第59話 意地の張り合い

 呼び鈴が鳴って弾かれたように顔を上げたミスズが、玄関へ飛び出した。

「ママっ!もう帰って来たの!お帰り、お腹空いたよぉ~っ・・・って、あれ。」

 慌てて玄関の扉を開いたミスズの目に入って来たのは、綺麗に着飾った養母と、見慣れない金髪の若い男だ。

 いや、見慣れないのではない。思い出すのに、時間がかかっただけだ。

「・・・パパ・・・?」

 青い眼を大きくして、小さく呟いた彼女は小さく首を振る。

「そんなワケ・・・あ、もしかして、ヒカル!?」

 金髪の男が愛子の背後でうっすらと笑う。

「ひさしぶり、ミスズ。元気だった?」

「うっそぉ。こんなに綺麗になっちゃって!あれ、前会った時はまだ、もっと黒っぽかったような気がするのに。まるで、まるで・・・」

 パパみたいだ、と言いそうになり止める。

 金茶の髪を持つミスズよりももっと白っぽい金の髪。冬の空のような、青い瞳。少し目尻の下がった女顔まで、そっくりだ。

 暫くぶりに会った双子の兄の変貌から目を離せないミスズの肩に軽く手で触れ、愛子は嬉しそうに言う。

「折角ここまで来たんだから、お茶でも飲んでいきなさいって誘ったのよ。いいかしら、ミスズ。」

「あ、ええ、うん、勿論よ。入ってよヒカル。あんたの古巣なんだから遠慮しなくていいわ。」

 兄の腕を引いて家の中へ連れ込もうとするミスズ。

 しかし、ヒカルはそれを止めた。

「いや、ここでいいよ。僕は帰る。ミスズの顔も見られたし。」

「どうして?いいじゃない、そうそう、ヒカルはローズも見たことがないでしょ。まだ起きてると思うから、顔見てってよ。」

「お祝いが遅れてすまない。おめでとうミスズ。僕が叔父になったって聞いたよ。」

「そんなのいいわよ。さ、早く。」

 困ったようにヒカルが愛子を見ると、彼女はニコニコして頷いた。

『何の騒ぎですか?』

 ミスズの大きな声が聞こえたのだろう、アイザックがローズを抱いて玄関まで出てくる。



 聞けば夕食がまだだと言うので、愛子が台所に立つと、その後をヒカルが追いかけた。冷蔵庫を覗いてメニューを考えようとする彼女の隣りに立ち、彼も中を覗き込む。

「ミスズは今も肉が好きなの?」

「そうねぇ。やっぱり肉をよく食べるわ。でも、今日はラムを買ってないのよね・・・。」

「マトンを薄くスライスして、野菜やハーブで挟んだらどうかな。スライスだから火の通りが速いよ。オーブンで10分くらい。」

「あら、それいいわね。ハッシュドポテトは冷凍のがあるから、それでいいかしら。」

「僕が肉を切ろうか。アイコは解凍を頼むよ。」

 マトンの塊を冷蔵庫から取り出すと、愛子はまじまじとヒカルを見つめる。

「・・・料理するの?」

 キッチンの引き出しからナイフを取り出し、軽く紙ナプキンで拭った彼が、ため息をついた。

「馬鹿にしないでくれる?僕の父さんはパティシエで僕はパリ帰りなんだ。美味しいものには目がないんだよ。」

「まあ、言うようになったのね。」

「ローズは、まだミルクだけ?」

「離乳食にはまだ早いみたい。わたしと貴方は食べて来たんだから、ミスズとアイクの分だけでいいわ。」

 四年ぶりの台所なのに、ヒカルは何がどこにあるのかしっかり覚えているのか手際よく準備を始める。昔はほとんど料理などしなかったのに、変われば変わるものだ。

 元来ヒカルは器用な性質なのでその気になれば料理くらい簡単だろう。パリにいる間に修行して上達したと見える。

「お腹減ったぁ~、飢え死にしそうよ。ママ、早くぅ。」

 ローズを抱っこしたミスズが台所へやって来た。晩御飯が待ちきれないようだ。

「ほうら、叔父さんですよ。可愛いでしょ、アタシのローズマリー。」

「うん、凄くキュートだね。あとでじっくり眺めるから、夕食ができるまで待ってて。お腹空いてるんだったら邪魔しないでよミスズ。」

「ヒカル泊って行けば?」

「僕の部屋はアイクが使っているんでしょ?寝る場所はないよ。」

「追い出しちゃうから。」

「なんてこと言うの、ミスズ。」

 ミスズの暴言に愛子が叱りつけた。




『はい。そう言ってますね。』

 双子が食後のコーヒーを淹れに行っている隙に、先ほどのミスズの暴言を密告すると、アイクはいつものように低い声でそう言った。

『困ったものね。ローズの父親が貴方だってことはミスズだってわかっているのでしょう?』

『はい。』

『何がそんなに嫌なのか、わたしにはさっぱりわからないわ。わたしの知る限り、貴方は立派で優しい、素敵な男性よ。ミスズの嫌がる理由が全く思いつかないの。』

『ありがとうございます。』

『・・・アーサー様はなんて?』

『仕事に支障が出るようなら休職しとけ、と。』

 あっさりしたものだな、と思う。

 自分は女親なので、今回のミスズのしでかした事についてはどうしてもミスズに肩入れしてしまう所があるのだが、姪を可愛がっている叔父としてはどうなのだろう。

 元々、ミスズにアイザックを付けたのは侯爵様だ。だから、この成り行きを予想していたのかもしれないと言えば言える。

 ソファに座り直して、彼の方へ向いた。改まったような愛子の態度に、アイクもまた姿勢を正す。

『アイザック。あの子は少々変わっているわ。いい子なのは保証するけど、きっとあなたの足を引っ張る事があると思うの。それを承知でよろしく頼みたい。わたしは、この数年ずっと貴方が辛抱強くあの子に付いてきて、何一つ言わないで守ってくれているのもいるのを知っているわ。下心や酔狂で出来る年月や苦労じゃないと思うし、アーサー様はそれをご存じで貴方をあの子に付けてくれていると思っている。』

『はい。』

 重々しい低い、けれども簡潔な返答。

『大切に、愛して上げてくれるかしら?8歳で両親を亡くしたあの子達は、表面ではどんなに強そうでもとっても寂しがり屋なのよ。大切にしてくれる人がいると思えば、ミスズはとっても頼りになる頼もしい娘なの。自分自身に対してはあの通り無頓着だけど。』

『はい。』

『妊娠の事を知った時、何故堕胎しないのかと尋ねたら、貴方が悲しむのを見たくないって。』

『はい。』

『ちゃんと貴方の事、思ってるんだと思うのよ。認めやしないけど。』

『はい。』

 何を言っても、同じ返事しか返さないアイザックは、変わらず穏やかな笑みを浮かべている。

 その頑固さには、逆に頭が下がる思いだ。

 ミスズも頑固だけれど、この青年もかなりのものである。いい勝負だ。

 きっと、どんな口を挟んでも彼は聞き入れないだろうし、それはミスズも同じだ。どちらも自分を曲げる気はない。

 アイザックはどんなに邪魔にされてもミスズを諦めることは無いだろうし、ミスズも、意地を張り続けるのだろう。愛子が何を言っても無駄なのだ。

 後は互いの我慢比べなのだろうが、その決着はなるべく早く付けて欲しい。生い先短い自分のためにも、孫娘のローズマリーのためにも。

『わたしとヒカルのせいで、あの子が妙に意地を張っているのだとしたら、その点は貴方に謝らなくてはならないわ。協力は惜しまないつもりよ、なんでも言って頂戴。』

『はい。』

 やはり低い声で、短い返事を返すのみだ。

 愛子の言い分はわかるが、放っておけ、という事だろうか。

『ママー、ミルク入れるわよねー。』

『アイコは蜂蜜も入れるんだよ。先に持って行っちゃだめだ、ミスズ。冷めたら蜂蜜が溶けにくい。・・・どうしたの、アイコ?』

 ティーポットを手にリビングへ入って来る妹を追いかけてきたヒカルが、妙な顔をしている愛子に目を止める。

『なんでもないわよ。ミスズ、ヒカルの言うとおりにお茶を淹れてくれるかしら?』

『う、ん、いいけど、何?どうしたの?』

 ミスズまでもが怪訝な顔を見せる。

 自分たち兄弟が話題の中心だったとわかっても、ここまで不思議そうにはしないだろうに。そんなにも愛子とアイザックが不自然に見えたのだろうか。




 久しぶりのトレーニングが終わった愛子は、筋肉痛を恐れながら恐る恐る歩みを進めていた。

 ジムの建物を出ると、さっぱりしたような顔のバーニィが笑顔で玄関ホールで迎えてくれる。一仕事終えたのでご機嫌なのだろうか。

『お疲れ様だね、アイコ。ひさしぶりだから疲れただろう?』

 プロテインの粉末の袋にリボンをかけたものを、プレゼント、と言いながら手渡した。コラーゲン配合、とも書いてある。

 それを見て思わず笑ってしまった愛子は、バーニィの隣りにどうにか歩みを寄せた。彼も速度を愛子に合わせて、遅くしてくれている。

『心も体もケアしてくれるプレゼントね。ありがとう、バーニィ。』

『どういたしまして。貴方は大事な顧客だからね。少し早いけど、クリスマスプレゼントだよ。』

 愛子の焦げ茶色の目が、丸くなった。

 受け取ったプロテインの袋をちらりと見て、そう言えばもうそんな時期だと思い返した。

 ヒカルがアイコの家を出た四年前のクリスマスの事を思い出す。

 青年と言ってもいい体格になったヒカルが、最後に愛子のベッドに泊まった夜を最後に家を出て行ってしまったのもクリスマスだった。自分が望んだ事とは言っても、その寂しさと悲しみは耐え難く、数日は泣き暮らしたのだ。

 でも、その悲しみを紛らわせてくれたのは彼の双子の妹であるミスズであり、友人のこのバーニィだった。職場の同僚にも迷惑もかけた。

『とってもご機嫌なのねバーニィ。』

『だって、今夜は件の彼に会わせてくれるんだろう?そりゃあ、楽しみで、夜も眠れなかったくらいさ。』

『・・・会わせるのは、いいんだけど、ね。』

 小さく息をつく自分の友人を見て、またもバーニィは朗らかに笑った。

『心配してるのかい?俺がその彼に目を付けやしないかと。』

『・・・ちょっとだけ。』

 バーニィはゲイだ。

 だからこそ愛子も気兼ねなく付き合える友人なのだが。

 しかも、パリから戻ってきたヒカルは以前と違う。長い金髪の儚げな美青年に様変わりしている彼を、ゲイのバーニィが気に入らないとは思えない。

 友人の好みのタイプを聞いたところ、子供っぽいのが嫌いだと言っていた。4年前ならばきっとヒカルはバーニィのタイプとは言えなかっただろう。

 しかし現在のヒカルは、物腰の柔らかい紳士然とした青年となっている。

『君の息子と言う事は相当若いんだろう?僕は同世代の方が好きなんだ。心配いらないよ。』

『そうね。』

 同性愛に対して偏見はないつもりでいある愛子だが、それがヒカルの場合となると複雑だ。本人がいいのならば、相手は男女どちらでも構わないだろうと思ってはいる。自分が育てた息子という思いもあるが、一度は男女の関係になったのだ。彼がゲイに走ることはないだろうと思いたいのは、自分のエゴだろうか。

 今夜はジムのトレーニングの後、ヒカルとの4回目のデートだ。トレーニングの最中に、この後息子と会う予定だとバーニィに話したら是非会ってみたい、というので合流することにした。ヒカルの許可は取ってあるが、少しばかり、というか色々な意味で不安だ。

 彼がロンドンにいない間も、アイコはバーニィとの友人付き合いをしていた。その事を告げた時のヒカルは、顔が強張っていた。勿論バーニィがゲイであることも伝えてあるので、おかしな嫉妬はしないだろうと思う。思うけれど、やっぱり不安だった。

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