第3話 手を探るマーシャ

 無論、その呼びかけは聞こえていた。

 壁にもたれかけたまま、聞き手、マーシャはつぶやく。


「諦める……訳が無えよな」


 不意の反応によるスタート差。

 路地裏の土地勘。少人数ゆえの身軽さ。

 いい方に作用したのは、そんな所だろう。


「良くぞ、だ」


 思わずの吐露。


「良くぞ、ついて来やがった」


 出会い頭、反応してしまったのは失策だった。

 だがふたりの速さは本来、ほとんど同じはずだ。

 その上での数々の有利。

 それでも、撒くことは出来なかった。

 追跡を許した。


 理由。

 マーシャにも、それは分かっている。

 腹に隠し持ったこれが、いつもの速さを鈍らせた。

 正しくは、鈍らざるを得なかった。

 歩みと思考の両方を。


「まさか、途中で捨てる訳にもいかねえしな……」


 天を仰ぐ。空は見えない。

 代わりに見えるは赤。

 ステンドグラス越しに見える、夕焼けの色だ。

 じきに夜が来る。

 水滴が凍り雪が降る、ワルシャワの冬夜が。


「風邪を引いちまうや。いっそ、ストーブでも点けるか」


 強がるも、事態が動く訳ではない。


 またしても声が聞こえる。

 恐らく、同じことを繰り返しているのだろう。

 そこに工夫はない。

 工夫がないだけに、やり過ごす術に乏しい。

 手ぶらで立ち去る気はないとの、それは宣言だからだ。

 耳を澄まし、物音から外の気配を探る。

 相変わらず気配はひとり。

 幼馴染、たったひとりきりに見える。


 部下を帰したということ。

 それはすなわち、ユスティナが退路を絶ったと言うことだ。

 いかに部隊長とは言え、そこまでやっての手ぶらは通らない。

 ユスティナの立場――若き部隊長との地位を考えれば、それはなおさらだ。

 納得に足る何か。それを得るまで、相手は引かないだろう。


「……いつもは、人が居るんだがな」


 ささやかな土地の主を、マーシャは浮かべる。

 自分を孫娘か何かのように扱ってくる老シスター。

 苦手ではあるが、決して嫌いではない。


「だが間が悪いや、うっかり嫌いそうになる」


 シスター、ひいては教会を黙らせるのは、いかなユスティナでもやれまい。

 消されない目撃者、それこそがマーシャの目的のひとつだった。

 買い出しか、それとも出先の祈祷か。

 すぐ戻るならいいのだが。

 ヒントを得るべく、室内を見渡す。

 壁の古めかしさに似合わない、相変わらずの整然。

 つまるところ、確たる手がかりはない。


「……しゃーねえや。ちと、答え合わせに付き合うとしますか」


 立ち上がり、マーシャは歩む。程なく、ドアに行き着く。

 前に立ち、探るようにドアノブを握りしめる。

 金属越しに手に伝わる、かすかな冬の冷たさ。

 一拍の深呼吸。


「聞こえてるぜ、ユスティナ!」


 そのまま、ドアを開け放った。

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