第47話 熟女がもてる場所

 

 何故打たれたかのかもよくわからない。ヒカルは言われたことに素直に正直に答えたのだ、どうして静流がそれほど激昂しているのかわからなかった。

「な・・・にをするの、さ。」

 唐突に振るわれた暴力の理不尽に、ヒカルは声に怒りを滲ませる。

 その反抗を、大叔父は鼻で笑った。

「同意がない性交はたとえ夫婦であっても強姦だ。愛子に避妊を求められたのにそれさえも拒絶し続けたお前は馬鹿野郎じゃないのか。」

 静流は低い声で理由を述べる。怒りを抑え込んだような声だ。

 だが、それにもヒカルは言い募った。

「僕は、責任を取る!彼女が妊娠してくれればいつだって」

 養子縁組を解消して結婚するのだ、と続けるところを途中で遮られる。

「やっぱり馬鹿野郎だなお前は。責任を取るだと?無職で学生のお前がどうやって責任をとる?子供をどうやって育てる?結局は愛子が全てを引き受けるしかないだろう。そもそも女性が子供をつくると言う事の大変さをお前はわかっていない。向こう見ずなお前くらいの年齢ならばまだしも、愛子はもう四十だ。万が一妊娠したとしたって高齢出産になる。それがどれほど彼女の負担になるのか考えたことが有るのか。」

 まだ四十じゃない、三十九のはずだ、という反論をヒカルが呑み込む。

 高齢出産という言葉に、驚かずにいられなかった。あの若くて綺麗な愛子に高齢などということばは似合わない。似合わないから、負担がかかるなんてことは念頭に無かった。

 思ってもみなかった、考えもしなかった事実に愕然とする。

「産むことだけじゃない。あの年で妊娠したとしても、こんな頼りにならないパートナーでは、育てる彼女の負担は計り知れない。お前は簡単に出来たら産めばいいと言うが、そんな単純な話じゃない。お前はただ愛子を自分に縛り付けておきたいがためにそんな馬鹿げたことを言っているだけだ。一緒に暮らしている彼女の体調の変化にさえ気づいてやれないお前なんぞ、隣りを並んで歩く資格はない。」

 まさに静流の言う事は的を得ていた。

 妊娠させてしまえば、愛子が自分のものになると。そればかりを考えていたのだ。彼女を他の誰にも渡さずに済むように。

 その先に何があるかを、深く考えもせず。

 そして、静流の言葉に重大な内容が含まれていることに気が付いた。

「体調の変化って・・・?何!?何が有ったの!?アイコがどうかした!?」

「うるせえ。愛子はお前と別れると言った。だが今のお前はどう言っても納得すまい。下手をすれば力尽くでも愛子を連れて逃げようとするだろう。そんなことはさせないぜ。」

「わかれる!?僕とアイコが!?・・・そんな、そんなことはありえない!」

「家に帰ったら荷物をまとめろ。市内の専門学校に進学が決まっていたらしいが取り消した。外国の大学へ入学するように手続きしたから、すぐに入学試験を受けさせる。お前なら簡単だろう。いいか、手を抜いて失敗しようものならただじゃおかねぇ。俺が許すまでは再度あの家の敷居を跨がせんからな。覚悟しておけ。」

「そんな、そんな・・・」

「行き先はパリだ。芸術の都なんだから、お前にピッタリだろう。」

「行かない、僕はどこへも、いかない。冗談じゃない、僕は・・・!」

「じゃあ、代わりに愛子をパリに行かせようか。パリジャンは熟女が大好きだ。さぞや彼女はもてるだろうな。日本の外務省へ働き掛けて、赴任先をパリへ変更してもらえばいい。」

 揶揄うように言っているが、静流だったらそのくらいのことはやりかねない。彼自身が日本へ連絡することも出来るし、彼が侯爵家へ頼み込むことだって可能なのだ。ヒカルが留学することよりも、そっちのほうが簡単なくらいだろう。

 ずっと大叔父はヒカルが愛子を慕っていることを知っていた。だから二人で暮らすようになったことにも何も言わず、黙って見守っていてくれたのは、彼なりにヒカルと愛子の仲を認めてくれているものだとばかり思い込んでいた。

 それなのに、ここまで厳しいことを言ってきた。まるでヒカルの甘さを弾劾するように。

「・・・アイコに、何があったんです・・・」

 静流の剣幕にただ事ではない事を悟ったヒカルが、苦しそうに尋ねる。

「本人に聞け。・・・お前を外国へ出すことも、愛子は了承した。自分で確かめるがいいさ。」

 静流は低い声でそう言って、部屋を出るよう顎で示した。

 その表情の厳しさに、逆らう事が許されないと知る。ヒカルはよろよろと立ち上がって、部屋のドアへ向かう。

 けれどもぶっきらぼうな答えに、ほんの少しだけ安堵した。少なくとも、家に帰れば会えるのだと保証されたのだ。



 車で送ってくれたアンディに礼を言って帰らせると、飛び込むように玄関に駆け込んだ。

 17時を過ぎたばかりのこの時間に、愛子が在宅しているということは仕事を休んでいると言う事だ。彼女の部屋のドアを、恐る恐るノックすると、細い声が返って来た。

「おかえり、ヒカル。」

「アイコ・・・どうしたの一体。どこか痛いの?」

 ダブルのベッドの上に臥せっていた彼女が上体を起こして、帰宅したばかりのヒカルの方を見る。

 白すぎる愛子の顔。それがなんだか怖くて、昨夜も何度も責めたてるように彼女の細い体を求めた。悦ぶ顔で表情を埋めたくて。

 今、なんだか疲れたような顔のアイコが、無理やりに微笑んでヒカルを迎えた。

 昨夜ここで、自分は無理をさせていたのだろうか。

 他の誰かにとられるのが怖くて、夢中で毎晩のように求めた。それがいけなかったのか。愛子を苦しめていたのだろうか。

 ヒカルは、彼女の寝台の隣りに跪いて寝台にしがみつくように抱きしめる。

「・・・ちょっと眩暈がひどくて早退したのよ。でも、もう大丈夫、病院も行ったから。」

「静流が、貴方に何かあったって言うから、僕」

「もう平気よ。」

「・・・静流が、貴方と僕と別れるなんて言うから、僕」

「ええ、言ったわ。別れましょう、ヒカル。もう、これ以上は続けられないと思うの。」

「アイコ?」

「もう、これ以上は無理なのよ。」

「いやだ。いやだよアイコ。僕はいやだ。僕は貴方から離れない・・・!」

「聞き分けのない子は嫌いよ。」

「いや、いや。そんなこと言わないで。僕を捨てないで。捨てないで、アイコ。僕は貴方がいなくちゃ生きていけない。生きていけないんだ。」

「駄目よ。・・・もう決めたの。」

「どうして!?貴方は僕から離れて平気なの!?どうしてそんな酷い事言うの!?」

 両手を伸ばして愛子の両肩を揺さぶった。そして、その細い肩を引き寄せ、抱きしめる。

 されるまま身をヒカルに委ねながら、愛子は苦笑いを口元に浮かべた。

 平気なわけがない。大事な息子と離れるのは身を切られるように辛い事だ。ヒカルは愛子にとって愛しくて大切な子なのだから。

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