神様合格
願い。
生きとし生ける人間誰もが持つもの。
欲望とも言う。
強欲は罪ではあるが、願いも欲も、生命の原動力として必要なものだ。人間の三大欲求である、食欲・睡眠欲・性欲……それらを無くしては、人は、生きていくことは出来ない。
最低限の欲だけで生きていけるかと言えば、それも違う。ただ食い、眠り、次の代に子孫を残すだけの暮らしは、人間的とは言えない。
夢を叶えたいだとか、趣味に興じたいだとか……そういったものがなければ、文明は生まれない。ただ獣と同じ、原始的な暮らしが、百年、千年、万年、億年……続いていくだけだ。
願いが、欲が、あるからこそ。世界は在る。
願いが、欲が、あるからこそ。
それを捧げ、ぶつけ、縋り付く先……『神』が生まれるのだ。
願いに形があるとしたら、神の形をしている。
ならば。
神に形があるとしたら……それは?
…………。
静寂。
今までに感じたことの無い……H2Oとは違う、優しい、冷たい水が……鼻から、口から、俺の中に流れ込んでくる。
体の中が水で満たされ、溺死する。
神秘に殺される……苦しみはなかった。
言の葉の螺旋が、俺の体を取り込む。
世界が、頭の先から足の先までを、貫く。
幸せになりたい。苦しみたくない。善いものだけに囲まれたい。悪いものには逢いたくない。チヤホヤされたい。ガミガミ言われたくない。富に恵まれたい。貧しくありたくない。怠けていたい。怠け者と言われたくはない。働いていたい。役割を果たしたい。約立たずでいたくない。羨望の眼差しを向けられる存在でありたい。蔑まれたくない。始めたい。終わりたくない。眠りたい。起きたくない。友達が欲しい。恋人が欲しい。あいつに死んで欲しい。殺したい。自由が欲しい。自由が欲しくない。何も決めたくない。レールを敷いて欲しい。学びたい。苦労をしたくない。盗みたい。盗まれたくない。温まりたい。涼まりたい。正解したい。不正解を選びたい。不合理を合理にしたい。合理を不合理にしたい。歩きたい。走りたい。動きたくない。書きたい。表現したくない。書きたくない。いなくなりたい。捨てたい。手に入れたい。手離したくない。掴みたい。見つけたい。真実なんて見たくない。嘘に溺れていたい。騙したい。騙されたい。愛したい。愛されたい。泣きたい。泣きたくない。生きたい。生き残りたい。
……死にたくない。
いま、限りなく、俺の手から、命が離れていこうとしているのを感じた。
溶けていく存在を、手放さないように、必死に手繰り寄せる。歯を食いしばりたいのに、すでに歯の感覚がない。掴み取るための手も、腕も……。
俺はすでに、体のほとんどを失くしかけていた。
死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない…………!!
ようやく……やりたいことを見つけたんだ……願いを得たんだ。生きる意味を!
詐欺と賭博だけが楽しみだった、クズみたいな俺の人生に、やっと光が差し始めたんだ。死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない……死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!!
何が起こっているかも分からないまま。
何も出来ないまま。何をしたらいいかも分からないまま。
……………………。
俺が最後に縋ったのは……、
人生で一度も信じたことのない、
……『神』だった。
#
「ああああああああぁぁぁーーーーッ!!」
目覚めて最初に聞いた音は、自分の喉から飛び出している、でっかい金属の板をを引き裂いたような絶叫だった。
まだらにかすみがかった視界には、気味の悪い祭壇のようなものと……数人の人影。
「おはよう、涼」
「愛しい涼ちゃん! おはよー! チュッ(笑)」
「…………」
芳賀さんとアホだった。
体を起こしたところに半分ほどお茶の入ったペットボトルがあったので、とりあえずそれを持ってアホの頭をはたく。
「なんでっ!?」
「自分の頭に聞けボケ。……芳賀さん、ここは?」
「見ての通り、祭壇さ。初めてTUの紹介をした時に見せたところ。覚えてないかい?」
……言われてみれば。先日と同じ、いやに薄暗くていやにスピリチュアルな祭壇のあるホールだ。今日は大量の信者はいないらしい。
祭壇の前に設置された、ごく普通の、どこの病院にでも置いてあるような医療用ベッド。そこに俺は寝かされていた。
……ひどい頭痛はあるが、倒れる前に負ったはずの、致命傷の火傷は、文字通り、影も形も無い。
「……どうなってるんだ……」
「混乱するのも無理はない。……そうだね。私たちよりも、現場の状況をリアルタイムで見ていた彼女に説明してもらおうか」
「彼女……? キャベジン、あんたあの時あの場所にいたのか?」
「人を胃腸の調子を整える薬みたいに呼ばないでください。……『彼女』とは私のことではありません」
じゃあ誰だ? しるこか?
疑問に首を傾げていると、視界の端で、何かが蠢くのを見た。
視線を移すと……床とベッドの隙間から、ものすごい目力で俺を見つめる女が。
「おわぁッ!!」
「……にゃ〜んか、ベタというか、つまんない驚き方だねー君。ガッカリだよ」
「はぁ!? いきなり出てきて何なんだよ……」
……って。
ちょっと待てよ。この女の格好……。
真夏のような露出度の高い服装の上に、微妙に丈のあっていない白衣。
委員長から聞いた話と一致する特徴……まさか。
「あんた……外道院みさこ、か?」
「そだよー。略してドインサだよー」
「…………」
ゲドミサ、とかじゃないのか。普通は。
「……えーと。あんた、目撃してたのか? 時任神奈子の暴走を……」
「そだよー。小型ドローン使ってね。君とあの子のアッツ〜い抱擁もバッチリ見てたし、何なら録画してるよん。今みんなで見ちゃう?」
「やめろや!!」
「まぁまぁ。じゃ、恥ずかしがり屋さんをいじめちゃ悪いから、抱擁のあと、君が焼け死ぬ所までの録画見ちゃおうか」
「な…………今、なんて?」
俺の質問を無視して、みさこは指を鳴らし、空中に大きなモニターを出現させる。
「これも私の創った宝具。まぁ認知を利用してないからただの発明品って言った方がいいかもだケドにゃ〜。『プラズマグラム』っていって、空気中の微細なホコリや粒子を、長方形の形に集めて、そこに小型ドローンで映写機の要領で光を映し出すってゆー仕組みなのよん」
「ちょっと待て、さっきあんたなんて……」
「では再生〜」
薄暗いホール内。埃と粒子によって作られた大きなモニターの反射する光に視線が集まる。
再生された映像……映っているのは、気を失っている委員長と、膝をついた姿勢で彼女を抱き抱える俺の姿。
「…………」
次の瞬間。
俺の体に燃え移った炎は、一瞬、激しく燃え盛り、画面全体を真っ白に染めるほどの眩い閃光を放った。
そして……それが消えるのと同時。
俺の姿も、その場から消失したのだった。
「……し、CG、だよな。これ……」
「認識の急激な乱高下による摩擦から生まれた炎が、この瞬間、君の身体を一瞬で蒸発させて焼き殺している。涼、君は本当に……一度、死んだのだ」
「…………」
「もうちょいスローにすれば、一瞬、肉が全部焼けて溶けて、骨だけになった君が見れるよ〜。どする? 後学のために見とく?」
「…………そんな、馬鹿な……」
それなら、今、俺は何故生きている?
何故、普通に喋れているんだ?
急激に、自らの存在が不安になった俺は、両手で全身を軽く叩いた。存在を確かめたくて。自分に血が流れていることを感じたくて。
ふと……胸を。心臓の辺りを触った時。
硬い感触がした。
「ミスター・シーバシ。外道院博士の言う通り、あなたの肉体は一度完全に消滅しました。今のあなたの生命は……今、あなたが触れた、それによって定着されているのです」
「上ぜんぶ脱いでみ〜」
「…………」
カッターシャツと肌着を脱ぐ。
毎日見ている、自分の、肉の少ない上半身。
その、心臓の部分に……角張った、手のひらで握るには少し有り余るくらいのサイズの、キューブが埋め込まれていた。
「…………う」
そして、そのキューブは。
僅かに、表面に金色の炎を纏って……燃えていた。
「うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァッ!!」
金色の……キューブ。
『箱』。
「実物を見るのは初めてかな。……もっとも、初めてじゃなくとも、悲鳴をあげたくなる光景だろうけどね」
「『供え箱』。あるいは『タカラバコ』……我々もまた、違う呼び方をしています。
我々はそれを、『認知の匣』と呼ぶのです」
「そんなことはどうでもいい! なんで……なんでこんな……! 一から説明してくれよ!」
「はあ。メンドくさいにゃ〜」
「ヒトの生き死にに関わることをメンドくさいとか思ってても言うな!」
はぁ〜、と大きな溜め息をこれみよがしに吐きながら、外道院はくるくると踊るように歩いて、祭壇のオブジェに手を触れる。
「結論から言うと。
君は、神様に合格したんだよ。
それも、ホンモノの……ね」
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