神様失格

 アスファルトの冷たい地面に、紅い血が広がってゆく。

 髪が口の中に入って気持ち悪いのに、指をぴくりとも動かせない。そのことにどうしようもなく、私は、手遅れを感じた。

 終わりを感じた。


 死を感じた。


 信号は、確かに青だったのに。

 世界が終わる。白と黒に染められた世界の中はスローモーションで、私の感覚だけが、終わりから必死に逃げるように加速している。


「…………」


 沈みゆく。枯れてゆく。

 ……消えてゆく。


 死にゆく世界の中で、過去の思い出を巡る、走馬灯の旅の中で、不思議なことに、最期に思い出したのは……。



 両の瞼が、いつまでも眠っている私を叱責するように、ぱちりと持ち上がる。

 ……薄桃色で全てが染められた部屋。私はベッドの上で仰向けに寝ている。私の体とゴムのチューブで繋がった、仰々しい機械類の他には、とりあえずやっつけで置かれたような観葉植物だけ。

 無機質な部屋は、空間認識能力を歪ませ、この部屋がどこまでも無限に続いているかのような錯覚をもたらす。


「…………」


 上体を起こす。頭が、鈍く痛む。

 瞬きをした一瞬、目に映る全ての物の色が、白と黒のモノクロに描き変わった。加速している時に見る風景のそれだ。

 ……目に、燃えるような熱さを覚える。

 私に……何が起こったのだろう。軋む頭を、どうにか回して、記憶を呼び起こす。


「お目覚めのようだね。残念ながら」


 ガラスのドアが、プシュ、と音を立てて開き、に身を包んだ男性が入室してくる。


「か……かなかなぁーーっ!!」


 その後ろから、震える声で私のあだ名を叫びながら走ってきたのは……マヤンちゃんだ。

 黒衣の男性の視線に気付いて、少しスピードを落としながらも、マヤンちゃんは私の膝元に飛びついてくる。

 少し遅れて、ビンゴさんとリリさんも入室してきた。


「……みなさん。ここは……?」

「ここは天秤座の医務室だよ! 地下3階。もっとも、成神は怪我してもよっぽどじゃなければすぐ治るから、ほとんど使われてないんだけどね」


 ……つまり、私は『よっぽど』の怪我をしたということか。


「時任さん。まずは、無事に目覚めてくれたことを喜びたいところだが……」

「そうもいかない状況です。一刻も早く、我々も、そして君も……事態を把握しなくてはならない」


 事態……。

 そうだ。私は覚えている。興梠ジョーによって、私の自我が失われ……気がついたら体が燃えていて……。


「椎橋くん……椎橋くんは!? 無事なんですか!?」

「…………」


 俯くビンゴさん。

 嘘。嘘だ。


「……率直に言おう。彼は、行方不明だ」

「え……」

「それについては、拙者から話そう」


 腕を組み、目を閉じ、あぐらをかいて部屋の隅に座る皆中しるこさん。いつの間にいたのだろう。

 どうやら、彼女が私を天秤座の皆さんの元に運んでくれたらしい。あの場にいて、私のように自我をなくして意識を朦朧とさせたりしていない、全てを目撃していた唯一の人物。


「彼は……文字通り。その場で姿を消したのだ」



 時任神奈子。君の体から立ち上る炎を、彼が……椎橋涼が止めた時。

 私はまず、倒れ伏せた君たちに駆け寄った。少し気が動転していたのだろう、興梠ジョーの方を先にどうにかすべきだということに気がつけなかった。

 ハッとして振り返ると……もう、ジョーの姿はなかった。加速で逃げていったのだろう。


 そして次に……椎橋涼の体が、突如、眩い光を放って消えた。

 私の刀のひとつ、活性化した宝具に反応する『追刀コテツ』が微かに反応したから……あれはおそらく、宝具によって引き起こされた、瞬間移動なのだと思う。



「拙者が見たことは、それで全部だ。あとは、君を抱き抱え、天秤座、という君たちから聞いた組織の名を叫びながら街を走っていたら、ビンゴ氏に出会った」

「……ビックリしたよ。リリたちが連れて来た外道院博士の尋問が終わって、君たちの様子を見に行こうと外に出たら……我々の名前を大声で叫んでいる成神がいるじゃないか」

「うう……す、すみません……」


 まさかこんなことになるとは。天秤座のことをしるこに教えたのは椎橋くんだが、一応私が謝っておく。


「例の爆弾の顛末や、興梠ジョーのことについては、皆中さんから聞いたよ。大変だったみたいだね」

「…………」

「とにかく。かなかなは安静にしてて。椎橋さんは私たちが、ゼッタイ! 見つけ出すから!」


 椎橋くん……。

 私は、あの時のことを、ハッキリではないが、覚えている。

 体の内側から燃え盛り、体を焼き焦がす炎。彼は、その熱さに耐えて、私を……守ってくれた。救ってくれた。

 詐欺師になったと聞いて、心配していたが、彼は変わっていない。中学生の時と同じ、優しい心を持っている。


「……いや、私も探しに……」

「死に急ぐのなら止めはしない……と言いたいところだが、外出は許可できない」


 それまで沈黙を貫いていた黒衣の男性が、右目につけたモノクルを拭きながらそう言った。


「……残念ながら、ね」


 実に意地悪そうに口の端を釣り上げて、彼は肩を竦めて見せた。


「私はサクレ・クレイドル。成神専門の医者だ。今は天秤座専属ということに、一応なっている。残念な事にね」

「……腕は確かですが、闇医者だ。できるだけ世話にならないように」

「嫌だなぁ、医師免許は持ってるよ。もちろん獣医の免許もね。……ただの人間だから、成神の体のことはよく分からないけど」

「え。じゃあどうやって治療を……?」

「まぁ、あえて名前をつけるのであれば……この技術は、そう。『カン』ってやつだね! あっはっはっは! 残念ながら! 残念な事に! うひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

「…………」

「……かなかな。今回は検査と療養だけで済むらしいけど、絶対、あの人から手術を受けるような事にはならないでね」


 ……肝に命じておこう。


「だいたい、昔から思っていたが、みんなどうしてこんな胡散臭い医者にかかってまで生きたいと思うもんなのかな。

 僕なんかは、酒が飲めなくなるのがいやだから辛うじて生きてるが、酒の飲めない体になったら迷いなく死を選ぶのにね」

「……クレイドルくん。一応患者がいる前で、そういう話をするのはどうなのかなって。マヤ、思うんだけれど」

「あぁ……失敬。話が脱線してしまったね。えーと、ミス・トキトー。医者の端くれとしては、今の君の外出を認める訳にはいかない」

「な……何故ですか!」


 はいそうですかと諦めるわけにはいかない。私は語気を強めて食い下がる。


「簡単な話だ。このままでは君は、今の姿を保つことが出来なくなる」

「……今の姿を?」

「ミス・カイチューから話は聞いたが。君は、ミスター・コーロキからのを受けて、一時的に自我を失ったそうだね?」

「認識操作……」


 おそらく、『ブラックセーラー』という名前で何度も呼ばれ、『時任神奈子』であることを否定された……あれが、認識操作ということなのだろう。

 頷き、疑問をぶつける。


「はい。……認知とか、認識とか、彼は言っていましたが……それって、何なんですか?」

「…………」

「あ。マヤンちゃん、急で申し訳ないんだけど、ちょっと外に出て、カズに電話してきてくれないかな。今回の件を連絡するのを忘れていた」

「あ、うん。わかった!」


 マヤンちゃんが病室を走って出ていく。

 半ば強引に追い出したような気もするが……聞かれたら困る話なのか。


「……では、拙者もここで失礼しよう。元々、時任殿の無事を確認したら、すぐに立ち去るつもりだったのでな」

「あぁ……ありがとう、皆中さん」

「非礼の詫びをしたに過ぎぬ、礼はいらない。もしまた宝具のある場所で会ったら……その時は、出来る限り協力しよう」


 そう言い残して、しるこも病室のドアを開けて出ていった。

 彼女らの足音が遠く去っていったのを確認して、ひとつ頷き、ビンゴさんが口を開く。


「……成神は、大衆から『認知』され、それを『認識』することによって、超常的な能力を手に入れているんだ」

「…………?」


 全然分からない。


「噛み砕いて言うと。

 人間は、有名になって、人々から『神がかった人間だ』と認知され、それを自分で認識すると、神業を習得して、成神に成れるんだ」

「……えっ?」


 ……有名になって。

 神がかった人間だと認知されることで……。

 それを認識することで……。

 …………成神に、成れる?


 あまりにも、あんまりにもな『世界の仕組み』に呆然とする私に、ビンゴさんは苦笑いしながら続ける。


「えーと、例えばね。僕の神業の『ハンド&パワー』。あれはね、マジシャンである僕を、テレビなどの各種媒体を見た大衆が、『プロフェッサー・ビンゴはハンドパワーを使って、どんな魔術でも使うことが出来る』と認知した結果生まれたものなんだ」


「萌木緋蜂の神業、『大炎上』も。彼女がSNS等で炎上しながらも人気を上げていく様を見た大衆が、『萌木緋蜂は炎上を自由自在に使いこなし、自身の武器とすることが出来る』と認知した結果生まれたもの。

 君らが廃パチンコ屋で出会ったInTuber3人組も、それぞれ自分の得意とする『商品紹介』、『コスメの扱い』、『金銭運用』が大衆に認知された結果、ああいった神業が身に付いたのだろう」


 ……理論は分かった。


「では……興梠ジョーが、『ブラックセーラー』のホワイトボルトと同じ『加速』を使えるのも、興梠ジョーが大衆からそう認知されているから……ということですか?」

「そういうことだ。飲み込みが早くて有難い」

「で、でも、ちょっと待ってください! それだったら、私は……どうなるんですか!? 私、こないだまで死んでたんですよ!」

「嗚呼……そのまま死ねていたら幸せだったろうに、残念な事だ」

「ちょっと黙っててくれ、クレイドル」


 死んでいて、存在すらしなかった私に、大衆の認知なんて集まるわけがない。

 ましてや、『なんでも出来る』なんて、そんな認知を得られるわけが……。


 ……その時。

 いくつもの無関係な星と星が、結ばれて星座を形作るように……点と点が、ひとつに繋がった。

 今まで不可解だった疑問が解ける、鎖を砕いたような音が、頭の中に響く。


「まさか……わ、私が、生き返った原因は……」

「……?」


 ビンゴさんもリリさんも、気付いていないらしい。

 彼らは……『ブラックセーラー』を知らない。ましてや、その主人公が、私をモデルに創られていることも。


「私の、この格好。『ブラックセーラー』という漫画の主人公のものらしいんです」

「あぁ。タイトルは聞いたことがあるが……」

「それがどうかしたのかい?」

「……その主人公は、興梠ジョーが……私をモデルに描いたものなんです」


 数秒、私の言葉を反芻して……二人の顔が、青ざめてゆく。


「なんだって……!」


 クレイドルさんは、指を鳴らし、「なるほどね」と呟くと、黒衣の胸元から手帳を取り出して、楽しげにそこに書き込み始めた。


「正体不明、出自不明の成神である君が、どうして『特異点』となり得るのかと疑問だったが……ようやく理解出来たようだ。残念なことにね」

「…………」

「それじゃあ……時任さん。君は、ブラックセーラーというキャラクターが大衆に認知されたことによって、君が現実に出現した……というのか」

「馬鹿な。フィクションのキャラクターだぞ!」


 信じられない、と首を振るビンゴさんとリリさんに、クレイドルさんがやれやれと肩を竦める。


「君たちは大衆を買い被りすぎだ。フィクションと現実の区別がちゃんと出来てるやつなんて、半分もいないよ。だからこそ宗教なんてもんがあるんだからね」

「……教えてください、クレイドルさん。さっき言おうとしていた、認識操作のこと……そして、今の私の話を聞いて、あなたが言った、『特異点』について」

「ふむ。いいだろう」


 クレイドルさんはしまいかけた手帳をまた手に取り、パラパラと、背表紙の方から2ページほどめくった。


「……君は、コーロキから受けた認識操作によって、本当に無制限に『なんでも出来る』ようになりかけた。ミスター・シーバシの機転によって、どうにか完全な変位には至らなかったようだが」

「はい。自我を失いかけて……よく覚えていませんが」

「先程も説明した通り。成神は、大衆に認知され、自分で認識することで、力を得る。そして同時に、自らの存在を確かなものとするのだよ。

 大袈裟な認知によって、完全に自己を歪められてしまわないように、認識を柱とするわけだね。軸と言ってもいい」


 ……認識が、柱で、軸。

 認知によって、元々の能力や体質、姿まで歪められてしまっても、自己までは失わないように繋ぎ止めるための、認識。


「君は今さっき、そいつを失いかけたんだ。……この先、私が何を言うか。もう分かったんじゃないかね」

「…………」


 では、その『柱』を。

 『軸』を失えば……どうなってしまうのか。

 たしかに、想像はついた。

 だけど私は答えを言えず、少し顔の角度を下げて、唇を固く結んだ。


「残念ながら」


 そんな私の顔を、ぐいっ、と下から覗き込むようにして。


「これ以上自己の『認識』に何かがあったら。

 最悪の場合、君は何者でもなくなり……完全に、この世界から消えてなくなる」


 クレイドルさんが、じつに他人事のように、面白そうに言った。


「……いや。最高の場合、かな? 残念ながら!」

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