Secret Title

 ホンモノの……『神様』、だと?

 次に描く漫画の設定でもくっちゃべってんのか? いや、そうでなければ困る。そうであってくれ。しかしどこまでもジョーの目は『真剣マジ』で、どこまでも純粋に、まっすぐに、ブラックセーラーの瞳を見つめていた。


「僕は……常々、疑問を感じてきたんだよ。この社会……強い者が、他人を平気で蹴落とす者が、すすり泣く優しい者に跨って甘い汁を啜れる、この社会にね……」

「貴様が『神』になれば、それが変わるとでも」


 ブラックセーラーの声に、今までと比べて、一層感情が乗った。

 軽蔑、疑念。

 当然の感情だと言えよう。俺も、興梠ジョーという男に失望を覚えていた。


「俺も疑問だね。人気漫画家のあんたがそれを言うのか」

「僕は全て、実力で勝ち取ってきた。連載も、アニメ化も、自分の力で勝ち取ってきた。他人を貶めたり蹴落としたことなど一度もない。

 今、漫画を描いている上で、成神としてのアドバンテージが少しも活きていないと言えば嘘になるが。少なくとも、ここまで上り詰めたのは、僕自身の実力だ」

「…………!」


「強者が弱者を虐げる。力を増した強者は成神となり、さらに成功を重ねていく。だが力を失った弱者は、そこから簡単に這い上がることはできない。

 僕は、真剣に、その社会構造を変えたいと望んでいるのさ。……ブラックセーラー。頼む」

「………………」


 ……本気で言っているのか。

 いや、本気で言っていなければ、ブラックセーラーから神の力を騙し取るための、ただの方便ならば……彼は、ここまでしないだろう。

 仮にも人気漫画家が。仮にも一般人の前で。自分の漫画のキャラクターの力を利用して、神になろうなどと……。

 だが、それでも、肯定するわけにはいかない。


「だが! 弱者を踏みにじる強者が許せないというなら……『神になりたい』という発想こそ、より強い力でねじ伏せようという発想こそ、絶対に許しちゃいけねぇだろうが!!」

「……たしかに、そうかもね。でも、それ以外にないんだよ。君も知っているだろう?」

「…………!」


 見透かしたようなこと言いやがって……!

 だが確かに、俺は知っていた。

 過去の仕事で負った、深い傷が、ヤツの言葉を否定させない。俺はこの目で、何度も、強者と弱者の理不尽な支配構造を見てきたのだから。

 そして……俺自身も……『踏み台』にされた側なのだから。

 踏み台にならない為には、自分を踏んでいこうとするその足を、ひっ掴んで引きずり落としてやるしかない。

 その構造を打ち破るには……他者を踏み台にしようとする者の足を、切り落としてやるしかないのだ。


「……面白い」

「い……委員長ッ!」

「もしも私利私欲に走れば。『黒』だと判断すれば。その瞬間、この私、ブラックセーラーが……跡形もなく『裁いて』やろう」


 ジョーは、その言葉に深く頷き、心臓に拳を当ててひざまづいた。


「……必ず。『正義』を成してみせます。

 或いは……誰もが平等に輝ける新未来のために、必要『悪』を成す覚悟も、出来ています」

「いいだろう」

「だ、ダメだ、委員長……!」


 この世に神なんてもんがいるとは思わない。

 酒もヤニもギャンブルもやらずに、世界中の人間の祈りや願いを一身に受けて、それを管理するようなヤツなんて、どんなフィクションよりも有り得ない。

 だから、と言うべきなのか。

 興梠ジョーという人間が、たとえ、どんなに出来た人間だとしても……『神様になりたい』なんて願いを叶えてはいけない。

 理屈ではない。本能的に、俺はそう感じていた。


 考えろ、考えるんだ。

 委員長が、ブラックセーラーになってしまったのなら……それを元に戻すために、何をすべきか?

 俺はもう、その答えを知っているはずだ。

 のだから。


「……時任……神奈子…………」


「ッ!」

「あ……う、ぐ…………」


 認知だか認識だか知らないが、ジョーが、委員長を『ブラックセーラー』と呼ぶことによってこの力を引き出したのなら……その『逆』をしてやればいい。

 なんの特別な力も持たない、普通の少女、時任神奈子の名を呼んでやれば……きっと、元に戻るはずだ。


「……邪魔、しないでくれるかな」

「…………!」


 世界が、廻る。


 何をされたのかは分からない、が。ジョーがその神業、『加速』を使ったことは、容易に理解出来た。

 目に映る全てのモノの色が、どろりと混ざり合い、吐き気に似た感覚を催す。

 たぶん、数秒後には意識を失う。


「……ァ…………」


 声が……出ない……。


「顎を叩いて脳を揺らした。一般人に危害を加えるつもりは無かったんだけどね。……すまない」


 右頬を、まばらに生えた草が撫ぜる。

 地面に倒れたってことか。衝撃も何も感じない。

 ぐるぐると回るスローモーションの景色が、白と黒に色分けされていく。


 ……次に目が覚めたら、どうなっているだろう。

 本当に、ジョーが神となって、世界を統治しているのだろうか。

 馬鹿げた話だが……物の時間さえも操る、今のブラックセーラーになら……『神様を作る』なんてことも、容易にできてしまうと思えた。


「さぁ、ここから始まる……『新未来』が……!」


 高揚しきった、ジョーのその声を最後に……。


 俺の意識は、深い闇の底に沈んでいった。



 久々に、『悪寒』というものを覚えた。

 何か悪いことが起こる、或いは、もう起こってしまった、そんな予感。直感。


「……いや。私には、関係ない……」


 私は、もう。やめたのだ。


 この日本でどんなことがあろうが、それは私の預かり知るところではない。今の私は、ただの一般市民に過ぎないのだから。

 空を仰ぎ見る。

 オレンジ色の空に、カラスが2匹、なかよく並んで飛んでいる。


「…………」


 この近辺は、もうお兄様が探しに来ているかもしれない。また少し遠くに移動する必要がある。

 私はレインコートのフードを深く被り、再び歩き出した。


 ……そうだ。私には、関係ない。

 私は、神様をやめたのだから。



「迷惑をかけてすまないね。もう少し、目を閉じるのは待ってくれるかな」


 ――目が、冴えた。

 いや、無理やり叩き起こされたと言うべきか。地面に倒れ伏していた俺の体が、ふわりと浮き上がり、90度回転して地面と垂直に立たされる。

 ……今の声は……?


「な……何故立ち上がっている……!? 今何が起こった……!」


 思わぬ事態に、目に見えて狼狽するジョー。

 そうだ、今は声の主なんか気にしてる場合じゃない!


「時任神奈子ッ! 目を覚ませ、あんたはブラックセーラーなんかじゃない! 委員長……時任神奈子だろ!」

「あッ……!! う、ウゥゥウウ……!」


 委員長が苦しみ出すと同時に、漫画色に染まっていた体が、徐々に元の色を取り戻し始めている……!


「やめろッ! くそ、かくなる上は……」


 こちらに向かってジョー。

 だが、二歩目で足がもつれ、その場に倒れてしまった。焦りきったジョーの顔に、困惑の色が足される。


「何故だ……!? か、加速ができない……!」

「え……」


 そう。『走り出す』なんてことを、一般人の俺が認識できているのがそもそもおかしい。

 本気を出せば光よりも速く走ることのできる、『加速』という神業を持ったジョーの走りを、一般人である俺が目に止めることなどできるはずがないのだ。

 なにかよく分からんが……さっき俺の意識を無理やり戻した『誰か』がやってくれたのか。今のうちだ、委員長を解放しなくては。


「委員長! 時任神奈子! あんたはブラックセーラーでも成神でもないッ、委員長の時任神奈子だ!」


 俺は委員長に向かって走り出す。

 彼女の名前を叫びながら。彼女の存在を認知しながら。彼女の認識を呼び起こしながら。


「痛いっ……痛いよ…………アアアッ……!!」

「…………!」


 委員長の額から浮き上がる、夥しい脂汗。

 俺なんかには理解も共感も及ばないが、恐ろしい苦しみであることには間違いない。


「やめろッ、貴様! 僕が神にッ……!!」

「通さん」

「がぁぁッ!?」


 起き上がり、俺を捕らえようと走ってくるジョーを、しるこが斬撃で足止めしてくれる。


「拙者は興梠ジョーのファンだが……神になろうなどとは、見過ごすことはできない」

「ッ……どいつもこいつもォォッ……!!」

「誤って襲ってしまった借り、今ここで返した。行け! 椎名!」

「椎橋だボケ! ありがとな!」


 苦しみに飲まれ、膝を着いて、自らの肩を抱いて荒々しい呼吸と喘ぎに喉を震わす委員長の前で、俺は膝まづく。

 彼女の手を取り、俺の肩に載せた。瞬間、とても人間の体から発せられるものとは思えない、凄まじい高熱がジャケットを焦がす。


「う……痛いよ……椎橋、くん……」

「…………」


 こんな炎に、ずっと身を焦がされていたのか。

 なんだ。なんなんだ。

 一度理不尽に殺されて、無理やり生き返らされて、そしてまた、こんな苦しみを背負わされて。


 ……この気持ちは嘘なんかじゃない。

 詐欺師の道を選んで初めて、『私利私欲』と『打算』以外の目的で、何かをしたいと思えた。

 俺は、委員長を、時任神奈子を支えたい。助けたい。


「委員長……力を抜いてくれ」


 迷いはなかった。

 何も出来ないなりに、少しでも彼女が俺を頼りにできるように、強く、抱きしめた。

 熱い。全身の肉が溶けだしそうなほどに、熱い。


「し、ばし……くん……」

「体重を預けな。楽にしろ。大丈夫。あんたは、自分が真面目で、漫画好きで、お節介で、お喋りが好きな、時任神奈子という人間だってことだけ考えてりゃいい」

「…………」


 手の感覚がなくなってくる。おそらく、焼け焦げて、炭にでもなっているかもしれない。

 それでいい。

 一度死んでまで、人のために何かを成そうと走り回り、力がないからと不細工にいじけていた俺に勇気を与えてくれた時任神奈子を、苦しみから救ってやれるのなら。

 再び意識が途切れかける。さっきと違って、今度は助からないかもしれない。自分の顔がどうなっているのか、もはや分からない。


 やがて、委員長の体を蝕む炎が、少しずつ温度と光を失い、消えてゆく。


「……あ、り……が……と……」


 炎が完全に消え、姿が元に戻るのと同時に、消え入る声でそう言って……委員長は、眠りについた。

 ちゃんと呼吸はしている。元に戻ったんだ。

 胸の中で眠る彼女の無事を確認した途端、ぐるん、と、またまた世界が回った。


 ――やれる事はやったさ。

 こんな俺にも、少しは、やれる事があったんだ――


 燃え移った炎に溶かされながら、俺はそんな事を思い……二度と醒めない夢の中へ落ちていった。



令和神話 -PLACEBO ; GHOST-

第3章 EPISODE15


Title:

「君を癒して死ねるのなら」

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