第24話 自立と孤独


 愛子の部屋で、ベッドに座ったミスズが靴を脱ぐ。そのままベッドに寝転んでうーんと伸びをした。やっぱり靴を脱いだ方が気持ちがいいのか。そのあたりはやっぱり日本人っぽいな、とクォーターの娘を見てそう思う。

 シーツに広がる金茶の髪と、ゴロゴロと寝転んでこちらを見上げる青い眼がいかにも肉食獣のそれのよう。双子の兄に似ていると言っても、彼が黒髪黒瞳になってからは随分と違ってしまった。父親に瓜二つのヒカルと比べれば、ミスズはやや母親よりで、顔立ちは平面的だ。しかし、色彩の派手さが顔立ちの地味さを裏切っている。

 そんな娘を見ながら自分もベッドの端に腰を下ろした。

「ママはアタシらが侯爵家に入ることを嫌がってたみたいだから、叔父さんとこに行くっていったらきっと反対するかなって思ったの。それで叔父さんに頼んで一計を案じたわけ。ヒカルも積年の思いを叶えたいって言ってたし、ちょうどいいじゃないってことで。」

 積年の思いとは。それは恨みじゃないのだろうか。

「ミスズはそんなにアーサー様が好きなの?叔父で奥様もいる既婚者なのよ?」

 警告するようにすこし厳しい声で尋ねる。

 すると、娘はまたゴロゴロとベッドの上を転がった。養母の傍に来て顔を上げる。

「凄く好きだから傍に居たいとは思うわね。でも、結婚したいとか思ってるわけじゃないわ。・・・ただ、なんて言うのかな。この人のために尽くしたいっていう相手になり得る人。そういう風に好きなのよ。」

 彼女の言葉に嘘や打算は見当たらなかった。澄んだ青い瞳はそれを許さないとでも言うように、いつも正義感に燃えている気がする。

 尽くしたい相手というのは、恋する相手ではないのだろうか。恋する相手ならば、当然独占したいだろうに。

 この辺の感覚は愛子にはよくわからない。彼女にとって恋をする相手と尽くしたい相手は違うのだろうか。

「ボーイフレンドはなんとも思わないの?」

「アイクのこと言ってるの?」

 明るい茶色の髪の少年を思い浮かべる。無口でほとんど声を聞いたことがないが、いつ見ても彼はミスズに従順な僕のように振る舞っていた。

「他にも何人かいるでしょう。」

 学校内では何人も連れて歩いているとの噂を聞いている。

 あはっと弾けるように笑ったミスズ。

「アイク以外は本当にただの友達よ。・・・アイクはねぇ、何考えてるんだかさっぱりわかんない。でも、誰より信頼出来るわ。それだけよ。」

 誰よりも信頼できる異性の友人は、恋人とは違うのだろうか。信頼と愛情の違いがどこにあるのだろうか。

 ミスズの口調はどう聞いても、アイザックを恋愛の対象と見ているようには思えない。けれども、ただの友達とは区別している。

「そう。」

 他になんて言っていいのかわからなかった。

 娘の価値観は、正直に言って愛子には理解できないことが多い。理解できないからと言って間違っているとも思えない。

 そういう意味ではヒカルの方がまだわかりやすかった。彼の線引きははっきりしている。好きか嫌いかそれ以外、という分類をする彼の方が簡単だ。

「ねぇママ。アタシもママを一人にはしたくないの。ヒカルの事愛してるでしょう?パパの代わりだって全然かまわないのよ?ヒカルはママに愛して貰えて独占できればそれで満足なんだもの。ヒカルを受け入れてやって?まだ若くて頼りないけど、きっとママを幸せにするって。」

 顔が熱くなるのを感じた。

 娘に改めてそう言われて恥ずかしくなってしまう。

「ミスズは何とも思わないわけ?・・・その、兄と母親がそんなことになるって言うのに。」

「やだな、言ったじゃない。生々しいって思うよって。抵抗がないわけじゃないけど、ママって放って置いたらもう一生一人で余生を送りそうなんだもん。今時そんなの流行らないわよ。やっと子育てが終わったんだから、ママは自分の人生を楽しまなくちゃいけないわ。」

 両手で顔を押さえてしまう。それは恥ずかしいせいだけではない。

 やっぱり、親離れの時期は来ていたのだ。

 親の余生を心配するなど、子供の考えることではない。ミスズはもう大人になっているのだ。遠からず彼女はここから巣立ってしまうのだろう。

 もう愛子がしてやれることは、笑って見送ることだけだ。






 鍵が開く音がした。ヒカルが帰宅したのだろう。

 愛子のベッドで寝入ってしまったミスズにタオル地の上掛けをかけて、静かに部屋を出た。

「おかえり、ヒカル」

「ただいま・・・アイコ」

 玄関で出迎えた彼女を不審そうに見つめた彼は、それ以上何も言わずそのまま自分の部屋へ行こうとする。二階へ続く階段へ足を掛けた時、

「ミスズはもうすぐここを出て行くのね?」

 ヒカルの後姿にそう呟くと、彼の足が止まった。ゆっくりと振り返る。

 その黒い眼が、大きく見開いた。

 慌てたように傍に寄ってきて両手で愛子の顔を触る。

「どうして泣くの、アイコ。」

 大きな手が頬を包むように触れ、親指で彼女の目尻を拭う。そう言われて、自分でも初めて気が付いた。

 侯爵様に説明された時に、半ば予想していた。いや、二人が18の誕生日を迎えた時から、薄々勘づいてはいたのだ。

 10年育てた可愛い子供に、置いて行かれる。

 直接、ミスズ本人と話をして、よくわかった。

 双子が愛子の元を去ってしまえば、自分はたった一人になるのだ。わかっていた、覚悟していたはずなのに。

 やっぱり、それはとても辛い事だった。たまらない孤独だと感じた。誰にも必要とされない孤独がこれから自分の元にやって来る。

 自分がどんな顔をしてヒカルを見上げていたのかはわからない。

 けれど、彼はきつく愛子の肩と腰を引き寄せ、抱きしめた。


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