懐中しるこ

 珍妙奇天烈な自己紹介と共に現れたその女は、自らを『懐中しるこ』と名乗った。


 懐中しるこ。

 かつては若き天才剣道家としてその名を馳せ、数々の国内大会で勝利を収めてきた彼女だが……2年ほど前くらいから、悪評ばかりを聞くようになった。

 街中で剣を振り回して暴れてるだとか、その騒ぎで民間人に負傷を負わせただとか。

 垂れ下がり、眠そうにすら見えるその目だが、しかし奥の瞳は真っ赤に燃えている。今にもこの土地ごと切り裂かれてしまいそうな、恐るべき殺気。


「……宝具を斬りに来た? この爆弾をか?」

「いかにも。そして、これ以上質問はするな。君たちには、これ以上のことを知る必要はない。黙って立ち去りたまえ。それ以外の行動は敵対行為とみなして斬る」

「落ち着いてください。この宝具は……」


 委員長の言葉は、途中で『斬られた』。

 一筋の風が俺たちの間を走り……俺のジャケットと、委員長のセーラー服が、真っ直ぐ縦に斬られていた。斬り刻まれていた。

 1本、5本、10本……数えきれない切れ込みを入れられ、その細かく刻まれたジャケットの切れ端が風に飛ばされる。


「かっ……あ……!!」


 恐怖に叫ぶこともできず、青ざめ、その場に尻もちをつき、喉の奥から空気を漏らすことしかできない。

 本気だ。本気で殺す気だ。

 斬られた俺のジャケットが突風に煽られはためくのと同時に、委員長のセーラー服が全て吹き飛ばされる。上半身を下着1枚の姿にされてなお、委員長は動じない。


「言ったはずだ。この場から去る以外の行いは全て敵対行為と見なすと」

「……私には、『再生』が出来る」


 風に飛ばされた服の残骸たちが、委員長の体の周りに集まり……一瞬強く光って、再び元の形を取り戻す。

 しるこはそれを見て目を細めた。


「……成神か」

「話を聞いてくれないというなら、あくまで暴力に訴えるというなら……私もそれ相応のやり方でいきます」

「無名の成神がでかい口を。成神の強さは人々からの認知で決まると知るがいい」

「とりあえず。下着姿にされて辱められたぶん、一発殴らせてくださいね」



 加速。


 漫画の主人公の格好をした私の基本戦法が不意打ちというのはどうなんだろう、などと思わなくもないが、それはそこ。

 椎橋くんという男子のいる前でブラ姿にされた恨みは、いくら心の広い私といえど、殴って晴らさなければ気が済まない。ガンジーでも助走をつけて殴るレベルとはこのことだ。

 白と黒の音のない世界で、まずはこの工事現場を取り囲むように結界を張る。万が一、戦闘で爆弾に衝撃を与えてしまって爆発なんてことになったら、周辺の市民に被害を及ぼしかねない。

 さて、準備完了。地面を蹴り、助走をつけた勢いのまま、思い切り。懐中しるこさんの可愛らしいお顔に、綺麗な高い鼻柱に、拳をめり込ませる。

 私の拳を包み込むように、飛び出た鼻血が華と咲く。鶏の軟骨を噛み砕くようなこの感じは、おそらく私の拳がしるこの鼻骨を折っていることによる感覚だろう。

 加速、解除。私の時間が正常に動き出す。


「フゲッ……!?」


 しるこが加速パンチの衝撃で2メートルほど吹き飛ぶ。

 体ごと吹っ飛ぶような勢いで殴られても、鼻の骨を折られても、すぐに体勢を立て直すことができるあたり、自分で剣士とかいうだけはある。


「どうです? 少しは頭を冷やしてくれましたか」


 これで終わってくれればいくらか楽なのだが。

 もちろん、突然街中で刀を振るって工事現場の鉄柵を破壊し、いきなり人の衣服を切り刻むような彼女に、そんな素直さを望めるわけもなかった。

 しるこは袖でダラダラと滴り落ちる鼻血を拭い、口の端を歪めてにやついている。


「ふ……ふふ……『加速』、か。『憶えた』ぞ」

「憶えた……?」

「いざ戦うとあらば卑怯な事はしたくない。先に手の内を明かしておいてやろう」


 しるこは、唐突に上を見上げたかと思うと、まるで雑技団の芸のように……その口の中から、刀を出してみせた。

 それも、

 今腰に提げている1本と合わせて7本の刀が、彼女の両手に揃う。


「一本目。小業物こわざもの追刀ついとうコテツ。外道院の宝具が近くで活性化状態にある場合震えて知らせてくれる、探知機のような刀だ。戦闘能力はない。

 二本目。戦業物いくさわざもの養刀ようとうムラマサ。一度喰らった相手の技を記憶し、その技に対して適切なカウンターを繰り出すことのできる、成長する刀だ。今この刀で、君の『加速』を記憶した」

「…………」

「さっきのような手は二度と使えないと思った方が懸命だ。加速したその勢いのまま三枚におろされたくないのならな」


 とりあえずは正攻法で戦ってみて、苦戦したら加速して刀を折ってやろうとか考えていたのだが、速攻でダメになってしまった。


「三本目。早業物はやわざもの駆閃かせんカネサダ。最高時速は音速を超える、居合に特化した刀だ。

 四本目。大業物おおわざもの同時斬どうじきりヤスツナ。見ての通り十字の形になっているが、斬撃の一瞬のみ分裂し、使。ようは分身の術が使えるようになる刀だ。

 五本目。裏業物うらわざもの迷刀めいとうマサムネ。斬った物の姿を、一時的に他の物に見えるようにする刀だ」


 しるこは言い終えるや否や体勢を低くとり、マサムネを抜いてその場で360度の回転斬りを繰り出し、足元の雑草を斬ってみせた。

 その瞬間。さっきまでただの雑草だったのに、しるこが刀を振ったその円だけ、

 ……雑草を斬って、バラに見えるようにした、ということか。


「薔薇のように見える、というだけで、実際はこれらは雑草のままだ。ほら」


 しるこの足がバラを一本踏み潰すと、バラのように見えていた幻は消え去り、雑草が本来の姿を取り戻す。


「……説明は以上」

「六本目と七本目は?」

「君相手に使うような刀ではない。もしも拙者にその二振りを使わせることができたら……ええと……拙者が今懐に入れているポイ〇ルをあげよう」

「いらんわ」


 敵対的なのか何なのか。掴めない人だな。やりにくくて困る。

 だが……私のことを見くびってくれているのなら、好都合だ。彼女の話がハッタリでないのなら、加速は出来るだけ使わない方がいいだろうが、不意打ちの手段ならいくらでもある。


「さて、では始めようか」


 しるこは、7本の刀のうち6本をベルトに差し、未だに血の止まらない鼻頭の前で、『養刀ムラマサ』の鞘を左手に、柄を右手に握った。

 市街地から少し離れたこの場所での騒ぎは、幸いにも、まだ市民らには気付かれていないらしい。

 爆弾のリセットまでは残り2時間半を切ったくらい。相当な強者なのだろうが、どうにかして早めに片付けなくては。


「……刀を相手に丸腰で挑むなんて、さすがに怖気付いてしまうわね」

「む? 何を今更」

「成神は、普通人間が死んでしまうような致命傷を受けても、死なないのよね。首だけになって燃やされたりしない限り、再生するのよね」

「何をぺらぺら喋っている。いくぞ!」


 早めに片付けなくては。

 刀相手に丸腰では心許ない。


「駆閃を使わずとも、私の居合は地力で以て、加速抜きでは君なんかには反応のできないスピードなのだよッ!!」


 走り来るしるこへ。今にも刀を抜かんと殺害可能距離キルレンジへ迫るしるこへ。


「覚悟ッ!!」

「死なないでよね」


 私は、の引き金を引いた。


「え」


 彼女の眉間を、寸分の狂いなく撃ち抜く。

 小銃とはいえ、この至近距離で頭を撃って、人体構造的に無事で済むわけもない。しっかりとグロテスクな光景が私の前に広がるが、当然描写はしない。したくない。


「うっ、あっ、おわぁぁあああああああああッ!!」

「私は『覚悟しろ』なんて事前に言ってあげるほどユーモアのある人間じゃないから。……椎橋くん、ピストル返しとくわね」


 安全装置をかけて、椎橋くんの足元に銃を放り投げる。

 当の椎橋くんは、しるこの頭から飛び散ったあれこれの数欠片を服に浴びて、パニックに陥り頭を抱えて座り込んでしまっているが。


「あんた! ま、守ってもらってる俺が言える立場じゃないと思うけど、た、躊躇いがなさすぎるんじゃないの!?」

「そこらへんも、『ブラックセーラー』として生まれ変わったせいなのかしらね。嫌だわ」

「嫌だわじゃねーだろ……人があんな死に方するとこ初めて見ちまった、クソ、しばらく夢に出るヤツだこれぇぇ〜〜……いやだぁ〜〜……」

「死んでないってば」

「もう黙っててくれぇ……」


 とにかく。再生しないうちに、私はしるこの体を神業で取り出した鎖でギチギチに拘束しておくことにした。

 あ、地味に成神との戦闘でちゃんと勝ったのは初めてなんじゃない? 嬉しくもなんともないけど。血と脂の匂いがキツくて泣きそうだけど。


「はぁ。お風呂入りたいなぁ」



 現在時刻 15:38

 次回爆弾起動周期まで 残り2時間21分05秒


 残りリセット回数 872回

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