エルフから道を聞いて海を渡り、苦労して岸にたどり着いた。波の強い海岸で、砂浜ではなく拳ほどのまん丸な貝殻が一面を覆い尽くし、波に洗われてゴロゴロと騒がしく音を鳴らす。私達はびしょ濡れになりながら上陸し、石のようにツルツルする足場の悪い海沿いを進んだ。


 海岸に沿ってそのまま進むと、前方の枯れ木に布が引っ掛ているのが見えた。海沿いに木が生えるものだろうか?クローサーより視力のいい目をこらすと、それが人だと認識することができた。


「クローサー、人がいる」


「もう少しで大きな街があるからな、私たちと同じ目的の者だろうが。一応警戒しろ」


 その枯れ枝のような人は老人だった。私の奴隷服のようなボロの布を纏い、白いマントが潮風ではためいている。肌は薄汚れていて、長い杖くらいしか持ち物がないようだった。


「師匠……?」


 クローサーが駆けて行った。運動音痴なのに、足元をもつれさせながら必死に。老人のところに辿り着くと恭しく手を取り、抱擁しあっていた。


「お久しぶりです、こんなところでお会いできるなんて」


「久しぶりだのクローサー。ほう、兎が飛んできた」


「おっと! 危ないぞピグミ」


 走ると足を取られるので跳躍してクローサーの背中に抱きついて着地した。肩越しにゆっくりと顔を出す。ガリガリの老人だ。浅黒い肌にツルツルの頭、縮れた真っ白な髭の仙人のようなヒューマンだった。


「誰このツルツル」


「口に気をつけてくれ、私の師匠だ」


 海のような深い色の瞳が、私を見つめる。不思議な雰囲気をもつ爺さんという印象だ。どうでもいい風景の老木のように見えるのに、そびえ立つ山のような存在感もある。風に飛ばされそうなのに、その風自体であるような。


「先の地で保護した子です、孤児院まで連れて行く途中です。ピグミ私の師に挨拶してくれ」


「嫁だ、よろしく頼む」


 風に揺れる柔らかな髭に手を伸ばし触った。ワナワナ震えるクローサーに手の甲を叩いて離された。背中に貼り付く私を渾身の力で睨みつけてくる。


「ホッホ、クローサーもパートナーを見つけてくれたようだの。よろしく奥方さん」


「違います師匠、この子は……」


 柔らかな笑い方には後光がさしている。この人はきっともう自分の哲学を見つけた人だ。クローサーが師と仰ぐのも頷ける。


 私達は共に行動することになった。クローサーは闊達でいつになく表情は豊かだった。師匠を尊敬しているのがよくわかった。私も気に入られようと海岸の獲物を取り、野営に備えた。


 夜になると、海岸の荒波は静かになりコロコロ転がる貝殻の音が心地よくなった。


「ここはホノホシ海岸といい、周りの貝殻は荒波で丸く削られ打ち上げられたもの」


 師匠がいくつか貝殻を拾い上げ手で包むと、その一つが柔らかなエメラルドグリーンに薄く光った。私もクローサーも驚いてその光に魅入って、自分で周りから光る貝殻を探した。


「ここの貝殻を持って帰ってはいかんぞ、光るものには死んだものの霊が宿っている。それが夜な夜な動き出す」


「不思議ですね、師匠」


「命あるものが触れると光を放つ。見てなさい、歌を歌うとより強く反応するぞい。


『マーヤの川をどうやって漕いでいくんだい? 船頭よ、その河岸は滑りやすく六人の女が魅惑する。その美しい姿に惑わされないように。


 愉楽に酔う船頭よ。船頭よ、その川は轟々唸り、土手を壊し水が溢れ、お前の大事なものを流し去ってしまう。どれだけの聖者達が沈んでしまったことだろう。そのマーヤの河に。


 船頭よ、その河の曲がったところに人喰い鰐が棲む。聖なる愛をターメリックを体に塗り込めば、無理なく渡れるのさ』


 相変わらず彼らの歌は謎が多い。師匠はクローサーのように楽器もなく、ただ手拍子で声を張った。掠れてしわがれた、祝詞のようなたんたんとしたものだ。


 海風が、焚き火の爆ぜる音が、貝殻の転げる命が、彼の歌に合わさるようだ。師匠の周りの夜光貝が特に強く発光し、周りに共鳴し合った。


 焚き火から離れて、クローサーは興味深そうに貝殻を見て回っている。一つ拾っては戻し、一つ空にかざしてはしばらくその場から動かなくなる。


「奥方さん、あの子の傷はご存知ですか?」


「背中の傷は自分で付けたって言ってた」


「……私があの子に初めて会った時は酷かった。森の中で偶然見つけた彼は、衣は上等なのにボロボロだった。何日もそこにいて、動かない。死んでるのかと思ったが、もたれ掛かった木には彼の血が毎夜新しくべっとりついていましたよ。私は毎朝訪れて歌を歌い続けました。ある日、涙を流したんですよ……何も言わずにの」


 師匠はしばらく黙り、じっと焚き火の火を見つめていた。光彩が揺らいで、潤んでいるように見える。


「私は彼に吟遊詩人の生き方を教えました。吟遊詩人は過酷な現実に耐えるか、堪え難い現実から自由になるかと選択を迫られた時の受け口です。我々はカーストもなく、金に勤めず、人の優しさ施しでしか生きれない。ここにはまだ施しをする人がいるという世界を知ってもらいたかった。自分の体の中に神が宿るので、その体をもう傷つけてはいけないと教え込みました」


「真新しい傷は今はないよ」


「そうか……私は彼の傷を知らない。彼は語らなかったが、体を傷つけてないのなら私は救われました。あなたが一緒に居れば、そんな姿は余計見せないでしょう」


 食べながら立ち上がり、手の砂を払って口の中の食べものを飲み干すと私はダッシュで駆けた。


 踏み込むと地面の夜光貝がポツポツと照らし、自分の足跡がわかる。


 光に気づいたクローサーが腰を上げ、驚いて立ち上がったのでその顔面に向かって飛びついた。正面から肩車で乗っかり、羽交い締めにしてまた彼の唇を奪った。気が済むと地面に降り、師匠のところに戻りながら唇を拭った。


「大丈夫、ピグミがキスをしてあげてるからクローサーは死なないよ」


 ヒョッと声を出して師匠は顔をくしゃくしゃにして笑った。その笑いジワが刻まれた笑顔は安心できた。彼がよく笑う人なんだと、傷だらけの彼のそばに現れたのがこの人で良かったと思わされた。


「吟遊詩人とは愛の道を歩む者、求めるのは愛と喜び。そして全宇宙がこの身体にあると唄う。愛は全てにつながり、言葉では表すことができず、知識で分析もできない。愛は神そのもの、有限なる私たちは無限のそれを知らずに過ごしておる。この世は自然の恵み、その愛を垣間見ることは特別な自然の慈しみにより贈られる気付きともいえば良い。吟遊詩人は愛を味わおうと試みる者です。救いも悟りも求めません」




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