第2話 教会を見るユスティナ

 部下たちを返し、ユスティナはひとり、敷地外から向き直る。

 路地裏、中庭のあるささやかな教会だった。

 三方を建物と塀に囲まれ、誰かが出ればすぐそれと分かる。

 あのマーシャが、今も教会の中なのは間違いない。


 ――生け捕りは構わない、しかし殺すのはまずい。

 ――殉教者の存在など党には、いや閣下にとっては厄介でしかない。


 そこまで考え、苦笑が浮かぶ。

 これではまるで、かつての侵略者――ドイツやロシアの考え方だ。

 少なくとも今、ここはポーランドだと言うのに。


 たとえ独立から37年しか経っていなかろうと。

 たとえ実質的なロシアの支配下に置かれようと。

 たとえ幼馴染と自らが、今や立場を違えようと。

 万国の地図に記された、ここはポーランドの地なのだから。

 ユスティナたちが生まれ25年。

 この地が踏みにじられた事は、まだ一度もありはしない。


 ――いや、歴史の話はいい。

 そうユスティナは思い直す。

 なにがしか不可抗力だったと、部下たちに示すこと。

 その為のこそが、今は肝要だった。

 本来これは、そう大事ではなかった筈なのだから。


「元はと言えば」


 口に出し、思考を走らせる。


「マーシャちゃんが急に逃げるから――」


 それ自体は偶然という他ない。

 マーシャが表通りの病院から出てきたこと。

 ユスティナが夜間の哨戒に備え、部下たちと待ち合わせていたこと。


 一人同士なら目をつぶったかも知れない。

 それは向こうも同じだろう。

 しかし部下の前で不意に走られて、見過ごすことは出来ない。

 たとえそれが幼馴染であったとしても。

 こちらには事情があった。そして恐らくは、向こうの側にも。

 だから、あったのだ。不意に走り出してしまう類の何かが。


 そこまで考え、ようやくユスティナは気づく。

 辺り一帯、その奇妙なまでの静寂に。

 夕刻のこの時間、ついているはずの灯りがない。

 灯りがともされる気配も。


「無人、か――?」


 戒厳令下、22時からの外出は禁じられている。

 夕刻であれば本来、住居に気配があって然るべきだ。

 それが無いと言う事は。


 浮かんだ考えをそのまま走らせる。教会への、夕刻からの訪問者。皆無とは言えなくとも、そう多くはあるまい。

 ならば、だ。この教会が留守であって不思議はない。

 では鍵は。教会から盗む不届き者はさすがに稀――そう教会の管理者が考えていたなら、正面玄関は開けているかも知れない。たとえ無人であっても、幼馴染は教会に入れる。


 思考を続けながら、視線は周囲を確かめる。

 両隣の建物はどうだろう。

 夕暮れに照らされた古い建物たち。

 それらにも別段、人の気配は感じられない。


「――誰にも知らず倒れた森の木は、音を立てたか」


 知らず、かつての講義を思い出す。

 ひとつの答え、それが無音だ。

 聞かれることのない音は、存在しないも同然。

 ならば。

 教会という領土への侵犯。

 知られないであろう行いは果たして、行われたか否か。


「ほとんど侵略者の言い草だな」


 森の倒木が、あるいは人間であったなら。

 カティンの森、そんな単語が脳裏をよぎる。

 ふたたび苦笑。だが心積もりは決めていた。

 相手に聞こえるよう、ユスティナは呼びかける。


「――聞こえてるだろう、マーシャ!」

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