2.何かが、始まろうとしている

 神社で彼女――僕は完全に聞き逃していたんだけど、上条朝日かみじょうあさひさんというらしい――と別れたあと、僕とトーマとおじいさんは境内のベンチに腰かけていた。

 僕が眩暈を起こしてしまって――多分、彼女に呑み込まれて力の制御がうまくいかなかったせいなんだけど――少し休もう、ということになったからだ。


「ユズ……石段、そんなにしんどかったのか?」

「そうではないけど……すみません」


 僕がおじいさんに謝ると、おじいさんは「はははっ」と少し上機嫌に笑った。

 トーマのおじいさんはもう七十は過ぎてるって聞いたけどかなり元気だ。

 トーマに剣道を教えたのもおじいさん。昔は警察官だっただけあって、足腰も強い。


「それにしてもじいちゃん、この神社好きだよな」


 トーマは立ち上がると、辺りをキョロキョロと見回した。


「何か、思い出でもあるのか?」

「そういう訳ではないが……いい風が吹いているだろう?」

「まあ……」


 トーマはどうやら、ピンとはきていないようだった。

 おじいさんと彼女とこの神社――きっと、何かあったに違いない。

 僕はどうにか記憶を視たかったけれど、今日は……いや、当分無理そうだ。またの機会を待つしかない。


 それからしばらくして、僕たちは神社を後にした。

 僕は改めておじいさんに、母の葬式のときのことと、これからしばらくお世話になることのお礼を言った。

 おじいさんも僕のことを心配してくれていたらしく、遠慮せずに何かあれば相談してくれ、と気さくに言ってくれた。


 家に帰って夜になると、おじいさんが頼んでおいたお寿司の出前が来た。トーマは子供のように大喜びしていた。


 シィナの時の干渉の期間が終わったせいか、トーマの精神状態は落ち着いているように見えた。

 やっぱり、同じ時間を二回過ごしたことで、少しズレが生じていたのかもしれない。


 トーマが自分の部屋の床に僕の布団を用意してくれた。

 今日はかなり疲れたので、

「悪いけど先に寝るね」

と言って僕は布団にもぐりこんだ。

 頭を休めるために目を閉じたが、なかなか寝付けなかった。


 今日は……不思議な人に会った。フェルティガを無効化するなんて。

 まさか、ウルスラに関係がある人なんだろうか?

 やっぱり、まだ終わりじゃないんだろうか?


 ――でも、トーマの周りで何が起ころうが……僕が、どうにかしなければ。


 そんな思いが湧き上がって来た。

 だって僕は――あのとき、シィナと約束したから。


   * * *


「……ユズ……」


 時の欠片の継承を早くしろとウルスラの女王に詰め寄られたとき――ずっと俯いていたシィナが、すっと顔を上げて僕を見つめた。


「シィナ……?」


 僕も見つめ返した。心を読んでくれ……そう言った気がして、僕はシィナの紫色の瞳の奥の……心の奥底を覗いた。


 ――時の欠片を、継承する。お願い、ユズ。


 シィナ? でも……。


 ――その力で……私が、二人をミュービュリに帰します。


 彼女の想いが、言葉ではなく映像を紡ぎ出した。

 時が戻る……僕たち三人の姿が逆回しで再生されている。

 そして……トーマが小さいシィナを受け止めた瞬間が映る。


 ――ここに……還るの。


 女王の手前、僕は冷静を装ったけれど……正直、かなり驚いた。

 シィナが自分も含め、ある程度の場ならば時間を戻せることは知っていた。


 でも……僕とトーマを、ミュービュリに、時と一緒に戻す。

 そんなことまでできるのか? いくら、時の欠片を触媒に使うとしても。


 シィナがゆっくりと瞬きをした。金色の長い睫毛から微かな音が漏れた……気がした。


 ――できるわ。……してみせる。


 強い意志が伝わってくる。


 ――トーマの記憶は、無くなる。でも、ユズは……憶えていて。


 トーマの記憶も……消すのか……。


 ――トーマは普通の、ミュービュリの人間だから……ウルスラのことも……私のことも、忘れてしまった方がいいの。でも、その後のことは……私にはどうすることもできない。


 シィナ……。


 ――お願い……ユズ。トーマを守って。トーマがミュービュリで、幸せに暮らしていけるように。


 シィナの決意を受けて……僕も覚悟を決めた。

 僕は黙ってシィナの手をとると、目を閉じた。

 母さんから受け取った時の欠片――すべて、シィナに継承する。何かキラキラしたものが僕の腕から手へ移り、シィナの白く細い手に流れていった。


「……ありがとう。ユズ。……トーマ」


 シィナは微笑むと……固く目を閉じた。その瞬間、紫色のオーラに包まれて……しばらく漂っていたのを憶えている。

 そして――あの瞬間に戻った。



 シィナがどれほどの覚悟を持ってあの場に臨んだか、僕が一番よく分かっている。

 自分の気持ちを押し殺し……トーマの幸せを、ただひたすら祈っていた。

 正直、どうすればトーマにとって一番よかったのか、僕にはまだわからない。

 でも、今は……トーマが歪まないように、壊れないように見守ることが、僕の使命なんだと思う。


   * * *


 トーマの家には、三日間だけお邪魔した。

 その間もあまり体調はよくならず、おじいさんとトーマにかなり迷惑をかけてしまった。


 夏が終わり――大学の授業が始まった。

 僕は相変わらず独りで、たまにトーマが遊びに来たり、トーマと出かけたりする。

 トーマはすっかりシィナに会う前に戻った……ように見えたけど、全然そうではなかった。


 長いまっすぐな髪の女の人を見るたびに、トーマは振り返る。

「知り合い?」

と聞くと、トーマは「いや、何となく……」としか答えなかった。

 トーマの記憶の中にシィナの姿はないはずなのに、無意識に探しているんだ。


 そのうち、同級生の女子に押し切られたらしく、長い黒髪の女の子と付き合い始めた。だけど、結局1か月ぐらいで別れてしまった。

 そして彼女と別れてから――秋が過ぎて冬になっても、トーマが長い髪の女性を見るたびに振り返る回数は減らなかった。


「元カノが気になってるの?」

と聞くと

「そうじゃなくて……何か……何だろう?」

と自分でも首を捻っていた。


 トーマの記憶を覗くと、ぽっかり穴が開いたまま埋まっていない空白があった。

 きっと、シィナの記憶が抜かれたまま――上書きされるのをずっと拒否し続けているんだ。


 トーマがシィナの力にこれほど対抗できるということが、驚きだった。

 ひょっとして、トーマは……普通のミュービュリの人間じゃないんじゃないか……?


 そう思ったとき――僕は再び、あの夏の出来事を思い出した。

 あの女の人――上条朝日という人は、どう考えても普通のミュービュリの人間ではなかった。

 むしろ……僕や母さんに近い。特殊なフェルティガエじゃないのか。

 そして、トーマのおじいさんは彼女と何を話していたんだろう? 何だか、訳ありだった気がする。

 トーマのおじいさんは……何か知ってるんじゃないだろうか?


   * * *


 年が明けて……1月1日の朝、僕はトーマの実家に向かった。

 トーマには年末に一緒に帰ろうと誘われたけど、おじいさんだってトーマと二人で話したいこともあるだろうし、年越しは二人で過ごした方がいいだろう、と遠慮した。

 ただ、年始の挨拶ぐらいはしないと、と思って、今こうして向かっている。


 バスを降りると、市内とは比べものにならないくらい雪が積もっていた。

 大晦日はかなり吹雪いていたようだが、今日はうって変わって晴れている。田んぼに降り積もった雪が日光を照り返していて、とても眩しい。


 トーマの家に着くと、あいにくトーマは出かけていて留守だった。

 飲み物がなくなったから、少し遠くのコンビニまで買い出しに行ったらしい。今出たばかりだから1時間ぐらいは戻らないということだった。

 中に入って待ってなさいとおじいさんに言われたので、僕は素直にお邪魔した。


「昔と違って元日からお店が開いてるから、便利になったものだね」

とおじいさんが笑った。


「そうですね。でも……ちょっと遠いですけどね」

「この辺はまだまだ田舎だからなあ」


 おじいさんは家に来た年賀状を見ながら呟く。見ると、S県からのハガキが圧倒的に多い。


「おじいさん……S県の警察で働いていたんですか?」

「ん? そうだよ。退職して、ここに移って来たんだ」

「神社が気に入って、でしたよね。トーマが言ってました」

「……そうだね」


 おじいさんの手が一瞬止まった。見ると……上条朝日さんからのものだった。


「この人……夏に、神社で会った人ですよね」

「ああ。あれから特に連絡はなかったけど、年賀状はくれたんだね。律義な人だ」


 おじいさんはそう言うと、少し真剣な顔をした。


(――ジャスラのことを聞かなければならないが……しかし、わたしもどう話をすればよいのか……)


 僕が油断していたのもあるけど、おじいさんの心の声が急に飛び込んできた。

 一応シャットアウトしていたのに。それぐらい、強い思いだったんだろうか。

 え、でも……ジャスラ?


 僕がぎょっとしておじいさんの顔を見ると、おじいさんも僕の方をぎょっとしたように見ていた。


「ユズルくん……今……ジャスラ……と……」


 僕は慌てて口を押さえた。どうやら、思わず口に出していたらしい。


「え、あの、すみません……! えっと、あの……」


 どう説明すればいいだろう。心を読んだなんて言っても信じてもらえるかどうか……。

 それに、あまりにも失礼だし……。


「……ユズルくん!」


 おじいさんが僕の腕を掴んだ。すごく強い力だ。


「君はひょっとして、ジャスラを知っているのか? ジャスラに縁の人間なのか?」

「いえ、僕は……」

「君も、何か不思議な力を持っているのか? 颯太のこと、何か知らないか?」

「颯太……?」


 必死に、僕に縋りつくような目をするおじいさん。

 だけど残念ながら、おじいさんが言っていることは僕には何一つ分からなかった。


「わたしの息子……十馬の父親だ。ジャスラで、闇に囚われている水那さんを助けるために旅をしているはずだ」

「闇……」


 闇は――ウルスラの事件の元凶だった。ギャレットにとり憑いて、ウルスラ王宮を混乱させて……。

 ――まさか……おじいさんの言っているジャスラと僕が知っているウルスラは、同じ世界にあるのか? 繋がっている?


「――あの、おじいさん」


 僕が声をかけると、おじいさんはハッと我に返って

「取り乱してしまって……すまない」

と言って、僕の腕から手を離した。


「いえ……それは、全然」


 僕は深呼吸をすると、おじいさんをじっと見つめた。


「あの、ジャスラについては、僕は知りません。僕は人の心を読む力があって――おじいさんの心の声が聞こえてしまっただけなんです」

「……!」


 おじいさんは目を見開くと、黙り込んだまま、ガックリと肩を落とした。


「僕が知っているのは、ウルスラという国です」

「――ウルスラ?」

「はい。そしてこれは、トーマにも関係があるんです……」


 僕は覚悟を決めた。

 おじいさんに自分や母のこと、去年の夏に起こったことをすべて話してみよう。


 夏にシィナとトーマが出会ったこと。僕たちが朝日さんと出会ったこと。そして、おじいさんがずっと胸に秘めていること。

 きっと、これらはすべて――一つに繋がっている。

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