰の間に入れるのも良し。良々尽くしのクッションなのだ。


「カージナス様には、シャンパングラス型をご用意しておりますのよ」


私はそっと、シャンパングラス型のクッションをカージナス様に献上した。


男性方は、お尻が堅いのか、元々の鍛え方が違うのか、お尻は痛くならないそうなので、背もたれと腰の間に入れるための、少し細長い仕様にしてみたのだが……。


「あー、これは良いね。あるのとないのとでは、大違いだ」

カージナス様はご満悦のようである。


「お気に召していただき光栄です。ご入用の際は、我がステファニー商会をご利用下さいませ」

「抜け目がないな」

「あ、そちらは特別に差し上げますので、せいぜい宣伝して下さいませ」

「分かった、分かった。父上と母上に話をしとく」


この売り上げは、我が領の大事な資金源となる。

――そう。毎年のワイン代だ。


視察に向かう間の馬車の中が、カージナス様と二人きりだなんて、苦痛でしかないが、お客様金蔓だと思えば別である。


瞳を細めて、にこにこしながら、こちらを見ているカージナス様は、とても気持ちが悪いが、お客様金蔓だと思えば我慢できる。


「……何か、酷いこと考えてないか?」

「そんなことありませんわ」

私はにっこりと営業スマイルを浮かべた。


勿論、嘘だ。考えている。ああ、考えているさ。

お願いだから、心の中くらいは自由にさせてよ!


「君ともっと仲良くなりたいと思っているのに、ローズは懐かない猫みたいにかたくなだね」


カージナス様は大袈裟に溜息を吐いた。


「あら。カージナス様は、わたくしのことなんて、特別お好きでもないのですから、良いではないですか」

「好きだって言ったらどうする?」

「…………はい?」


……この腹黒王子は、突然何を言い出すのだ。


「ミレーヌに言いますわよ。カージナス様が浮気者だ、って」


そのままミレーヌに嫌われてしまえ。

泣いて許しを請うが良い!!


「いや、ミレーヌは喜ぶよ」

「……え?」

「ローズが側室になったら喜ぶよ、って」

「……お断りいたします。私は誰かにとっての一番でないと嫌ですもの」


側室なんて、絶対にお断りだ。

カージナス様なんかと結婚してたまるか。


「だったら、ローズが第一王妃になれば良いよ。ミレーヌを側室にすれば問題ない」

カージナス様は、瞳を細めて微笑んだ。


……悪趣味な。


「その手の冗談は、嫌いです」

「ははっ。ごめん、ごめん。ローズはシャルルが好きなんだよな」

「……っ!?」


二人きりの空間に加え、訳の分からない話をされ、思った以上に不満が溜まっていた私は、不敬だと知りつつカージナス様を思い切り睨み付けた。


「それで……」

「ん?」

「一体、何があったのですか?どうしてでストレス発散しようとするのですか」


何もないのに、こんなにもしつこく絡んでくるはずがない。私はジト目を向けた。


カージナス様は、一瞬だけ驚いたように瞳を瞬かせると、くしゃりと顔を歪ませながら頭を掻いた。


「実は……最近、ミレーヌが君の話しかしないんだよ」

「…………は?」

「『ローズ可愛い』、『またローズとお人形さんごっこしたいわ』、『いつもローズと一緒にいたい』とか、口を開けばいつもいつも君のことばかりでね」

「……ええと、すみません?」


思わず謝罪の言葉を口にしたけれど……私、悪くなくない?


カージナス様は、私の話しかしないミレーヌにヤキモチを焼いて、拗ねている。

そして私は、そんなカージナス様に、八つ当たりをされているただのなのだ。


「甘い雰囲気を作って愛を囁こうとすると、何故か君の話題になるんだ」


シュンと肩を落としたカージナス様は、いつもなら『いい気味だ』と思うが、本気で落ち込んでいるその様子は、少しだけ可哀想だと思った。


……仕方ない。


「あの……」

「愛しいミレーヌに愛を囁きながら、何度も熱い口吻をしたいというのに……!」


フォローしてあげようと開けた口は、食い気味のカージナス様の言葉に阻まれた。


はい……!?


「細い首筋に口吻をしながら、その下にあるまろやかな――」

「カージナス様、ストップ!止めて下さい!!」


私は顔を真っ赤に染めながら、カージナス様の話を無理矢理に遮った。


男性側から、そんな生々しい情事は聞きたくない。

それでなくともその相手は私の友達なのだ。


「ぷっ……。くっ……あははっ!!」


――この時になって、漸く自分がからかわれていたことに気付いた。


……心配して損した。もう、知らないんだから!

私は唇を堅く結んでプイッと横を向いた。


ニヤニヤと笑いながら、こちらを見ているカージナス様の顔が目の端に映る。

その顔のまた憎らしくて、腹立たしいこと……。


カージナス様からの視線をしばらく無視し続けていると、ガタンと音を立てて馬車が止まった。


「着いたか。思ったよりも早かったな」


外から扉をノックされるのと同時に、カージナス様の顔が『メルロー王国第一王子』へと切り替わった。

所謂、余所行き顔になったカージナス様は、スッと立ち上がると、従者が開けた扉から先に出て行った。


ワイナリーの視察が始まるというのに、正直気分が乗らないのは、それもこれもカージナス様のせいだ。

けれど、これは私に与えられた『仕事』なのだから、割り切らねばならない。

大きく息を吸い込んだ私は、両頬に手を当てて目を閉じた。


……よし。


カージナス様の後に続いて外に出ようとすると、私をエスコートするために、カージナス様が待ち受けていた。


にこりと令嬢スマイルを浮かべた私は、差し出されたカージナス様の手を取る。


さて……。ここは何処だろう?

周囲を見渡した私は、令嬢スマイルを貼り付けたままピシリと固まった。


どうして……あなたがここにいるの?

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