神話の始まり

「とにかく。椎橋さんの捜索には、僕たちであたるから。時任さんはここでゆっくり休んでて」

「……あ、あの。口答えとか、するつもりはないのですけど……認知や認識って、休んでてどうにかなるものなんですか?」

「それは何とも言えません。ですが、外道院やタカマガハラの成神どもと接触し、また認識を乱された場合……次こそ、君は本当に『時任神奈子』を失う事になるかもしれません」

「ようは、『死にたくなけりゃジッとしてろ』ってコトだね! まぁ、そんなに死にたいのなら、死にたいもの仲間の私個人としては応援したいところだが」

「クレイドル。それ以上言うと、契約違反とみなして給与にペナルティを与えるよ」

「……酒が買えなくなるのは困る。口を噤もう」


 ……もどかしい。

 私のせいで椎橋くんが危ない目に遭っているというのに……何もしないで、ジッとしていろ、だなんて。


「ああ、いちおう認識の安定は完了したから、この部屋は出ていいよ。自分の部屋でゆっくりするといい」


 そう言ってクレイドルさんは、私の体から検査器具をぽいぽいと雑に外していった。


「認識安定化のために投与した薬の副作用で、しばらく頭は痛むだろうが。まぁ、すぐ治まるさ」

「……ありがとうございます」

「無茶しちゃイヤだよ、かなかな! 私たちに任せてちゃんと寝ててよ!」


 正直、体は元気で、動きたがってしょうがないのに、こうも重病人のような扱いをされては、大人しく言うことを聞くしかなくなってしまう。

 クレイドルさんも「やることはやった」とか言って帰ってしまい、天秤座のみんなも椎橋くんの捜索に出ていって、医務室には私ひとりが残された。


「…………」


 とりあえず、医務室を出て、自分の部屋に戻る。

 部屋のドアノブに、「お腹すいたら食べてね!」というマヤンちゃんの書き置きと、お弁当のタッパーが入った袋が吊るされていた。

 昼から動きっぱなしで、たしかにお腹は空いているはずなのに……美味しそうなのに……何となく、口をつける気になれなくて、私はそれを袋ごと、部屋の冷蔵庫にしまった。

 シャワーを浴びて、歯を磨いて、電気を消して、言われた通り眠ろうとしたけど……目を瞑っていると、鋭い頭痛と、悪い想像が頭を揺さぶって。ものの5分で、私は寝るのを諦めた。


 ……ていうか、いま、何時?

 時計を見る。

 もう、23時半を回っていた。もう少しで日付が変わる。


「………………」


 部屋から出て、エレベーターに乗った。

 さすがに、あれだけ言われて無茶をする気は起こらない。最上階、屋上のボタンを押す。

 屋上には降りたことがないが、マヤンちゃんによると、リリさんと一緒に趣味の菜園をしているらしい。植物と夜空を眺めて心を落ち着かせたいと思ったのだ。


 重い唸り声をあげて上っていくエレベーター。

 目的階のランプが点灯し、扉が開く。

 新月。無の月を浮かべた夜の空に、まばらな星が瞬いていた。


「よう」

「…………えっ?」


 椎橋くんがいた。

 珍しくジャケットの前を留めてるし、どことなくシャキっとしているし、彼らしくもない大人びた表情を浮かべているけれど……間違いなく、椎橋くんだ。


「えっ……えっ? なんで、いつ、どこから?」


 困惑し、目をぱちくりさせる私に、椎橋くんはくしゃっと苦笑いする。


リアクションすんなよ」

「で、でも……宝具でどこかに消えたって……今、ビンゴさんたちがあなたを探しに行ってるのよ。どこに行っていたの?」

「あぁ。外道院の宝具で、ヤツの研究所に飛ばされてな。データは取れたとかで、すぐに帰してくれたよ……悪いな、無駄に騒がしたみたいで」

「…………」


 開いた口が塞がらない。

 いつの間に帰ってきたのかとか、なんとなく雰囲気が変わった気がするとか、外道院博士が何のためにそんなことをとか、色々気になることはあるけれど。

 そんなこと、全部どうでもよくなるほどに、ほっとしている。

 私は、安堵感と、一度大切な友人を失いかけた恐怖感でいっぱいいっぱいになって……椎橋くんの胸に、飛び込んだ。


「うわっと」

「よっ……よかったぁぁぁぁ……!」


 椎橋くんの胸元に、固い感触を覚える。こんなに筋肉あったっけ?

 びっくりしたのか、椎橋くんが慌てて私を胸から引き剥がし、少し顔を紅くして困ったように笑った。


「……あんた、そんな距離近いキャラだったか?」

「し、しょうがないでしょ……心配……したんだから。すごく……すっごく……」

「俺だって心配だったよ。もう大丈夫なのか、その……ジョーの言ってた、認知とか認識とやらは」

「しばらく無茶せず大人しくしてれば平気だって」

「そうか。……よかった」


 椎橋くんが、優しく私の髪を撫でる。その仕草に、心の奥の方にある重い鐘が、少しだけ高い音を鳴らして響いた。

 ……私から言わせてもらえば、椎橋くんこそ、こんなキザなことするキャラじゃなかったと思うんだけど。


「……ありがとな。昼間」

「え? なんのこと?」

「ほら、電話でさ。俺のおかげで宝具を止められるとか言ってくれただろ。あれのおかげで、俺も俺なりに、何かをしようって気になれた」

「え……あぁ」


 確かに、リリさんに色々言われて少し凹んでいたようだったから、元気づけようと思ったのは確かだけれど。そんなに効果があったなんて思いもしなかった。


「私の方こそ……ありがとう。ありがとうなんて言葉じゃ言い切れないわね。まさしく、命の恩人なんだから」

「……ああ。本当に、生きていてよかった。……本当に、よかった」


 椎橋くんは、噛み締めるようにそう言った。


 しばらく、屋上の柵にもたれて、二人並んで、黙って空を見上げた。

 ほとんど星のない夜空の闇に、椎橋くんの煙草の煙が、ふわりと馴染んで溶けてゆく。


「私、生き返った理由が分かったの」

「…………」


 こんな雰囲気、こんな場所、こんな時に言うことではない気がしたけど。

 椎橋くんが無事だとわかった今、唯一私の頭に引っかかっている不安を、吐き出したくてたまらなくなってしまった。

 椎橋くんは、数瞬黙って。


「……興梠ジョーの漫画の認知、か?」

「そう。すごいわね、椎橋くん。自力でその結論に辿り着くなんて」

「ジョーの話と、外道院から聞いた認知の話を合わせて考えた。……やっぱり、そうなんだな」

「ええ。だから、私は実在の人物・時任神奈子であるよりも先に、漫画の主人公・ブラックセーラーなのだそうよ。……今は、『認識』によって、どうにか時任神奈子としての意識を維持しているに過ぎないって」


 自我を失う。

 自らを、我を、失う。


「……おかしいな。私……死ぬために行動してるはずなのに。こんなに……怖い、なんて」

「……委員長」

「死んだはずの人間が生きてるなんておかしい、だから、死ぬべき。でも、死ぬ前に、なんで生き返ったのか知りたかった。……けど、私は……成神で。死ぬことすら自由にできなくて。

 挙句の果てに、ホンモノの神様になるために、『なんでも出来る』力を利用しようとする人まで近付いてきて。

 ……死ぬよりも、怖い。私が私じゃなくなるってことが」


 椎橋くんの行方不明という最大の心配事が消えた今、それに隠れていた、もうひとつの不安が、私の中でむくむくと膨れ上がる。

 おそらく、ジョーはまだ諦めていない。まだ下っ端の人としか接触はしていないけれど、タカマガハラの目論見も……そして、外道院も。

 考えれば考えるほど、これからが、不安になっていく。


「大丈夫だ」


 普段、自信に欠け、頼りない、皮肉屋な彼が。

 彼の言葉が……その一言が、霧を晴らす。


「委員長と違って、俺には、あまり何も出来ない。だが、あんたの名前を呼んでやることくらいなら、いつでも呼んでやる」

「………………」

「約束する。俺がそばにいる限り、もう二度と、あんたをあんな姿にさせたりしない。

 どんなに妨害されても、死ぬまであんたの名前を叫び続けてやる」


 ………………。


「……なによ、それ」

「あ……いや。格好つけすぎたかな、は、はは」

「もういい、落ち着いたし部屋に戻るわ。ビンゴさんたちが帰ってきたらちゃんとお礼言うのよ」

「おう。おやすみ」


 ……なによ、なによ。

 くるりと背を向け、いやでも自覚してしまうほどに早歩きする。エレベーターのボタンを連打する。

 扉が開いた瞬間、急いで中に入って、私の部屋のある階のボタンを押して、また閉まるボタンを連打連打連打。早く閉まれ、閉まれ、閉まれ。


「おやすみっ!!」


 扉が閉まりきる直前に、投げやりにそう返した。


 ……なによ。なんなのよ、そのセリフ。


「椎橋くんのクセに、かっこいい……じゃん」


 うん。まぁ、これは素直な感想。

 椎橋くんには感謝してるし。不安な時に、優しい言葉、頼りがいのある言葉を投げかけられて、嬉しくなるのは普通。

 照れるのも、普通だ。


「そんなんじゃない、そんなんじゃないし!」


 結局、自室のベッドで寝付くまで、妙な頬の火照りは止まなかった。



「………………」


 委員長を載せたエレベーターが降りていくのを見守りながら、俺は、帰りに買ってきた新しいヤニの封を開けた。

 いつも吸っている銘柄とは違う、少し珍しい、海外産の新作。俺は決まった銘柄だけを吸い続けるというタイプではなく、手持ちが無くなるたび、吸ったことのないものを買うようにしている。緑色のボックスの8ミリメンソールだけは、気に入っていて何度もリピートしているのだが。

 久々に吸ったことのない新しい銘柄に出会えたため、楽しみに1本目を吸い始めたのだが……。


「……重い。まずい」


 ウリにしているバニラっぽさがかえってしつこく、20を超えるタール数も相まって、かなり吸いにくい。

 5ミリか8ミリくらいなら、もう少し気分よく吸える味だと思う。非常に惜しい。


「………………」


 胸に手を当てる。

 『認知の匣』の、弱く淡く燃え続ける炎の温度を感じながら、俺は、TUで外道院たちから聞いた話を思い返していた。



「我々は、あるひとつの神を信仰している……という話は、もうしたね?」


 芳賀さんの問いに、黙って頷く。

 宗教……すなわち、神や仏に対する信仰が失われ、認知の力が分散してしまったからこそ、成神などという不完全な神が日本中で生まれ、土地や人々の消滅が起きてしまっている。

 だから、再び新たな神への信仰を高めることで、この世界の信仰、および認知の歪みを正す……。

 大雑把に言えばそんな話だったと思う。


「我々の信仰する神の名は、『N.O.C.ノック』。Normal普通のOrdinal普通のCommon普通の……普通の人間を、この狂った世界から救う救世主。その願いが込められた名前です」

「我々は、我々の創り出したオリジナルの神であるノックを信仰するための、新たな神話や、祭壇、教義を作った」

「……祭壇……」

「そう。お察しの通り、君が今見上げている祭壇がそれだよ」


 歯車と花……人工物と自然が奇妙に絡み合った、どことなく神秘的で、少し不気味なものを感じさせるオブジェ。

 だが……ここが、祈りを捧げる祭壇で、信者の集まるホールならば、ひとつ足りないものがある。


「……その、ノックって神様は……どこにいるんです?」

「いい質問だ、君は本当に優秀だよ」


 芳賀さんは、感心したようにうんうんと頷いた。ほぼケンカ別れしたような会社の元上司に、そんなことされても困るだけだ。早く話を進めてくれ。


「これが普通の宗教ならば、仏像やキリスト像のような、神の姿かたちを示す『像』を創るべきなのだろう。

 だが、我々はノックの外見を定義していない。ただ、『普通の人間の味方に相応しい、成神を殺す力を持っただけの普通の人間』だとしているだけだ」

「…………はあ」


「信仰を集めていけば、例のブラックセーラーのように、創作フィクションの存在が現実の存在となって現れる。そうして本物の神が現れれば、世界は救われる……。

 そう考えていたのだが。まぁ、成り行きというか、人命救助なのだから仕方ないだろう。かなり未完成ではあるが、本日、ノックは現実に顕現した」


「は? ノックが? 神様が現実に?」


 そんなことが起こったら大変じゃないのか。

 だって、ノックってのは、TUの信者たちが『成神中心の社会を変えるために』創った神様なんだから……顕現したその瞬間、成神たちとの戦いが始まってもおかしくないはずだ。


「あれれれれれれれれ。まだ気付かない?」

「…………?」

「はぁーーーー。ミッちゃんとキャッシュちゃんがこーんなに分かりやすく説明してくれたのに。君って、途中までは勘がいいのに、詰めは甘いタイプのフレンズなんだねーー」

「な、なんだよ。はっきり言えよ」



 ご注文通り、外道院はハッキリと言った。


「…………は」


 分からなすぎて、疑問符すらつかない。

 間抜けに開けた口から、は、と息を漏らす。


「う……」


 だが……ズキズキと痛む頭が。さっき見た夢の中の光景が……少しずつ、シナプスを駆けて、頭の中の点と点を線で繋いでいく。


「……ち、ちょっと待て。冗談なら酷いけど、まだ、今ネタばらししてくれるなら致命傷で済むぞ。なぁ……」

「………………」

「冗談でも何でもないよ」


 キャベンディッシュの、緊張したような沈黙。

 芳賀さんの、優しくもキッパリとした返答。

 外道院の、憎たらしい、楽しげな笑い。


 ……そして。頭に浮かんだ直感と、胸に刺さった、冷たく燃える炎を纏う『匣』。


 その全てが……もはやこれは、冗談では済まされないと、伝えている。


「認知の匣ってのはねー、認知の受け皿なのよ。

 だから消滅危惧地区から認知の匣を持ち出しちゃうと、僅かに残った認知さえも消え、新たに人々がその場所を認知してもそれを受け取る術がないから、完全に消滅しちゃうってワケ」


「涼。君の胸に刺さった認知の匣には……我々TUの信者からの、ノックへの認知が、信仰がつまっている」

「…………」

「完全に肉体ごと焼失してしまった君が、果たしてど〜やって現世に蘇ったのか!? さーお答えください!」


 ……そんな狂った話があるか。信じられるか。

 けれど、迷いなく口は動く。


「……委員長と一緒ってわけか。

 『俺=ノック』という認知を広めたことによって、俺を……ノックの認知を利用して、蘇らせた」


「ピンポンピンポンだいせいか〜い。

 そ。君はノックの依り代として生まれ変わったってわけだね」

「つまり……君は今、この日本で、世界で、最も『本物の神様に近い人間』ということだ」



「………………」


 委員長が、時任神奈子であると同時にブラックセーラーでもあるように。

 俺も、椎橋涼であると同時に、成神に対抗して創られた新しい神様・ノックとなってしまったのだ。

 まだ、成神のような派手な神業とか、飛行能力とか、結界を張る能力はないけれど……今、俺の体は間違いなく、『不死身』になっている。


 不思議と、その事を怖いとかは思わなかった。

 元々ダマシとバクチにしか楽しみを見い出せないような、生きてる価値のないダメ人間だったんだ。こんな命、投げ捨ててでも……委員長の助けになるって誓ったんだ。

 神の力を宿したせいだろうか。

 今の俺には……『なんでも出来る』。そんな根拠の無い自信が、全身を満たしていた。


 その夜は、新月が、綺麗だった。



 自分の仕事場に戻り、腰を落ち着ける。

 いや。落ち着けるわけがない。僕はほとんど座ると同時にまた立ち上がり、机に置きっぱなしにしていたGペンを壁に向かって投げつけた。


「――っあああッ!!」


 ダーツの矢のように、壁と垂直に刺さるGペン。当然、こんなことをしても気が晴れるわけはなく。


「……椎橋…………涼……」


 憎い。

 彼が……彼女を理解した気になって、僕の邪魔をする彼が……憎くて憎くて仕方がない。


 落ち着け。僕は別に負けたわけじゃない。

 失敗はしたかもしれないが、だが、収穫もあったはずだ。彼女の覚醒のトリガーを引くことが出来たし、その力がどれほどのものか、見ることが出来た。

 彼女なら……間違いなく、僕の夢を叶えてくれる。

 僕を、神にしてくれる。


「……いずれ、また会おう。

 僕の描く、新たな未来のために……」



「――――――」


 世界の形が、変わり始めた。


 人類の進化は、行き着くところまで行こうとしている。

 猿からヒトへ。ヒトから成神神もどきへ。成神から……本物の神へ。

 パラダイム・シフトは近付いている。


 今回はどうにか、反則とも言える介入を行うことで、神の誕生を遅らせることはできたが……もはや猶予はない。

 二人の男女。

 アダムとイブは……目覚めてしまった。


「……これが君の描いた、令和の、新たな神話だというのかい」


 転がり始めた物語は止まらない。


 新月が沈むのと同時に……この物語、令和神話の物語は……静かに、幕を開けたのだった。









 






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